劉裕34 兵法の機微   

劉裕りゅうゆうの参謀として

真っ先に名が上がる人物、劉穆之りゅうぼくし

智謀に長け、判断力も抜群。

なのでナンバーツーとして

常日ごろ重んぜられており、

あらゆる判断が劉穆之への諮問のもとに

下されているほどだった。


南燕なんえん攻めも佳境となっていた頃、

後秦こうしんの王である姚興ようこうが、

劉裕に使者を送ってきた。


そして姚興の意図を告げる。

以下のようなものだ。


「我々と南燕は隣国として

 深くよしみを通じている。


 こたび慕容ぼよう氏は

 晋軍侵攻の急事をもって

 我々に援軍を要請してきた。


 そこで重装騎兵十万を編成、

 洛陽らくようにまで進めている。


 貴様らがこのまま

 引かないというのであれば、

 騎兵らを広固こうこまで

 進める事となるぞ」


はぁ、そうですか。

劉裕さん、手紙を受け取ると

すぐに使者を呼び出し、返答した。


「おいお前、姚興に言え。


 ここをぶっ潰したら兵たちを休ませ、

 三年後くらいには

 お前のところも潰してやる。


 重装騎兵ですか(笑)

 どうぞどうぞ(笑)」


さあ、これを聞いて驚いたのが劉穆之だ。

劉裕の対応を聞き、

慌てて本陣に駆けつけるも時すでに遅し。

既に劉裕は使者を出発させてしまっていた。


「おう、穆之! 遅かったな」


喜々として使者とのやり取りを語る劉裕。

みるみる間に劉穆之の顔が

真っ青になっていく。


「あ、ぁああ、あんた常日頃私に色々と

 相談してきてくれてたじゃないですか!

 これだって重々に検討したうえで

 対応しなきゃいけないことでしょうに、

 なに勝手に対応しちゃってんですか!


 そんなんで怯えてくれる

 相手でもないでしょう、

 むしろ怒らしてるじゃないですか!


 広固城落さないうちに重装騎兵十万が

 押し寄せてきたらどーすんですか!

 私知りませんよ!」


めっちゃ焦ってる。

劉裕爆笑。


「戦いの機微、ってヤツだよ。

 実務畑のお前に話しても仕方ないから

 言わなかったのさ。


 いいか、兵は神速を貴ぶ。

 実際のところ、本当に奴が

 救援を派遣できるって判断したんなら、

 それを悟られたくないって思うだろう。


 そこを考えれば、こんな威嚇に

 従う必要なんてあると思うか?


 こっちの南燕討伐に

 ビビっての虚勢だよ、虚勢」


この後の劉穆之のリアクションは、

史書には載っていない。




錄事參軍劉穆之,有經略才具,公以為謀主,動止必諮焉。時姚興遣使告公云:「慕容見與隣好,又以窮告急,今當遣鐵騎十萬,逕據洛陽。晉軍若不退者,便當遣鐵騎長驅而進。」公呼興使答曰:「語汝姚興,我定燕之後,息甲三年,當平關、洛。今能自送,便可速來。」穆之聞有羌使,馳入,而公發遣已去。以興所言并答,具語穆之。穆之尤公曰:「常日事無大小,必賜與謀之。此宜善詳之,云何卒爾便答。公所答興言,未能威敵,正足怒彼耳。若燕未可拔,羌救奄至,不審何以待之?」公笑曰:「此是兵機,非卿所解,故不語耳。夫兵貴神速,彼若審能遣救,必畏我知,寧容先遣信命。此是其見我伐燕,內已懷懼,自張之辭耳。」


錄事參軍の劉穆之は經略の才具を有し、公は以ちて謀主と為し、動止にては必ず焉に諮る。時にして姚興は使を遣りて公に告がしめて云えらく:「慕容と隣好せるを見るに、又た窮なる以て急を告げ、今、當に鐵騎十萬を遣り、洛陽を逕據す。晉軍の若し退かざらば、便ち當に鐵騎を遣りて長驅し進ましめん」と。公は興が使を呼びて答えて曰く:「汝、姚興に語るべし。我れ、燕を定めたるの後、甲を息ましむること三年、當に關、洛を平らげん。今自ら送りたる能わば、便ち速やかに來たるべし、と」と。穆之羌の使の有るを聞きて馳せ入りたれど、公は遣さるるを發し已にして去しる。興の言いたる所と并せて答えたるを以て、具さに穆之に語る。穆之は公に尤して曰く:「常にして日事の大小無く、必ずや與に之を謀りたるを賜わりたり。此れ宜しく善く之を詳らかとすべし、云何ぞ卒爾として便ち答えたらんか? 公が答えたる所の興が言、未だ敵を威せるに能わず、正に彼をして怒らしめるに足りたるのみ。若し燕を未だに拔きたるべからざるに、羌が救の奄至せば、審らず、何をか以て之を待せんや?」と。公は笑いて曰く:「此れや是れ兵が機にて、卿が解せる所に非ざれば、故に語らざるのみ。夫れ兵は神速を貴びたり、彼れの若し救を遣りたること能いたるを審ざば、必ずや我が知りたるを畏れん。寧んぞ先にて信を遣り、命ぜるを容れんか? 此れや是れ、其れ我が伐燕を見、內にては已に懼れを懷き、自ら之を張りたる辭なるのみ」と。

(宋書1-33_王度)




ここで劉穆之が南燕討伐に参加していた、と言う情報は、別の意味で大きな意味合いがある。後日劉穆之は劉裕軍団の要石として、都建康けんこうを鎮守する役回りを負う。っが、今はまだ遠征に従軍する立場。


では、この当時の建康は誰が守っていたか。クーデターの段階で劉裕の副官の座についていた孟昶もうちょうだ。そして孟昶、この後の五斗米道の乱にて「自殺する」。そして劉穆之は、この孟昶の後釜に座る。うーん、美味ですねーこの展開。


劉裕はこの後広固を陥落させ、慕容超は殺されました。っが、劉裕の北伐の隙を虎視眈々と狙っていた勢力があります。


五斗米道。敗戦のショックで自殺した孫恩に変わり、その娘婿であった盧循が統率。一大勢力となって南方で勢力を蓄えていたのです。まて次回! テンテケテケテケ!

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