劉義隆2 誅滅      

426年の1月、

徐羨之じょせんし傅亮ふりょうに罪があったため処刑した。


また2月には軍を編成、

到彦之とうげんし檀道済だんどうさいを派兵、

荊州けいしゅう謝晦しゃかいを攻撃させた。


この攻撃については、劉義隆りゅうぎりゅう自らも

後続軍の指揮を取って親征している。


とは言え檀道済によって謝晦軍は大敗。

隱磯いんきという地から、敗走した。


この報せを聞き、

蕪湖ぶこまで進んでいた

劉義隆は進軍を停止。

建康けんこうに引き返す。


やがて謝晦は延頭えんとうという地で捕まり、

建康に連行された。


そして、建康で殺された。




元嘉三年春正月丙寅,司徒、錄尚書事、揚州刺史徐羨之,尚書令、護軍將軍、左光祿大夫傅亮,有罪伏誅。遣中領軍到彥之、征北將軍檀道濟討荊州刺史謝晦,上親率六師西征。二月庚申,車駕發京師。戊辰,到彥之、檀道濟大破謝晦於隱磯。丙子,車駕自蕪湖反斾。己卯,擒晦於延頭,送京師伏誅。


元嘉三年の春、正月の丙寅、司徒・錄尚書事・揚州刺史の徐羨之、尚書令・護軍將軍・左光祿大夫の傅亮に罪有り、誅に伏す。遣中領軍の到彥之、征北將軍の檀道濟は荊州刺史の謝晦を討ち、上は親しく六師を率い西征す。二月の庚申、車駕は京師を發す。戊辰、到彥之と、檀道濟は謝晦を隱磯にて大破す。丙子、車駕は蕪湖より反斾す。己卯、晦を延頭に擒え、京師に送り誅に伏す。

(宋書5-2_衰亡)




劉裕りゅうゆうに後事を託された四人のうち三人が殺され、残る一人も将来的には殺される。ここまでは劉裕時代の人事的あれこれによる結果と言う感じなので、捨ておくわけにもゆかんでしょう。後々の出来事にだっていくらでも劉裕時代の因縁に端を発する出来事はあるだろうけど、それをやると「機械的に史書を追ってエピソードを抜き出す」という、この作品のテーマに即しないので、今は忘れておく方向で。


なので、この三名が殺されたこと、がこの晋宋春秋のゴールとなります。ポスト淝水~三元勲誅滅、という枠組み。以降は、この枠内でどんなことが起こったのかを追っていくのです。

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