劉裕43 遠望1     

盧循ろじゅん建康けんこうから敗走した後、

江陵こうりょうを襲撃するだろう。

劉裕りゅうゆうはそう予測し、

索邈さくぼうに騎馬隊を与えて、

陸路で江陵の援護に向かわせた。


また、孫処そんしょに三千の兵を与え、海伝いで

盧循の本拠地である番禺ばんうに向かわせた。



(大雑把な位置関係)

           ◆

        ◆◆◆◆

        ◆○ ◆

○江陵 ○盆口 ◆建康◆

◆◆◆◆◆◆◆◆◆  ◆

      ◆◆○尋陽◆

      ◆   ◆

   ◆      ◆

   ◆◆◆◆  ◆ 

      ○番禺◆

◆◆◆◆◆◆ ◆◆


(◆:河川や海)



劉裕の見立て通り江陵を襲撃した徐道覆じょどうふく

だがこの軍勢を、劉道規りゅうどうきが大破。

数万の首級を挙げた。

このため徐道覆は盆口ぼんこうまで撤退した。


さて江陵に向かおうとしていた索邈だが、

五斗米道軍の軍に阻まれ、

うまく進めないでいた。

が、徐道覆軍の敗走により、

挟み撃ちの形となった。


一方の、盧循。

江陵の消息は、五斗米道が遮断していた。

そのため建康にやってくる使者は、

「江陵は既に落ちている」

と言った誤報を持ち帰っていた。


が、索邈が敗走してきた徐道覆軍と

激突した、と知ると、状況が一変。

盧循は尋陽経由で、番禺に逃亡を図る。



その、番禺。

まさか海伝いで攻めてくるとは

考えていなかった守備兵たち。


確かに陸路の敵に対しては

万全の備えをしていた。

が、海からやってきた孫処軍、

五斗米道軍の船と言う船を焼き、

上陸、強襲。

瞬く間に番禺は落ちた。


番禺を占拠した孫処、

元々の住民たちは慰撫し、

五斗米道軍の中でも幹部連のみを

誅殺するように、と兵らに厳命。



なお、孫処の海伝いの進軍については、

誰もが反対をしていた。


何せ、海路はあまりにも遠い。

しかも、敢えて兵力を

三分しておく必要もない、と。


が、劉裕、聞く耳を持たなかった。

孫処に言っている。


「五斗米道軍については、

 必ず打ち破る。


 なのでお前には、番禺に先回りし、

 奴らの根城を叩いてもらいたい。


 そうなれば、奴らは敗走しても、

 逃げ場を失うからな」


そして劉裕の言ったとおり、

孫処は番禺での勝利を得るのだった。




循之走也,公知其必寇江陵,登遣淮陵內史索邈領馬軍步道援荊州。又遣建威將軍孫季高率眾三千,自海道襲番禺。徐道覆率眾三萬寇江陵。荊州刺史道規又大破之,斬首萬餘級,道覆走還盆口。初公之遣索邈也,邈在道為賊所斷,道覆敗後方達。自循東下,江陵斷絕京邑之問,傳者皆云已沒。及邈至,方知循走。循廣州守兵,不以海道為防。是月,建威將軍孫季高乘海奄至,而城池峻整,兵猶數千。季高焚賊舟艦,悉力而上,四面攻之,即日屠其城。季高撫其舊民,戮其親黨,勒兵謹守。初公之遣季高也,眾咸以海道艱遠,必至為難;且分撤見力,二三非要。公不從。敕季高曰:「大軍十二月之交,必破妖虜。卿今時當至廣州,傾其巢窟,令賊奔走之日,無所歸投。」季高受命而行,如期剋捷。


循の走りたるにては、公は其の必ずや江陵を寇ぜんと知り、登りて淮陵內史の索邈をして馬軍を領ぜしめ遣り、步道にて荊州を援ぜしむ。又た建威將軍の孫季高に眾三千を率いしめて遣り、海道より番禺を襲わしむ。徐道覆は眾三萬を率い江陵を寇す。荊州刺史の道規は又た之を大いに破り、萬餘級の首を斬り、道覆は走りて盆口に還る。初にして公の索邈を遣りたるに、邈は道に在りて賊に斷ぜらる所と為りたるも、道覆の敗れたる後にては方に達す。循の東下より、江陵は京邑との問いを斷絕せられ、傳者は皆な「已にして沒したり」と云う。邈の至れるに及び、方に知して循は走らんとす。循が廣州の守兵は、海道を以ての防を為さず。,建威將軍の孫季高の海に乘じて奄至せるに、城池は整いたること峻、兵は猶お數千なり。季高は賊が舟艦を焚き、力を悉くし上ち、四面にて之を攻め、即日にして其の城を屠とす。季高は其の舊民を撫し、其の親黨を戮せるを、兵を勒し謹守せしむ。初、公の季高を遣りたるに、眾は咸な海道の艱遠なるを以て、必ずや至りたるに難きと為す。且つ分撤見力せるに、二三を要せるに非ずと。公は從わず。季高に敕して曰く:「大軍の十二月の交は、必ずや妖虜を破らん。卿は今時、當に廣州に至り、其の巢窟を傾け、賊をして奔走の日にて、歸投せる所なからしめんとすべし」と。季高は命を受けて行き、期せるが如く剋捷す。


(宋書1-42_妙計)




索邈

鮮卑騎兵隊を任されている、という事は、おそらく投降將なのだろうか。立伝されていないのにもかかわらず、この辺りで異常な存在感を示している。そして今調べ直してみたら敦煌人とのこと。つまり涼州だ。いったいどんな来歴で劉裕のもとに辿り着いたんだ。めっちゃ気になるぞ。


孫処

盧循戦で突出した防衛戦功、追撃戦功を挙げている。しかし最後の最後で病を得る。ほぼ陣没と呼んでよい。無念だったろうな。

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