劉裕78 魏:迎撃    

劉裕りゅうゆうのクソが黄河こうがを遡って

長安ちょうあん洛陽らくように向け進軍していたので、

明元帝めいげんてい拓跋嗣たくばつし娥清がせい長孫嵩ちょうそんこうらを派遣、

黄河河畔に駐屯させた。


劉裕は朱齢石しゅれいせき劉榮祖りゅうけいそらを派兵。


この戦いについては

長孫嵩の甥である長孫道生ちょうそんどうせいの部隊が

敵将の楊豊ようほうらを捕獲、

斬首する功績を挙げている。

……だれ?


その後劉裕は王懿おうい趙倫之ちょうりんしらに

沈田子しんでんしらの部隊を率いさせ、

武関ぶかんに派兵、青泥せいでいに駐屯した。





裕入河西上,太宗遣將軍娥清、長孫嵩等屯於河畔。裕遣朱超石、劉榮祖等渡河,長孫道生破之,擒斬其將楊豐等。裕遣將軍王仲德、趙倫之率沈田子等入武關,屯軍青泥。


裕の河に入り西に上らんとせるに、太宗は將軍の娥清、長孫嵩らを遣わせ河畔に屯ぜしむ。裕は朱超石、劉榮祖らを遣りて渡河し、長孫道生は之を破り、其の將の楊豐らを擒え斬る。裕は將軍の王仲德、趙倫之を遣わせ、沈田子らを率い武關に入らしめ、軍を青泥に屯ぜしむ。

(魏書97-6_暁壮)




なおここで書いてある戦いのあと劉裕らの軍が向かったとされているのは「戦場より西」。つまり北魏軍、まるで抑止力になっていない。これ、後秦と一応同盟してるって名目だから「戦いましたよ」って実績を作っておきたかった、ってことなのかなあ。長孫嵩みたいなのに本気出させて戦わせてたら、もっとエグい戦役になってたと思うんだよな、これ。


拓跋嗣

北魏二代目皇帝。バリバリ国土を拡大した父の拓跋珪、華北統一を成し遂げる息子の拓跋燾に較べると地味な印象なのだが、わずか36歳でトチ狂ってた父拓跋珪を恐れて殺害した弟拓跋紹を討伐して即位するとか、結構この方もドギツイ。その治世は劉裕の最盛期にぶち当たってたからそことの折衝に追われつつ国力を拡充していた印象がある。この拡充を基盤にして拓跋燾の華北統一がなった、と言うのが正しい認識だと思う。そしてこの人自身も31で死亡。


娥清

この戦いのあとは柔然との戦いに明け暮れていた。かなり有能な武将だったんだろうとは思うが、伝が薄くて切ない。


長孫嵩、長孫道生

北魏第一の武将と、その甥。しかし武将たちの伝薄くないですかねぇ魏書さん……? この辺は魏收のキャラが関わってそうだよなぁ、やっぱ。


劉榮祖

劉裕軍第二世代の代表的な将軍。父親の劉虔之を司馬休之戦で失っているから、ここで失地挽回、と行きたくって張り切ってたんでしょうね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る