劉裕35 五斗米道の逆襲 

ところで南方では

孫恩そんおんから五斗米道ごとべいどうを引き継いだ

盧循ろじゅんが着々と軍備を整えていた。


そこへ今回の、劉裕りゅうゆうの南燕遠征。

これ以上ない、

リベンジのチャンスがやってきた。


盧循の参謀である徐道覆じょどうふく

今しかないぞ今しかないぞと

盧循に発破をかける。

が、全然盧循が動こうとしない。


なので手紙じゃらちが明かないと判断、

直接本拠地の番禺ばんうに乗り込んだ。

そして言う。


「劉裕が我々を放置してきたのは、

 ここが峰々を乗り越えたへき地であり、

 すぐさま攻撃をかけられるような

 場所ではなかったからです。


 そしていま劉裕は

 広固こうこ城の堅守にてこずり、

 そう簡単には引き返してこれません。


 ここを狙って、

 今まで養ってきた決死隊にて

 劉毅りゅうき何無忌かむきと言った者を

 攻め落とさねばなりません。


 今この一日を惜しんでおれば、

 南燕を平定した劉裕は数年もしない内に

 盧循様を建康に召喚し、

 殺そうとするでしょう。

 そして応じないことを大義名分とし、

 攻め寄せてくるはずです。


 そんなことをして劉裕に南下し、

 山々を乗り越えられてごらんなさい。


 盧循様の神武ですら、到底あれに

 抗えるものではありませんでしょう。


 このチャンスは逃せません、

 建康を落し、やつの本拠地を

 潰してさえしまえば、

 帰ってきたところで、

 やつに何ができるでしょうか」


こうして説き伏せられた盧循は、

ついに出陣した。


五斗米道軍が北上してきたと聞いた

南康なんこう廬陵ろりょう豫章よしょうと言った

南方諸郡の太守らは、

みな尻尾を巻いて逃亡するのだった。




公之北伐也,徐道覆仍有窺窬之志,勸盧循乘虛而出,循不從。道覆乃至番禺說循曰:「本住嶺外,豈以理極於此,正以劉公難與為敵故也。今方頓兵堅城之下,未有旋日。以此思歸死士,掩襲何、劉之徒,如反掌耳。不乘此機而保一日之安,若平齊之後,小息甲養眾,不過一二年間,必璽書徵君。若劉公自率眾至豫章,遣銳師過嶺,雖復將軍神武,恐必不能當也。今日之機,萬不可失。既剋都邑,傾其根本,劉公雖還,無能為也。」循從之,乃率眾過嶺。是月,寇南康、廬陵、豫章,諸郡守皆委任奔走。


公の北伐にて、徐道覆は仍ち窺窬の志を有し、盧循を虛に乘じ出でたるを勸めたれど、循は從わず。道覆は乃ち番禺に至りて循を說きて曰く:「本より嶺外に住みたれば、豈に此れの理極ならざりたるを以ちて、正に以て劉公は敵と為したるを難きとしたる故なり。今、方に兵は堅城の下に頓し、未だ旋りたる日有らず。此を以て死士を思歸せしめ、何、劉の徒を掩襲したらば、掌を反したるが如きのみ。此の機に乘ぜず、一日の安に保んずらば、若し齊を平ぐる後、小しく甲を息め眾を養い、一二年の間を過ぎずして、必ずや璽書にて君を徵さん。若し劉公をして自ら眾を率い豫章に至り、銳師を遣りて嶺を過がしまば、復た將軍の神武と雖も、恐るらくは必ずや當る能わざりたるなり。今日の機、萬にも失いたるべからず。既にして都邑を剋し、其の根本を傾かしまば、劉公の還りたると雖ど、為したるは能わざるなり」と。循は之に從い、乃ち眾を率い嶺を過ぐ。是の月、南康、廬陵、豫章を寇し、諸郡守は皆な奔走せるに委任す。


(宋書1-34_規箴)




盧循

孫恩の嫁婿。残忍な孫恩をしばしばなだめる役だった。その性格が優柔不断として現れ、敗因に。ただし、劉裕を最も追い詰めたのは彼だ。


徐道覆

五斗米道の参謀。というかこの人みたいなポジションなら何言わせてもセーフだから、「盧循が判断を誤った」ことを演出させるために適当なセリフでっち上げられてんじゃねえの感が半端ない。と言うのも、いくらなんでも「実際に打ち破った敵」についてコメントさせちゃうのはやりすぎです。予言者かっつーの。そこは沈約さん、さすがにちょっと書くのこらえるべきだったんじゃないかな……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る