劉裕42 江陵を襲う   

五斗米道ごとべいどう軍は建康けんこうの襲撃を諦め、

尋陽じんようまで撤退した。


劉裕りゅうゆう、彼らに追撃をかけるため、

王懿おうい劉鍾りゅうしょう蒯恩かいおんを出撃させた。


一方で、自身は東府とうふ城入り。

水軍を編成する。


どの船も大艦。

五斗米道軍が配備していた

船にこそ及ばないものの、

十八メートル余の高さのある船だ。


一方、尋陽まで撤退した盧循ろじゅん

先ごろ無視した江陵こうりょう

改めてターゲットとする。

軍隊長の荀林じゅんりんに軍を率いさせ侵攻。


一方、江陵には別の軍も迫っていた。


桓謙かんけん

桓玄かんげんの簒奪の日が近づいていた時、

劉裕に簒奪についての評価を聞いた、

あの桓謙である。


かれは桓玄の敗北後一旦後秦に脱出。

そして後秦こうしんづてでしょく入りしていた。


そして、蜀は桓玄敗北ののち、

譙縦しょうじゅうという人物が毛璩もうきょを殺し、

独立を宣言していた。


そんな蜀に「荊州刺史けいしゅうしし」、

つまり荊州侵攻の責任者とされた桓謙、

譙縦の甥である譙道福しょうどうふくと共に、

二万の軍勢で江陵に進攻する。


ちなみに、長江を蜀側から下ると、

蜀、江陵、武昌ぶしょう、尋陽、建康となる。


蜀と尋陽からの侵攻、

つまり、挟み撃ちである。


だが江陵に駐屯していた劉道規、

逆境をものともせず、

枝江しこうと言う地で桓謙を討ち取り、

江津こうしんと言う地では荀林を打ち破り、

竹町ちくちょうと言う地で討ち取った。




羣賊自蔡洲南走,還屯尋陽。遣輔國將軍王仲德、廣川太守劉鍾、河間太守蒯恩追之。公還東府,大治水軍,皆大艦重樓,高者十餘丈。盧循遣其大將荀林寇江陵,桓謙先於江陵奔羌,又自羌入蜀,偽主譙縱以為荊州刺史。謙及譙道福率軍二萬,出寇江陵,適與林會,相去百餘里。荊州刺史道規斬謙于枝江,破林於江津,追至竹町斬之。


羣賊は蔡洲より南に走り、還りて尋陽に屯す。輔國將軍の王仲德、廣川太守の劉鍾、河間太守の蒯恩を遣りて之を追わしむ。公は東府に還り、大いに水軍を治め、皆な大艦重樓、高きは十餘丈なり。盧循は其の大將の荀林を遣わせ江陵を寇し、桓謙は先に江陵にて羌に奔り、又た羌より蜀に入り、偽主の譙縱より以て荊州刺史と為さる。謙、及び譙道福は軍二萬を率い、出でて江陵を寇し、適えて林と會い、相い去きたること百餘里なり。荊州刺史の道規は謙を枝江で斬り、林を江津で破り、追いて竹町に至りて之を斬る。


(宋書1-41_暁壮)




結構恐ろしい話が書かれている。


のちに劉道規の項で

語られることにはなるが、

この時の江陵は、完全に孤立している。


万が一ここが落されたら、

えらい事になっていた。


何せ東晋と言う国は二大軍閥、

北府と西府によって守られている。


本文中にも書いたが、

江陵は西府軍の本拠地。


つまり、劉道規が敗れていたとしたら、

西府軍が五斗米道&蜀連合軍の手に落ちる。


宋書はあっさり書いているが、

この五斗米道リベンジは、

状況を読めば読むほど

あらゆる点でヤバい。

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