劉裕41 功臣を斬る   

尋陽じんようでの劉毅りゅうきの敗北を受け、

袁興国えんこうこくという人物が歴陽れきようで叛旗を掲げ、

五斗米道軍ごとべいどうぐんと結託した。


この反乱に対応したのは、魏順之ぎじゅんし

桓玄かんげん打倒クーデターの功臣。

また、首謀者の一人である魏詠之ぎえいしの弟だ。


配下将の謝宝しゃほうを派遣、袁興国を斬る。

が、すぐさま袁興国の副将から

逆襲を食らった。


この逆襲で謝宝がどうなったかは

書かれていない。


が、いずれにせよ謝宝のピンチに、

魏順之は救援を寄越さず、撤収した。


怒った劉裕りゅうゆう、魏順之を切り捨てる!


たとえ功臣であっても、

命令違反があれば、斬り捨てる。


劉裕の方針に気付いた功臣達は

震えあがり、以降、命令違反は

鳴りを潜めたという。




劉毅之敗,豫州主簿袁興國反叛,據歷陽以應賊。琅邪內史魏順之遣將謝寶討斬之。興國司馬襲寶,順之不救而退,公怒斬之。順之,詠之之弟也。於是功臣震懾,莫敢不用命。


劉毅の敗せるに、豫州主簿の袁興國は反叛し、歷陽に據し以て賊に應ず。琅邪內史の魏順之は將の謝寶を遣りて討たしめ之を斬る。興國が司馬は寶を襲い、順之は救わずして退き、公は怒りて之を斬る。順之は魏詠之の弟なり。是れに於いて功臣は震懾し、敢えて命を用いざる莫し。

(宋書1-40_黜免)




袁興國

401年の孫恩そんおんの乱の時に殺されている袁山松えんさんしょうとの関係は少し気になるところだ。昨日の敵は今日の友、と言うのも有り得そうだし、北府指揮官系の家であった袁氏なわけだから、ぽっと出の劉裕なんぞに主導権握られるのが、的な方向も有り得るのかもしれない。



それにしても、これまで無謬の英雄として描かれていた劉裕なのに、この五斗米道戦で急に命令違反と、それに対する苛烈な処罰が描かれているのが面白い。南燕なんえん戦で劉裕は、脅しをかけてきた後秦こうしん姚興ようこうに対して「三年後にはお前らぶっ殺す」と言っている。つまり412年。だが、実際に後秦征伐に赴いたのは417年。5年ものブランクがある。ここには見立て違いがあった、と認識すべきなんだろう。劉裕が思っていたよりも、晋国内の統一は達成できていなかった。そいつを象徴しているのが、徐赤特じょせきとく、魏順之の命令違反。そんな印象。


それにしたって五年って、決して長い期間ではないと思うのですよね。この後に起こる劉毅との対決、これ失敗したら下手すりゃ国割れてたんじゃないかなって思うんです。それをあっさりと鎮めちまってる辺り、色々ヤバい。

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