徐羨之9 誅殺
426年の新年を迎えてまもなく、
「
太上より遺命を受けたにもかかわらず、
先帝や
朝政をほしいままとした。
この振る舞いに、祖霊はお怒りである。
朕は即位して以来、敢えて息をひそめ、
この者らの無道を見極めんとした。
そして今、改めて宣言する。
この者たちの悪事、暴挙を伝えよう。
君子ならば嘆かずにおれまい。
義士ならば奮い立つであろう。
国家の恥を雪ぐ時がやってきたのだ。
既に徐羨之、傅亮については
誅滅の兵を飛ばしている。
謝晦については荊
すぐに罰するわけにもゆかぬ。
故に、朕は自ら六軍を率い、
謝晦を討伐する所存である。
既に
ここに引き続き、
荊州の
また、併せて
この者には、謝晦の逃げ道を
ふさがせるよう命じている。
なお、今回罪に問うのは、
あくまで元凶の三名のみである。
その他の者を罪に問うつもりはない」
この表明が大々的に発表される直前、
徐羨之は劉義隆より召喚を受け、
すると宮廷に宿直していた
謝晦の弟、
「殿内が、ただ事ではありません」
陛下が、動いたのか!
傅亮はすぐさま徐羨之のもとに馳せ、
このことを伝えた。
そこで徐羨之は自宅へと慌てて帰還。
だが、既に劉義隆の手の者が
怪しい車の出入りを監視している。
そこで徒歩にて
そして、そこで自殺した。
この時、63歳。
一方の、劉義隆。
徐羨之が召喚に応じないことから
反逆の意図を悟り、到彥之、
追討のために派遣した。
ふたりの捜索に対し、
ひとりの市民が報告する。
新林で、徐羨之が死んでいる、と。
こうして徐羨之の屍は、
その罪を死体にさばくために、
廷尉に運び込まれた。
息子の
弟の
三年正月,詔曰:「徐羨之、傅亮、謝晦,寄以國命,而翦為仇讎,旬月之間,再肆酖毒,痛感三靈,怨結人鬼。自書契以來,棄常安忍,反易天明,未有如斯之甚者也。今逆臣之釁,彰暴遐邇,君子悲情,義徒思奮,家讎國恥,可得而雪,便命司寇,肅明典刑。晦據有上流,或不即罪,朕當親率六師,為其遏防。可遣中領軍到彥之即日電發,征北將軍檀道濟絡驛繼路,符衞軍府州以時收翦。已命征虜將軍劉粹斷其走伏。罪止元凶,餘無所問。感惟永往,心情崩絕。氛霧既袪,庶幾治道。」
元嘉三年正月,詔じて曰く:「徐羨之、傅亮、謝晦は、以て國命に寄れど、而して翦し仇讎を為したり。旬月の間、再び酖毒なるを肆とせば、三靈の感ぜるは痛、人鬼は怨結す。書契してより以來、常を棄て安忍し、天明なるに反易したるは、未だ斯くの如きの甚だ有らざりたる者なり。今、逆臣の釁を遐邇に彰暴せば、君子は悲情し、義徒は思奮し、家が讎、國が恥の雪ぐを得たるべし。便ち司寇に命じ、典刑を肅明す。晦は上流に據有せば、或いは即には罪せず。朕は當に親しく六師を率い、其の遏防を為さんとす。中領軍の到彥之を遣りて即日に電發せしむ。征北將軍の檀道濟は驛を絡ぎ路を繼がしむ。衞軍府を符し州を以て時に收翦せん。已にして征虜將軍の劉粹には其の走伏を斷たしむべく命じたり。罪は元凶に止め、餘にては問う所無し」と。爾の日、詔じて羨之を召じ、西明門の外に至れば、時に謝晦の弟の皭は黃門郎と為り、正直したれば、亮に報じて云えらく:「殿内に異なる處分有り」と。亮は馳せ羨之に報ず。羨之は回りて西州に還じ、內人の問うて車の郭の出でたるを訊ぬるに乘じ,步走し新林に至り、陶竈に入りて中にて自剄し死す、年六十三なり。羨之の初にして召ぜるに應ぜざらば、上は領軍の到彥之、右衛將軍の王華を遣りて追討せしむ。羨之が死を野人は以て告がば、屍を載せ廷尉に付す。子の喬之は高祖の第六女の富陽公主を尚じ、官は竟陵王文學に至る。喬之、及び弟の乞奴は誅に從う。
(宋書43-9_衰亡)
劉義隆の詔勅、本当はもっと長いんですが、死にそうになったので魏晋南北ブログさんの記事に従って省略しました。ううう、情報の宝庫なのは間違いないんだけどさぁ……。
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