檀道済1 暁将活躍す   

檀道濟だんどうさい 全7編

既出:劉裕16、劉裕58、劉裕59

   劉裕67、劉裕68、劉義符2

   劉義符5、劉義符6、劉義隆2

   劉義隆4、徐羨之9、徐羨之4

   徐羨之6



檀道済は高平こうへい金鄉きんきょう県のひと。

檀韶だんしょうの一番下の弟だ。


おそらくこの名があざなで、

諱は隠されている。


少さいころに親を失い、

その喪への服しかたは礼に適っていた。


兄、姉によく仕え、

弟としての慎みある振る舞いは、

周囲より称賛されていた。


劉裕りゅうゆうがクーデターを立ち上げた時、

檀道済も共に京口けいこう城入り。


また劉道規りゅうどうきが率いる

桓玄かんげん追討軍に合流し、

魯山ろざんの占拠、桓振かんしんの捕獲など、

大きな功を上げた。


この功績から劉道規の幹部となり、

南陽なんよう太守、吳興ごこう縣五等侯になった。


盧循ろじゅんが北上してくると、

多くの不満分子がこれに合流。

中でも郭寄生かくきせいという人物が

作唐さくとうに結集していた。


檀道済、これを征討。

この功から揚武ようぶ將軍、天門てんもん太守に。


五斗米道ごとべいどうと合流した

桓謙かんけん荀林じゅんりんらを征伐する際には、

一万余の兵らの先頭に立ち、

向かうところ敵なしであった。


しかしこの頃、

劉道規や檀道済のいた江陵こうりょう

五斗米道軍の遮断に遭い、

孤立していた。


建康けんこう強襲に失敗した五斗米道軍、

江陵を新たな拠点とするべく、

徐道覆じょどうふくを大将として、襲来。


この戦いでは劉道規自ら

陣頭指揮を執るような有様であった。

ここで檀道済、多くの戦功をあげた。


そして、遂には

徐道覆を退けたのである。




檀道濟,高平金鄉人,左將軍韶少弟也。少孤,居喪備禮。奉姊事兄,以和謹致稱。高祖創義,道濟從入京城,參高祖建武軍事,轉征西。討平魯山,禽桓振,除輔國參軍、南陽太守。以建義勳,封吳興縣五等侯。盧循寇逆,群盜互起,郭寄生等聚作唐,以道濟為揚武將軍、天門太守討平之。又從劉道規討桓謙、荀林等,率厲文武,身先士卒,所向摧破。及徐道覆來逼,道規親出拒戰,道濟戰功居多。


檀道濟は高平の金鄉の人、左將軍の韶の少弟なり。少くして孤となり、居喪に禮を備う。姊を奉じ兄に事え、和謹なるを以て稱えらるを致す。高祖の義を創むるに、道濟は從いて京城に入り、高祖の建武軍事に參じ、征西に轉ず。魯山を討平し、桓振を禽え、輔國參軍、南陽太守に除せらる。建義の勳を以て吳興縣五等侯に封ぜらる。盧循の寇逆せるに、群盜は互い起ち、郭寄生らは作唐に聚まり、道濟を以て揚武將軍、天門太守と為し之を討平す。又た劉道規に從い桓謙、荀林らを討ち、厲なる文武を率い、身を士卒に先んじ、向かう所にて摧破す。徐道覆の來逼せるに及び、道規は親しく出でて拒戰し、道濟が戰功は多きに居す。

(宋書43-17_暁壮)




檀道済

劉裕配下将として第一に名前が出てくるのだが、劉裕の配下将と言うよりは劉道規の頼れる懐刀としての期間が結構長い。劉裕の配下将としてはむしろ檀韶だんしょう檀祇だんぎ檀隆だんりゅう、檀道済という高平檀氏四兄弟のうち前者二名のほうが重きをなしている。のだが、長男が将才不適、次男が夭折と言う事で、劉裕の後秦こうしん討伐ころからようやく一線級の将軍として扱われるようになった。この辺りは、ここの条にある「奉姊事兄,以和謹致稱」がよく示しているのだろうと思う。元々兄弟の中では突出した軍才を持っていたんだろうが、兄貴たちを敢えて押し退けようとはしていなかった。


ちなみにこの人には薛彤せっとう高進之こうしんしという強力な部下がいるのですが、何故か高進之については伝が残っています。なので檀道済に合わせて、かれのことも紹介します。

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