劉裕54 司馬休之討伐
対するは、
魯宗之。かれはいわば、
対
常々劉裕と不和であったため、
息子の
司馬休之に合流したのだ。
開戦。
この戦いでは劉裕、どうにも次代の将を
育成しようとしていたフシがあった。
先鋒に三人の将を出している。
特に最後の一人は、劉裕の長女の婿である。
が、三者はともに魯軌に敗北、戦死。
驚いた劉裕、すぐさま方針を転換している。
ここまでの展開が、典型的な
戦力の逐次投入になっていた。
これ以上引き伸ばしてしまってはまずい。
停泊していた
劉裕を先頭にして、総員で攻撃。
諸将に先立ち上陸を果たせば、
将兵らもまた我先に、と
江陵城を攻め立てる。
こうして司馬休之は破れ、江陵は平定。
司馬休之らは、襄陽に逃れた。
軍次江陵。初雍州刺史魯宗之常慮不為公所容,與休之相結,至是率其子竟陵太守軌會于江陵。江夏太守劉虔之邀之,軍敗見殺。公命彭城內史徐逵之、參軍王允之出江夏口,復為軌所敗,並沒。時公軍泊馬頭,即日率眾軍濟江,躬督諸將登岸,莫不奮踊爭先。休之眾潰,與軌等奔襄陽,江陵平。
軍は江陵に次す。初、雍州刺史の魯宗之は常に公に容れらる所と為らざるを慮り、休之と相い結び,是れに至りて其の子の竟陵太守の軌を率い、江陵にて會す。江夏太守の劉虔之は之を邀え、軍は敗れ殺さるる。公は彭城內史の徐逵之、參軍王允之に命じ、江夏口を出でども、復た軌に敗らるる所と為り、並び沒す。時にして公の軍は馬頭に泊したれば、即日には眾軍を率い江を濟り、躬ら諸將を督し岸を登り、奮踊し先を爭わざる莫し。休之が眾は潰し,軌らと與に襄陽に奔りたれば、江陵は平らぐ。
(宋書2-9_胆斗)
この辺は宋書
その辺を丸めると、「劉裕自らが先頭に立って武勇を示し、江陵を落城させた」と誤読させるような文章が作れるわけですね。勉強になります、
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