檀道済6 宋朝の司馬仲達 

檀道済だんどうさい劉裕りゅうゆう時代に抜群の功を挙げ、

その威名は非常に重い。

また腹心、子供たちも百戦錬磨。

いくら劉義隆りゅうぎりゅうが信任していたとしても、

臣下たちは疑い、恐れざるを得なかった。


「どうして奴が、宋朝の司馬懿しばい

 ならないままでいられるだろうか?」


そんなふうに、

檀道済を見ていたものもいた。


劉義隆も、若く、意欲に燃えていた頃なら

この見解をはねのけられていただろう。

だが在任期間が長くなり、またその身を

凶悪な病魔が襲うようになってしまえば。


加えて、劉裕時代から文官として

頭角を現してきた人物、劉湛りゅうたん

権勢欲をむき出しとし、

檀道済からの反対意見を嫌悪。


劉義隆の弟、劉義康りゅうぎこうも、兄の死後に

檀道済を制御しきれないのではないかと

憂慮していた。


そのような中劉義隆の病状が悪化、

併せて北魏ほくぎが再度の侵攻を開始。

ここで劉義隆、檀道済を召喚する。


まさに出発しようか、と言うとき、

妻のしょう氏が、檀道済に言った。


「勲功著しきは、老子ろうしが忌んでおります。


 特に宮中に大事があった、

 と言うわけでもございますまいに、

 どうしておまえ様が

 呼ばれねばならないのでしょうか?


 あぁ、嫌な予感がしてなりません」


このときの謁見そのものについては、

特にこれといった事態の進展はなかった。

しかし、裏ではすでに謀略が動いていた。


しばし檀道済は建康けんこうに駐屯。

そして年明け早々、帰還することになった。


長江ちょうこうに繋留された船に向かうと、

船のところには、小鳥たちが群がり、

悲痛な鳴き声を上げていた。


そこに、急ぎの詔勅がもたらされる。


この詔勅は、劉義隆が病床に伏せ

身動きが取れないのをいいことに、

劉義康が詔敕と偽って発したものだ。


内容は檀道済の逮捕、処断。


こうして檀道済は、子どもたち、

檀植だんしょく檀粲だんさん檀混だんこん檀承伯だんしょうはく檀尊だんそんと共に

殺された。


時の人は歌っている。


「憐れむべし、白き浮鳩。

 檀江州は枉殺さる」


檀道済が殺された日、地震があり、

また地面より白い毛が生えたという。


併せて薛肜せっとう高進之こうしんしが殺された。

彼らは檀道済にとっての

関羽かんう張飛ちょうひというべき腹心であった。




道濟立功前朝,威名甚重,左右腹心並經百戰,諸子又有才氣,朝廷疑畏之。時人或目之曰:「安知非司馬仲達也。」文帝寢疾累年,屢經危殆,領軍劉湛貪執朝政,慮道濟為異說,又彭城王義康亦慮宮車晏駕,道濟不復可制。十二年,上疾篤,會魏軍南伐,召道濟入朝。其妻向氏曰:「夫高世之勳,道家所忌,今無事相召,禍其至矣。」及至,上已間。十三年春,將遣還鎮,下渚未發,有似鷦鳥集船悲鳴。會上疾動,義康矯詔召入祖道,收付廷尉,及其子給事黃門侍郎植、司徒從事中郎粲、太子舍人混、征北主簿承伯、秘書郎中尊等八人並誅。時人歌曰:「可憐白浮鳩,枉殺檀江州。」道濟死日,建鄴地震白毛生。又誅司空參軍薛肜、高進之,並道濟心腹也。


道濟は前朝にて功を立て、威名は甚だ重く、左右の腹心も並べて百戰を經、諸子も又た才氣有らば、朝廷は之を疑い畏る。時の人は或いは之を目して曰く:「安んぞ司馬仲達に非ざるを知らんや?」と。文帝の寢疾せること年を累ね、屢しば危殆を經たれば、領軍の劉湛は朝政を執りて貪、道濟の異を說きたるの為すに慮れ、又た彭城王の義康も亦た宮車の晏駕にて、道濟の復た制すべからざらんことを慮る。上の疾の篤きに、魏軍の南伐せるに會い、道濟を召し入朝せしむ。其の妻の向氏は曰く:「夫れ高世の勳は道家の忌む所、今、事無くして相い召ぜらるは、禍い其れ至らんか?」と。至るに及び、上は已に間ず。翌春,將に遣りて鎮に還ぜしめんとせるに、渚に下りて未だ發せざらば、鷦鳥に似たるの船に集まり悲しく鳴きたる有り。上の疾動に會し、義康は矯詔にて祖道に召し入れ、廷尉に收付し、及び其の子の給事黃門侍郎の植、司徒從事中郎の粲、太子舍人の混、征北主簿の承伯、秘書郎中の尊ら八人を並べて誅す。時の人は歌に曰く:「憐れむべし、白き浮鳩。檀江州は枉殺さる」と。道濟の死したる日、建康に地震あり、白毛が生ゆ。又た司空參軍の薛肜、高進之を誅す、並べて道濟が心腹なり。

(南史15-7_仇隟)




あっ南史だと腹心二人を腹心としか呼んでなかった。うかつ。まあいいや。


と言うわけで、こういうあたりにやけに字数を注ぐのは、まぁこれ後世のひとから見たらただの悲劇としかいいようがないわけですが、けど一方で思ったより皇帝権が圧倒的じゃないことも如実に表している感があって辛いですよね。


病魔に蝕まれ、劉湛や劉義康からのそそのかしにも会い、晩年の劉義隆、もはやまともな判断も下せなくなってきたのではないか。その事が劉劭りゅうしょうによる大逆事件にもつながっていく気はしたが、一方で劉義隆の病状悪化が劉劭のもたらす呪いのたまものであった、と考えるのも面白い。


もっとも、檀道済の死が既にロスタイムの出来事なので、そこらへんには立ち入りませんが。

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