詩妖3  晋終盤のいろいろ

司馬道子しばどうしが東府城にいた頃、

つまり、宰相として

権勢をふるっていた頃。


東府城に土を盛り、山を作った。

それを「霊秀れいしゅう山」と名付ける。


ところでその直後孫恩そんおんが乱を起こし、

会稽かいけいを蹂躙した。


なお会稽は司馬道子の封爵地ですし、

霊秀は孫恩さんのあざななんですが、

それは。



庾楷ゆかい歴陽れきように赴任した時、

こんな歌が流行った。


重羅犁 重羅犁

使君南上無還時


重羅犁は未詳。

たぶん「えっよっこいせ」

的あれじゃなかろうか。


殿様がひとたび南に行ったら、

二度と戻っちゃ来ないぞ、

と言うもの。


後日庾楷は南の桓玄かんげんのもとに亡命、

そこで殺されている。



殷仲堪いんちゅうかんが荊州刺史だった頃のこと。

民間の歌が残っている。


芒籠目 繩縛腹

殷當敗 桓當複


芒籠目繩縛腹については

上手く解釈ができない。

ただ、この上段を受けて

殷仲堪の敗北と、

もと荊州の支配者であった

桓氏の復帰が歌われている。




司馬道子於東府造土山,名曰靈秀山。無幾而孫恩作亂,再踐會稽。會稽,道子所封。靈秀,恩之字也。庾楷鎮曆陽,民歌曰:「重羅犁,重羅犁,使君南上無還時。」後楷南奔桓玄,為玄所誅。殷仲堪在荊州,童謠曰:「芒籠目,繩縛腹。殷當敗,桓當複。」無幾而仲堪敗,桓玄有荊州。


司馬道子の東府にて土山を造ぜるに、名を靈秀山と曰う。幾ばくも無く孫恩は亂を作し、再び會稽を踐む。會稽は道子が封ぜらる所なり。靈秀は恩が字なり。庾楷の曆陽に鎮したるに、民の歌に曰く:「重羅犁、重羅犁。使君をして南上せしまば還りたる時無し」と。後にして楷は南の桓玄に奔り、玄に誅さる所と為る。殷仲堪は荊州に在りて、童謠に曰く:「芒籠なる目、繩にて腹を縛らる。殷の當に敗さんとせるに、桓は當に複さん」と。幾ばくも無く仲堪は敗れ、桓玄は荊州を有す。


(宋書31-5_言語)




おぉ、この辺りは上手く解釈ができないぞ。けど把握出来たら楽しそうだから、とりあえずわかんないままで放流しておくのです。


庾楷

かなりろくでもない人物だったのか、朝廷から煙たがられたことに怒って王恭を巻き込んで叛乱を決めた、という。その後諸勢力をふらふらした末、最終的には司馬元顕らとともに殺されている。なんというか、反抗的なコウモリ野郎、といういでたちである。

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