劉裕26 太原王氏凋落す 

桓玄かんげん尋陽じんように到着したとき、

江州刺史こうしゅうしし郭昶之かくちょうし安帝あんていの乗る輿や諸物資を守っていた。

桓玄はこれを攻めて二千余人を捕虜として得、

安帝を捕えて江陵こうりょうへと逃亡した。

冠軍将軍かんぐんしょうぐん劉毅りゅうき輔國将軍ほこくしょうぐん何無忌かむき振武将軍しんぶしょうぐん劉道規りゅうどうきの諸軍が追った。



太原たいげん王氏の王愉おうゆ王綏おうすい親子は、

歴陽れきよう辺りで権勢を利かせていた。


特に王綏は己が

名族の生まれであることを鼻にかけており、

平民出の劉裕りゅうゆうを常々軽んじていた。


更に言えば王綏、桓玄かんげんの娘を

嫁にもらったりしている。


もうどこからどう見ても

反逆の疑いしかない。


なので劉裕、彼らを殺した。




玄經尋陽,江州刺史郭昶之備乘輿法物資之。玄收略得二千餘人,挾天子走江陵。冠軍將軍劉毅、輔國將軍何無忌、振武將軍劉道規率諸軍追討。尚書左僕射王愉、愉子荊州刺史綏等,江左冠族。綏少有重名,以高祖起自布衣,甚相凌忽。綏,桓氏甥,亦有自疑之志。高祖悉誅之。


玄の尋陽を經るに、江州刺史の郭昶之の備う乘輿・法物を之に資す。玄は收略し二千餘人を得、天子を挾み江陵に走ぐ。冠軍將軍の劉毅、輔國將軍の何無忌、振武將軍の劉道規は諸軍を率い追討す。尚書左僕射の王愉、愉が子の荊州刺史の綏ら,江左が冠族なり。綏は少きより重名を有し、高祖の布衣より起ちたるを以て、甚だ相い凌忽す。綏、桓氏が甥にして、亦た自疑の志を有す。高祖は悉く之を誅す。


(宋書1-26_仇隟)



王愉、王綏

謝安と共に桓温から晋朝を守った王坦之おうたんしの息子と孫。ついでに言えば王愉は王国宝おうこくほうの兄でもある、もっとも仲は悪かったようだが。言ってみれば太原王氏の嫡流筋であり、放っておいても権勢がデカかった人たち。しかしこの書かれ方だと「あらあら、本当にあなた方劉裕を排除しようと目論んだんですの?」とかは伺わずにもおれなくなる。そりゃ軽詆じゃなく仇隟に入れたくもなろうってもんです。

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