傅亮8  文筆の軌跡   

傅亮ふりょうが立身出世の道を歩んでいた時、

兄の傅迪ふていは「あまり進み過ぎるな」と

つねづね呼びかけていた。


しかしその声は、結局届かなかった。


自分の置かれている立場が

非常に危険なものになり、初めて

「演慎論」を著す有様である。

慎重なる振る舞いが、

いかに素晴らしいものか、という論だ。


また劉義符りゅうぎふがクソなのを見て取り、

危機感を募らせていた。

宮廷に宿直していた時、

真夜中、ろうそくの火に

飛び込んで燃えた蛾を見て、

自らのさだめを予期し、

「感物賦」を書いている。


また江陵に劉義隆りゅうぎりゅう

迎えに行った時には、

「道路賦」の中で三つの詩を書いた。

その内の一編には

悔悟、後悔の念があった。


そして、間もなく劉義隆に

罰される頃には、

辛有しんゆう穆生ぼくせい董仲道とうちゅうどうらの

些細な予兆から未来を予見する、

その高い見識を讃えていた。




亮之方貴,兄迪每深誡焉,而不能從。及見世路屯險,著論名曰演慎。及少帝失德,內懷憂懼。直宿禁中,睹夜蛾赴燭,作感物賦以寄意。初奉大駕,道路賦詩三首,其一篇有悔懼之辭。自知傾覆,求退無由,又作辛有、穆生、董仲道贊,稱其見微之美云。


亮の方に貴たるに、兄の迪は每に深く誡むるも、從う能わず。世路の屯險なるを見るに及び、論を著し名づけて曰く「演慎」と。少帝の德を失いたるに及び、內に憂懼を懷く。禁中に直宿し、夜に蛾の燭に赴きたるを睹、感物賦を作し以て意を寄す。初にして大駕を奉ぜるに、道路賦に三首の詩をなし、其の一篇には悔懼の辭有り。自ら傾覆せるを知り、退るを求めど由無かれば、又た辛有、穆生、董仲道の贊を作し、其の見微の美を稱えて云う。

(南史15-5_尤悔)



辛有

春秋左氏伝しゅんじゅうさしでんに「初め、平王の東遷するや、辛有、伊川に適き、被髪して野に祭る者を見る。曰く、「百年に及ばずして、此れ其れ戎とならんか。其の禮先づ亡びたり」と。」という語句が見える。平王は周が都を東に遷した時の王。つまり周の凋落を、川べりで祭祀を行うものの様子から見出したもの、となるだろうか。


穆生

劉邦りゅうほうの弟、劉交りゅうこうの幼馴染。非常に尊重されていた。宴会の時には、酒を嗜まない穆生のために、別の飲み物をわざわざ用意するほどだった。それは劉交が死に、子の劉戊りゅうぼの代にも続けられていた。が、ある時からぱったりとその配慮が無くなったのを見、引退。やがて劉戊は漢に反旗を翻したが鎮圧、殺された。


董仲道

西晋期の隠者。劉淵りゅうえんが立った時に配下将として残虐ムーヴをほしいままとしていた武将、王弥おうびを見て「君は豺の声と豹の目を持っているな。乱を好み禍を楽しむ者だ。もし天下が乱れたなら、士大夫ではいないであろう」と予見している。

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