巻42 宋建国のトップ元勲

劉穆之1 共に漕ぎ出す  

文宣公 劉穆之りゅうぼくし 全12編

既出:劉裕34、劉裕49

   劉裕57、劉裕77



劉穆之りゅうぼくしは字を道和どうわ、幼名を道民どうみんと言う。

東莞とうかんりょ県の人で、

かんせい悼惠とうけい王、劉肥りゅうひの子孫だ。


先祖代々京口けいこうに暮らしていて、

若いころから読書や教育を好んでおり、

その博覧強記ぶりから、

江敳こうがいという人に見出されていた。


江敳が建武けんぶ將軍、琅邪ろうや內史と栄転すれば、

劉穆之は幹部としてそこに従った。


ある日、劉穆之は夢を見た。

劉裕りゅうゆうと海に漕ぎ出す、というものだ。


船は突如大風に見舞われた。

劉穆之が驚き、状況を確認すると、

船の下に、二体の白龍がいるではないか。


白龍たちは船を持ち上げると、

船を山にまで運んだ。


峰々は高く斬り立ち、樹木は生い茂る。


劉穆之は、悟る。

そうか、おれは劉裕殿と

高みに至るのだな――と。




劉穆之,字道和,小字道民,東莞莒人,漢齊悼惠王肥後也。世居京口。少好書、傳,博覽多通,為濟陽江敳所知。敳為建武將軍、琅邪內史,以為府主簿。初,穆之嘗夢與高祖俱泛海,忽值大風,驚懼。俯視船下,見有二白龍夾舫。既而至一山,峯㠋聳秀,林樹繁密,意甚悅之。



劉穆之は字を道和、小字を道民といい、東莞の莒の人にして、漢の齊悼惠王の肥が後なり。京口に世居す。少きより書、傳を好み、博きを覽て多きに通じ、濟陽の江敳に知らる所と為る。敳の建武將軍、琅邪內史と為りたるに、以て府主簿と為る。初にして、穆之は嘗て夢に高祖と俱に海に泛ぎたるに、忽ち大風に值い、驚懼す。俯きて船下を視たらば、二なる白龍の舫を夾みたる有るを見る。既にして一なる山に至りたれば、峯㠋は聳秀、林樹は繁密なれば、甚だ之に悅びたるを意ゆ。


(宋書42-1_言語)




劉穆之

本貫が示す通り、劉裕とは全く血縁的にかぶらない人。ちなみに劉裕より3つ年上。劉肥の子孫と言い切っているのは、逆に言えば血統がろくすっぽ明らかではないという裏付けでもある。まぁ、王朝の立役者なんだから一応やんごとなき人と言う事にしておきましょうか、という感じだ。

かれはやがて夢の通り、劉裕とともに高みへと至る。しかし、山頂に立つ姿については見届けること叶わず、病死している。


江敳

父の江彬こうひんはあの庾翼ゆよくの参軍として働いていた。また当時の囲碁ランキング二位という腕前の持ち主で、王導おうどうと互先で囲碁をやろう、という事になった時「やめておきましょう、勝負が見えすぎています」とまで言い切るほどのアレである。

その息子である、かれ自身も王恭おうきょうに参軍として招聘を受けているが、王恭の破滅を予見し、招聘を突っぱねている。まー要するに劉穆之の上司もすげえ人なんですよ、という事である。

ついでに言えば息子の江夷こういも宋書列伝におり、どんだけエリート家系やねん、と言う感じである。


なお劉穆之の妻は江氏と言い、江嗣こうしの娘、という事である。続柄は不明だが、たぶん江敳さんの姪とかだったんじゃないのかなあ。

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