劉裕38 孟昶の失敗   

劉毅りゅうきの敗北は人々を動揺させた。


北伐軍が帰還したとは言っても、

誰もがスタボロ。

まともに戦えるものは数千にも満たない。


いっぽうの五斗米道ごとべいどう軍は

建康けんこうに押し寄せる途上で

更にその軍容を膨らませ、

十余万もの兵力ともなっている。


そんな軍勢が、もう間近にまで

迫ってきているのだ。


逃げ帰ってきた者たちは、

誰もがその恐るべき強さを口にする。


孟昶もうちょう諸葛長民しょかつちょうみんは、

安帝あんていを奉じて北に逃れるべきと主張した。


劉裕りゅうゆうはそれらを一顧だにもせず、

孟昶の再三の要請をも撥ね退けた。


何無忌かむき、劉毅を破った奴らだぞ。

 そんな奴らが迫ってきて、

 誰もが恐れ、怯えている。


 そんなところで、陛下を逃がしてみろ。

 もはや崩壊は止められん。


 そうなったら、

 逃げだした先の奴らだって

 俺たちに味方するはずもないだろう!


 この戦い、先延ばしにはできんのだ。


 確かに兵は少ない、が、それでもなお

 一戦くらいは交えられるだろう。


 この局面さえ乗り切れれば、

 何とかなる。


 このせまりくる絶望も、

 俺が死んでも守り切ってやる。


 草間からこっそり

 嵐の過ぎ去るのを伺う、

 なんぞ許されるはずがない。


 ここでの決戦は確定事項。

 もはや、議論の余地はない!」



言い切った劉裕に対し、孟昶は

やはり恐れを抱いたままだった。

 

いったん下がると、書をしたためる。


「劉裕殿の北伐は、皆が反対致しました。

 その中で、私だけが賛同。


 つまり、五斗米道に此度の侵攻を

 許すだけの隙は、

 私がもたらしたのです。


 この危地は、我が罪。

 この身をもって、天下に謝罪いたします」


そして書を封印すると、薬を仰ぎ、死んだ。




毅敗問至,內外洶擾。于時北師始還,多創痍疾病。京師戰士,不盈數千。賊既破江、豫二鎮,戰士十餘萬,舟車百里不絕。奔敗還者,並聲其雄盛。孟昶、諸葛長民懼寇漸逼,欲擁天子過江,公不聽,昶固請不止。公曰:「今重鎮外傾,強寇內逼,人情危駭,莫有固志。若一旦遷動,便自瓦解土崩,江北亦豈可得至!設令得至,不過延日月耳。今兵士雖少,自足以一戰。若其克濟,則臣主同休;苟厄運必至,我當以死衞社稷,橫尸廟門,遂其由來以身許國之志,不能遠竄於草間求活也。我計決矣,卿勿復言!」昶恐其不濟,乃為表曰:「臣裕北討,眾並不同,唯臣贊裕行計,致使強賊乘間,社稷危逼,臣之罪也。今謹引分以謝天下。」封表畢,乃仰藥而死。


毅の敗したる問いの至れるに、內外は洶擾す。時にして北よりの師は始めて還りたれど、多きは創痍し疾病す。京師が戰士は、數千に盈たず。賊は既にして江、豫の二鎮を破り、戰士は十餘萬、舟車は百里を絕たず。敗れ奔りて還りたる者は並べて其の雄盛なるを聲す。孟昶、諸葛長民は寇の漸よ逼りたるを懼れ、天子を擁し江を過ぎらんと欲せど、公は聽かず。昶は固く請えど止まず。公は曰く:「今、重鎮の外に傾し、強寇の內に逼りたれば、人情の危駭せるに、固志を有せる莫し。若し一と旦び遷動さば、便ち自ら瓦解土崩し、江北を亦た豈に得べかるに至らんか! 令を設くるに至りたるを得らば、日月の延びたるに過ぎざるのみ。今、兵士は少きと雖ど、自ら一戰せるに足る。若し其を克濟さば、則ち臣主は休せるを同じうす。苟しくも厄運は必ずや至り、我れ當に死を以て社稷を衞り、尸を廟門に橫たえ、遂にては其の由來を以て許國の志に身し、草間にて遠竄し活を求む能わざりたるなり。我が計の決したれば、卿は復た言せる勿れ!」と。昶は其の濟まざるを恐れ、乃ち表せるを為して曰く:「臣、裕の北討せるを眾の並べて同ぜざれど、唯だ臣のみ裕が行計に贊じ、強賊をして間に乘ぜしめたるを致す。社稷に逼りたる危、臣の罪なり。今、謹みて引分し、以て天下に謝さん」と。表を封じ畢えたるに、乃ち藥を仰ぎて死す。


(宋書1-37_尤悔)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る