詩妖7  盧循さんの歌2 

劉裕りゅうゆう南燕なんえん征伐に出ていた頃のこと。


小さい子供二人が道路の上で向かい合い、

その両手を上げて歌い合っていた。


盧健健

 はめっちゃお盛ん。


次いで歌う。


鬥歎鬥歎

 ほれ戦え、やれ戦え。


そして最後に歌う。


翁年老,翁年老

 ジジイは老いた、ジジイは老いた。


この歌の由来を知る者は、

当時は誰もいなかった。


だが盧循ろじゅんが攻め上ってくると、

その大船団は川を覆い尽くさんばかり。

なるほど、「健健」じゃねーの。


更に查浦さほ

つまり建康けんこう近くの港にまで迫れば、

おらしん軍戦えよ、と挑発してくる。

なるほど、「鬥歎」じゃねーの。



最後の「翁年老」だ。

この頃建康城には、何人もの

年老いた高官がいた。

彼らは盧循が迫ってきたことを知り、

みな泡ふいて死んだ。

たぶんこのことじゃねーの?



この頃、別の歌も歌われている。


盧橙橙 逐水流

東風忽如起 那得入石頭

 盧循軍は水の流れに阻まれて流され、

 あげくの果てには

 突如として起きる東風に阻まれる。

 どうして石頭に攻め入れようか。


この歌の如く、盧循は敗れ、

石頭せきとう城には上陸できなかった。


王敦おうとんにせよ、蘇峻そしゅんにせよ、

建康制圧の橋頭保として

不可避の拠点であった、石頭城。


ここを落せなかった以上、

盧循軍は退却するしかなかったのだ。




義熙三年中,小兒相逢於道,輒舉其兩手曰「盧健健」,次曰「鬥歎鬥歎」,末複曰「翁年老,翁年老」。當時莫知所謂。其後盧龍內逼,舟艦蓋川,「健健」之謂也。既至查浦,屢克期欲與官鬥,「鬥歎」之應也。「翁年老」,群公有期頤之慶,知妖逆之徒,自然消殄也。其時複有謠言曰:「盧橙橙,逐水流,東風忽如起,那得入石頭。」盧龍果敗,不得入石頭。


義熙三年中、小兒は道にて相い逢い、輒ち其の兩手を舉げて曰く「盧は健健なり」と。次に曰く「鬥いて歎じ鬥いて歎ず」、末に複た曰く「翁は年老いたり、翁は年老いたり」と。當時に謂わるる所を知りたる莫し。其の後に盧龍の內に逼りたれば、舟艦は川を蓋い、「健健」の謂れなり。既にして查浦に至り、屢ば官と鬥いたるを欲して期を克むらば、「鬥歎」の應なり。「翁年老」は、群公に期頤の慶有り、妖逆の徒を知り、自然と消殄したるなり。其の時に複た謠言を有して曰く:「盧は橙橙、水流を逐い、東風は忽ち起つるが如くし、那んぞ石頭に入りたるを得んか」と。盧龍は果して敗れ、石頭に入りたるを得ず。

(宋書31-9_言語)

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