劉義符7 魏:義符殺される

拓跋嗣たくばつしが死に、息子の拓跋燾たくばつとう

即位して間もなくのこと。


そうでは徐羨之じょせんし傅亮ふりょう謝晦しゃかいらが

権勢をほしいままとしていた。


はじめに劉裕りゅうゆうの次男の劉義真りゅうぎしんを廃位、

新安しんあん郡に蟄居させた後、殺した。


またあからさまな昏君であった

劉義符りゅうぎふを廃位するため、

徐羨之らは兵を率いて劉義符を襲撃した。


この時、劉義符は華林園かりんえんの舟の中で

居眠りをしていた。


そこに兵士らがわれ先にと駆けつけ、

側に侍る者を殺したあと、

義符を東閤に連行。

帝位を廢して營陽えいよう王とし、

さらにはにはに移送した。


そして呉にある金昌亭きんしょうていで、

劉義符は殺された。




始光初,義符司空徐羨之、尚書令傅亮、領軍謝晦等專其朝政,收其廬陵王義真,徙于新安郡,殺之。義符昏暴失德,羨之等勒兵入殿,時義符在華林舟中,兵士競進,殺其侍者,扶義符出東閤,廢為營陽王。遂徙于吳郡,於金昌亭殺之。


始光の初め、義符の司空の徐羨之、尚書令の傅亮、領軍の謝晦らは其の朝政を專らとし、其の廬陵王の義真を收め、新安郡に徙し、之を殺す。義符は昏暴にして德を失い、羨之らは兵を勒し入殿し、時に義符は華林の舟中に在り、兵士は競い進み、其の侍者を殺し、義符を扶して東閤に出だし、廢して營陽王と為す。遂には吳郡に徙り、金昌亭にて之を殺す。

(魏書97-91_讒険)



扶って字が宋書のみならず魏書にまで使われてるってことは、これ劉義符、茫然自失として動けなかったのかなあ。「皇帝権が危ういバランスの上に成り立っている」ことを劉裕、うまく長男には伝えきれなかったか。


逆に、こんなもん見せつけられりゃ、劉義隆りゅうぎりゅうはいやでもその地位の危うさが身にしみるでしょうね。

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