劉義隆4 魏:誅滅劇
その弟の
元号は、
劉義隆の即位に当り、
翌年、
劉義隆に執政権を返上しようとしたが、
許可は降りなかった。
更にその翌年、劉義隆は
子飼いの
徐羨之、傅亮を殺した。
更には
荊州に配されていた
謝晦は軍を率いて迎撃、
劉義隆を廢位し、王華を殺すための
檄文をなし、一度は
しかし檀道済がやってきてしまっては
もはやどうしようもない。
またたく間に謝晦軍は崩壊。
謝晦はいちど
そこで弟の
だが、
謝晦は
亮等立義符弟荊州刺史義隆,號年元嘉。遣使趙道生朝貢。二年,徐羨之、傅亮等歸政於義隆,不許。三年,義隆信其侍中王華之言,誅羨之、傅亮,遣其將檀道濟等討荊州刺史謝晦。晦率眾東下,謀廢義隆,以討王華為辭,破義隆將到彥之。及聞道濟將至,晦眾崩散。晦走江陵,乃攜其弟遁等北走,至安陸延頭,為戍主光順之所執,斬于建業。
亮らは義符が弟の荊州刺史の義隆を立て、年を元嘉と號す。遣りて趙道生をして朝貢をなさしむ。二年、徐羨之、傅亮らは義隆に政を歸せんとせど、許さず。三年、義隆は其の侍中の王華の言を信じ、羨之、傅亮を誅し、其の將の檀道濟らを遣りて荊州刺史の謝晦を討たしむ。晦は眾を率い東下し、義隆を廢さんと謀り、王華を以て討たしめんと辭を為し、義隆の將の到彥之を破る。道濟の將に至らんとせるを聞きたるに及び、晦が眾は崩散す。晦は江陵に走り、乃ち其の弟の遁らを攜いて北走し、安陸の延頭に至りたるも、戍主の光順之の執わる所と為り、建業にて斬らる。
(魏書97-92_仇隟)
相変わらず宋書本紀より細かい。まぁこの辺は、列伝からの編入なんでしょうね。
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