劉裕40 首都防衛戦   

徐道覆じょどうふく新亭しんてい白石はくせきに停泊している船を

焼き払ったうえで上陸しようと思っていた。


が、盧循ろじゅんは優柔不断であり、

何事に対しても万全を要求してきた。


「晋軍の軍容はいまだ整わず、

 聞けば孟昶もうちょうも自殺したそうではないか。


 多くの者が、晋軍の自壊も時間の問題だ、

 と言っている。


 今ここで敢えて

 決戦を急ぐのは常道とは言えない。

 多くの兵を死傷させることになる。

 ここは持久戦の構えを

 取るに越したこともない」


と指示を下してきた。


このとき劉裕りゅうゆう石頭城せきとうじょうから

盧循の軍勢を眺め、はじめその矛先が

新亭に向いたのを見て、顔色を失いかけた。


しかし五斗米道軍は蔡洲さいしゅうに停泊した。


徐道覆の提案した作戦を、

盧循が棄却したのだ。


これを好機と見た劉裕は

軍勢を分け、越城えつじょうを修繕し、

查浦さほ藥園やくえん廷尉ていいの各所に陣を築き、

それぞれに防備の軍勢を出した。


劉敬宣りゅうけいせん北郊ほくこうに。

孟懷玉もうかいぎょく丹陽たんようぐん郡の西に。

王懿おういは越城に。

劉懷粛りゅうかいしゅく建陽門けんようもんの側に。


索邈さくぼうには鮮卑せんぴの騎兵千騎を与え、

遊軍として運用。


それぞれを五色石で彩らせ、布陣。

秦淮河しんわいがの北から新亭に移動する。


五斗米道軍の威容に誰もが恐れ怯えたが、

この頃には各地からの応援が

駆けつけていた。


開戦。


五斗米道軍は石頭城を抜こうと試みたが、

劉裕は弓兵隊を指揮し、

射撃のごとに大きく打撃を与えた。


盧循は石頭への攻撃を諦めた。

一方で南岸に伏兵を配しておき、

病人老人の乗った船を

建康の北の砦、白石に進めさせた。


劉裕は警戒のため

劉毅りゅうき諸葛長民しょかつちょうみんを連れて

白石へ急行した。


いっぽうでは徐赤特じょせきとくと言う武将に

南岸に駐屯させ、堅守の上

持ち場を離れぬようにせよと厳命した。


が、劉裕が立ち去ったところで

五斗米道軍は查浦を焼き上陸、

攻め上がった。


徐赤特の軍は敗北し、

数百余もの死者を出した。

徐赤特は残存の兵らを捨てて、

一人秦淮河を逃げ渡った。


数万もの五斗米道軍は、

ついに丹陽郡にまで押し寄せてきた。


それを聞いた劉裕は

諸軍を引き連れ、急ぎ帰還した。


人々は五斗米道軍が建康に

押し寄せることにおびえていたが、

しかし劉裕が守ってくれる、

と励まし合っていた。


劉裕は軍を一部分けて

石頭に帰還させたが、

誰もが疲労困憊の態だった。


そこで装備を外させ、湯浴みをさせ、

食事を与え、その上で改めて

南塘なんとうに配備した。


徐赤特は命令を違反したので、斬った。


それから褚叔度ちょしゅくど朱齡石しゅれいせきに命じ、

千余人の選抜隊を編成、秦淮河を渡らせた。


数千の五斗米道軍はみな長刀矛鋋を持ち、

鎧は日の光に輝き、猛然と進軍していた。


朱齡石が率いた軍は多くが鮮卑で、

徒歩でこそあったが、

矟を巧みに操り、陣形を組んで迎撃した。


五斗米道軍の武器とでは

およそ間合いが比べ物にならず、

瞬く間に数百人を殺した。



間もなく日没を迎え、

そのまま五斗米道軍は撤退した。




道覆欲自新亭、白石焚舟而上。循多疑少決,每欲以萬全為慮,謂道覆曰:「大軍未至,孟昶便望風自裁,大勢言之,自當計日潰亂。今決勝負於一朝,既非必定之道,且殺傷士卒,不如按兵待之。」公于時登石頭城以望循軍,初見引向新亭,公顧左右失色。既而回泊蔡洲。道覆猶欲上,循禁之。自是眾軍轉集,修治越城,築查浦、藥園、廷尉三壘,皆守以實眾。冠軍將軍劉敬宣屯北郊,輔國將軍孟懷玉屯丹陽郡西,建武將軍王仲德屯越城,廣武將軍劉懷默屯建陽門外。使寧朔將軍索邈領鮮卑具裝虎班突騎千餘匹,皆被練五色,自淮北至于新亭。賊並聚觀,咸畏憚之;然猶冀京邑及三吳有應之者。遣十餘艦來拔石頭柵,公命神弩射之,發輒摧陷,循乃止不復攻柵。設伏兵於南岸,使羸老悉乘舟艦向白石。公憂其從白石步上,乃率劉毅、諸葛長民北出拒之,留參軍徐赤特戍南岸,命堅守勿動。公既去,賊焚查浦步上,赤特軍戰敗,死沒有百餘人。赤特棄餘眾,單舸濟淮。賊遂率數萬屯丹陽郡。公率諸軍馳歸。眾憂賊過,咸謂公當徑還拒戰。公先分軍還石頭,眾莫之曉。解甲息士,洗浴飲食之,乃出列陳於南塘。以赤特違處分,斬之。命參軍褚叔度、朱齡石率勁勇千餘人過淮。羣賊數千,皆長刀矛鋋,精甲曜日,奮躍爭進。齡石所領多鮮卑,善步矟,並結陳以待之。賊短兵弗能抗,死傷者數百人,乃退走。會日莫,眾亦歸。


道覆は自ら新亭、白石にて舟を焚きて上りたるを欲す。循は多きを疑い決せるは少なく、每に萬全を以て慮りたるを為さんと欲したれば、道覆に謂いて曰く:「大軍の未だ至らざるに、孟昶は便ち風に望みて自ら裁す。大勢は之を言い、自ら當に計日にて潰亂せん。今、勝負を一朝にて決せるは、既にして必定の道に非ず、且つ士卒を殺傷さば、兵を按じ之を待ちたるに如かず」と。公は時にして石頭城に登り以て循が軍を望み、初にして引きて新亭に向いたるを見たるに、公は左右を顧みて色を失う。既にして蔡洲に回泊す。道覆は猶おも上りたるを欲せど、循は之を禁ず。是れより眾軍を轉集し、越城を修治し、查浦、藥園、廷尉に三壘を築き、皆な實眾を以て守らしむ。冠軍將軍の劉敬宣を北郊に屯ぜしめ、輔國將軍の孟懷玉を丹陽郡の西に屯ぜしめ、建武將軍の王仲德を越城に屯ぜしめ、廣武將軍の劉懷默を建陽門外に屯ぜしむ。寧朔將軍の索邈をして鮮卑を領ぜしめ、虎班突騎千餘匹を具裝せしむ。皆な五色を練りて被り、淮北より新亭に至りたり。賊は聚の並びたるを觀、咸な之を畏れ憚る。然れど猶お京邑、及び三吳より冀いたるに之に應じたる者有り。十餘艦を遣りて石頭柵を來拔せしむるに、公は神弩に命じ之を射たれば、發せるに輒ち摧陷し、循は乃ち止まりて復た柵を攻めず。伏兵を南岸に設け、使ち羸老を悉く舟艦に乘せ白石に向かわしむ。公は其の白石より步にて上りたるを憂れ、乃ち劉毅、諸葛長民を率いて北に出て之を拒がんとし、參軍の徐赤特を留め南岸に戍せしめ、堅守し動くこと勿らんと命ず。公の既にして去りたるに、賊は查浦を焚きて步にて上り、赤特が軍の戰に敗れ、死沒せるは百餘人有り。赤特は餘眾を棄て、單舸にて淮を濟る。賊は遂にして數萬を率い丹陽郡に屯ず。公は諸軍を率い馳せ歸る。眾は賊過を憂い、咸な公の當に徑還し拒戰せるを謂う。公は先に軍を分け石頭に還りたれば、眾に之れ曉なる莫し。甲を解き士を息ませ、洗浴せしめ之に飲食せしめ、乃ち出でて南塘に列陳す。赤特の處分に違いたるを以て、之を斬る。參軍の褚叔度、朱齡石に命じ勁勇千餘人を率い淮を過らしむ。羣賊は數千、皆な長刀矛鋋もちて、精甲は日に曜き、奮躍し爭いて進む。齡石の領せる所なるの多きは鮮卑にして、步矟を善くし、並べて結陳し以て之を待つ。賊の短兵に能抗せる能いたる弗く、死傷者は數百人、乃ち退走す。日の莫せるに會し、眾は亦た歸す。


(宋書1-39_暁壮)

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