徐羨之8 引退希望    

劉義隆りゅうぎりゅうが即位した翌年、

徐羨之じょせんし傅亮ふりょうは引退を申し出たが、

簡単には許されなかった。


申し出をすること三度、

ようやく劉義隆に受け入れられる。


こうして引退した徐羨之、

自宅に戻ってみれば、

そこで甥の徐佩之じょはいし程道惠ていどうけい王韶之おうしょうしから

ここでの引退はかえって危ない、

と忠告をしきりに受け、

結局復帰することになるのだった。




元嘉二年,羨之與傅亮歸政,三奏乃見許。羨之仍遜位,退還私第。兄子佩之及程道惠、吳興太守王韶之等,並謂非宜,敦勸甚苦。復奉詔攝任。


元嘉二年、羨之と傅亮は政を歸さんとし、奏ずること三たびにして乃ち許さるを見る。羨之は仍いで位を遜き、私第に退還す。兄の子の佩之、及び程道惠、吳興太守の王韶之らは、並び宜しきに非ざるを謂い、敦勸せること甚だ苦たり。復た詔を奉じ任を攝す。

(宋書43-8_黜免)




このあとに来るのが、誅殺の詔。

さて、なにが書いてありますか。



王韶之

王羲之おうぎし系からも王導おうどう系からも外れた、琅邪ろうや王氏としては末端の人。その上で王導の孫である王珣おうしゅん王廞おうきんを批判したもんだから、それぞれの息子である王弘や王華に睨まれ、身の安全のため徐羨之サイドについた。けど抜群の史学知識を持ち合わせ、しかもその才能をフルに発揮していたから、その点については王弘も認めざるを得なかったという。

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