劉裕52 重鎮・司馬休之 

司馬休之しばきゅうし司馬懿しばいの弟の子孫である。


つまり東晋とうしん王室とは遠縁も遠縁なのだが、

代々その一門は盛名を博しており、

それはまた司馬休之の代に至っても

変わらなかった。


特に司馬休之には、荊州刺史けいしゅうししとして

江陵こうりょうに赴任して以来、周辺住民からの

人心を一挙に集めていた。


この様子に、劉裕りゅうゆう

司馬休之が謀反を

計画しているのではないかと疑っていた。


そこで司馬休之の兄の子、

司馬文思しばぶんしが建康で

やくざ者とたむろしているのを見て捕縛、

司馬休之のもとに送還する。


「こいつを適切に処分しろ」、

つまり、殺せ、という事だ。


が、そんな大したことを

したわけでもない甥を殺すなど、

いくらなんでも無茶振りが過ぎる。


司馬休之、司馬文思を貴族の立場から

廃し、庶人に落とすと表明。

その上で、劉裕には

謝罪の文書を送った。


は? それじゃねーよ。


「司馬休之はやはり

 自分の立場をわきまえていない」


司馬文思の振る舞いは建康の綱紀を、

よりにもよって「導くべき立場の」人間が

紊乱したことになるのだ。

これは、死をもってなお

余りある大罪である。


……くらいの難癖をつけてきた。


同じく建康にいた司馬休之の血族、

司馬文宝しばぶんぽう司馬文祖しばぶんそ

彼らを牢につなぎ、獄中で殺す。


その上で「晋の社稷しゃしょくを転覆させんと企む」

司馬休之討伐の軍を立ち上げた。




平西將軍、荊州刺史司馬休之,宗室之重,又得江漢人心,公疑其有異志,而休之兄子譙王文思在京師,招集輕俠,公執文思送還休之,令自為其所。休之表廢文思,并與公書陳謝。公收休之子文寶、兄子文祖,並於獄賜死,率眾軍西討。


平西將軍、荊州刺史の司馬休之は宗室の重なりて、又た江漢の人の心を得たれば、公は其の異志の有せるを疑う。休之の兄の子の譙王の文思の京師に在りて、輕俠を招集したるに、公は文思を執え休之に送還し、自らをして其の所を為さしめんとす。休之は文思を廢さんと表し、并せて公に書を與え陳謝す。公は休之が子の文寶、兄の子の文祖を收え、並べて獄にて死を賜い、眾軍を率い西に討つ。


(宋書2-7_讒険)




見てくださいよ、この清々しいほどの悪役っぷり! この辺になってくると沈約しんやくセンセーがどう頑張ってもフォローできてない感じだけど、ただ沈約センセーのベースって「晋から受け継いだ宋もせいも一応正当だけどクソ国家だから僕たちの偉大なるりょう蕭衍しょうえんサマが天下に号令掛けるのは至極当然!」って感じの主張になるから、この辺の劉裕の悪役っぽいふるまいも、多少立ち止まって考えはしたい。


別に悪役の振る舞いでもいいし、王者としての振る舞いが徹底できてない、そう言ったことも人間のやってることだから仕方ない。ただ、結局この本の意図は「梁武帝を称揚するための書」なんですよね。そのベクトルに気持ちいいくらいに沿っている記述ってのは、なんつーか、本来的には諸々の判断材料から外すべきなんだろうな、って思う。


敢えて判断材料にするとしたら、電光石火の奇襲で倒した劉毅りゅうき諸葛長民しょかつちょうみんと違い、正面切っての戦いとして展開した、ってことか。司馬休之の戦力評価、劉毅や諸葛長民よりはるかに下だったんだろうなあ。

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