文帝 劉義隆

劉義隆1 文帝即位す   

文帝 劉義隆りゅぎりゅう


宋の太祖文帝は、諱を義隆と言う。

幼い頃のあだ名は車兒しゃじ劉裕りゅうゆうの三男だ。


407年に京口けいこうで生まれた。


劉裕が皇帝に即位したとき、14歳。

宜都せんと王となり、八州の軍事総督とされた。

官位は鎮西將軍、給鼓吹一部。

またすぐに湘州しょうしゅう督も任ぜられ、

江陵こうりょう城入りした。


身長は約 176cm。

よく書物を学び、また達筆であった。


425年の7月に、劉義符りゅうぎふが廢されると、

宋の百官は総員をあげて劉義隆を迎える。

江陵城にて玉璽を受け取ると、

劉裕が祀られている初寧陵しょねいりょうに詣でた後、

皇帝が廃されて主を失っていた中堂入り。


中堂を守っていた檀道済だんどうさいに迎えられ、

皇帝の位についた。




太祖文皇帝諱義隆,小字車兒,武帝第三子也。晉安帝義熙三年,生於京口。永初元年,封宜都王,食邑三千戶。進督北秦,并前七州。進號鎮西將軍,給鼓吹一部。又進督湘州。是歲入朝。時年十四。長七尺五寸,博涉經史,善隸書。景平二年七月中,少帝廢。百官備法駕奉迎,入奉皇統。行臺至江陵,進璽紱。謁初寧陵,還於中堂即皇帝位。


太祖文皇帝、諱は義隆、小字は車兒、武帝が第三子なり。晉の安帝の義熙三年、京口にて生まる。永初元年、宜都王に封ぜられ、食邑三千戶とす。督北秦,并前七州に進む。號は鎮西將軍、給鼓吹一部に進む。又た進みて湘州を督す。是の歲に入朝す、時に年十四なり。長は七尺五寸、博く經史に涉り、隸書を善くす。景平二年七月中、少帝は廢さる。百官は法駕を備え奉迎し、奉じて皇統に入る。行臺は江陵に至り、璽紱を進む。初寧陵を謁し、中堂に還りて皇帝位に即く。

(宋書5-1_為人)

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