劉裕63 禅譲受諾    

司馬徳文しばとくぶんよりの禅譲ぜんじょうみことのりについて、

劉裕りゅうゆうは辞退の意を表明。


だが司馬徳文は既に玉座より

琅邪王第ろうやおうだい、つまり臣下のつくべき座に

退いていたため、

玉座に届いた辞退の書を

手には取らなかった。


また曹虔嗣そうけいし、つまり

の皇帝の系統を引き継ぐひと、

陳留王ちんりゅうおうは、二百七十名を引き連れ、

劉裕の即位を要請。


あわせて劉裕の部下たちも、

劉裕に即位を求める署名を寄せる。


劉裕はこれらの要請を却下した。


すると今度は太史令たいしれい

つまり国内の瑞祥などについて管理する

祭祀官の駱達らくたつが、劉裕が即位すべき

根拠となる天文、符瑞を数十件列挙。

劉裕の即位が天命であることを示す。


これらに基づき群臣が更に強く

即位を要請してきたため、

遂に劉裕、彼らの要請に従うのだった。




王奉表陳讓,晉帝已遜琅邪王第,表不獲通。於是陳留王虔嗣等二百七十人,及宋臺羣臣,並上表勸進。上猶不許。太史令駱達陳天文符瑞數十條,羣臣又固請,王乃從之。


王は表を奉じ讓ぜるを陳ぶれど、晉帝は已にして琅邪王第に遜き、表は通じたるを獲ず。是れに於いて陳留王の虔嗣ら二百七十人、及び宋臺の羣臣は、並び上に勸進を表す。上は猶お許さず。太史令の駱達は天文、符瑞の數十條を陳べ、羣臣は又た固く請い、王は乃ち之に從う。

(宋書2-18_政事)




(棒読み)


禅譲ごっこのやり方について書かれている感じですね。これらは茶番ではなく、あくまで「重大な行事」としてなされています。これらを真剣に実施せねばならなかった、という事については、もっと重く受け止めておきたいもの。とは言えやっぱり茶番にしか見えないんだけどなー。



陳留王虔嗣

これについては「二王三恪におうさんかく」というルールからの説明が必要なのだろう。禅譲とはあくまで平和的な支配権の譲渡と言う名分である。なので、かんの皇帝も、魏の皇帝、そして晋の皇帝も、禅譲後は引き続き王家として彼らの先祖を祀るため家門が存続される。「尊崇されるべき先の皇帝家の祭祀を絶やすわけにはいかない」ということだ。

そのためしんに禅譲した元帝げんてい曹奐そうかんのあとも、曹家の家門は続いている。そして、晋宋しんそう革命時の曹家当主が、曹虔嗣。とは言え何か政治的な影響力とかがあったかって聞かれれば、立伝されていないところからお察しと言う感じにはなる。

そう言う訳で、晋の皇帝の家門も「零陵王れいりょうおう」として梁の滅亡まで続いている。ついでに言うと劉宋の皇統は「華陰王かいんおう」。まぁどっちも血統的にあやしい傍流連れて来られてる気配はありますが……。

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