檀道済3 北魏侵攻    

劉裕りゅうゆうが死に、劉義符りゅうぎふが即位すると、

北魏ほくぎ軍がさっそく侵攻してきた。

そして東陽とうように駐屯する竺夔じくきを包囲。


竺夔は建康けんこうに急使を送り、救援を要請。


そこで檀道済だんどうさいに総大将を任じ、

王懿おういと共に救援軍として出撃させた。


しかし檀道済たちが到着するよりも前に

北魏軍は陣地、攻城具を焼き払い撤退。


檀道済たちは追撃を掛けようとしたが、

東陽城内の食料は、ほぼ底をついていた。


ただ、地下深くの予備食料は

未だ残っているようだった。


そこで軍を挙げ、

十メートル近くもの穴を掘削。

ようやく備蓄を開放し、

東陽城内の者らに配給した。


そうこうしている間に北魏軍は

既に遠くに行ってしまっている。

追撃など、掛けられたものではない。


そこで檀道済らも撤収。

ただし再び北魏軍の侵攻があったら

すぐ駆けつけられるよう、

すぐ南の町、広陵こうりょうに駐屯した。




景平元年,虜圍青州刺史竺夔於東陽城,夔告急。加道濟使持節、監征討諸軍事,與王仲德救東陽。未及至,虜燒營,焚攻具遁走。將追之,城內無食,乃開窖取久穀;窖深數丈,出穀作米,已經再宿;虜去已遠,不復可追,乃止。還鎮廣陵。


景平元年、虜は青州刺史の竺夔を東陽城にて圍み、夔は急を告ぐ。道濟に使持節、監征討諸軍事を加え、王仲德と與に東陽を救わんとす。未だ至るに及ばざるに、虜は營を燒き、攻具を焚きて遁走す。將に之を追わんとせど、城內に食無く、乃ち開窖し久穀を取る。窖が深きは數丈、穀を出し米を作し、已にして經て再び宿す。虜の去りたること已にして遠く、復た追うべからざれば、乃ち止む。還りて廣陵に鎮ず。

(宋書43-19_衰亡)




後秦討伐の段階では檀道済と王懿ってそれほど上下関係にはなかった感じもあるけど、ここでは上下関係になってる。劉裕軍団内ヒエラルキーの変遷もいろいろ気になるところではあります。

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