劉裕2  千人斬り    

東晋とうしん末、安帝の時代。

劉裕ははじめ、将軍の孫無終そんむしゅう

副官として仕えていた。


やがて海岸部を中心に多くの民衆、

豪族を巻き込んだ反乱が起きた。

孫恩そんおんの乱という。


乱の勢いは凄まじく、

都、建康けんこうから見て東南の街、会稽かいけいが、

孫恩の手に落ちてしまった。


東晋政府、孫恩を倒すため、

大宰相謝安しゃあんの息子、謝琰しゃえんを派遣した。

前鋒には、肥水ひすいの戦いで

活躍した将軍、劉牢之りゅうろうし


同じ彭城ほうじょう人ということもあり

劉牢之に目を掛けられていた劉裕りゅうゆう

劉牢之の幹部として招かれていた。


海岸沿い、反乱軍の勢力が

強いエリアを選び、謝琰軍は進む。

そして道中の郡で、遂に遭遇。

反乱軍は道沿いに陣取っているようだった。


そこで劉牢之、劉裕に

数十人を引き連れさせ、偵察に向かわせる。


敵の数は数千人。

そんな彼らに、見つかってしまう。


たちまち囲まれた劉裕たち。

劉裕は自ら先頭に立ち、長刀を振るう。

多くの部下を失ったが、

劉裕の戦意は衰えない。

多くの敵を殺傷した。


一方劉牢之の陣では、

劉牢之の息子、劉敬宣りゅうけいせんが、

いつまで経っても劉裕が帰ってこないことを

気に掛けていた。


まさか、敵に見つかったのでは?


そこで劉敬宣、軽騎兵を引き連れ、出陣。

まさに劉裕が交戦していたところに

駆けつけた。


騎兵に駆けつけられてはどうしようもない。

反乱軍たちはたちまち逃げ出した。

なので劉敬宣は、そのまま追撃、

千人余りを斬り、捕らえた。


謝琰軍はさらに進撃し、会稽を平定。

孫恩軍は、海上の島に逃れるのだった。




初為冠軍孫無終司馬。安帝隆安三年十一月,妖賊孫恩作亂於會稽,晉朝衞將軍謝琰、前將軍劉牢之東討。牢之請高祖參府軍事。牢之至吳,而賊緣道屯結,牢之命高祖與數十人覘賊遠近。會遇賊至,眾數千人,高祖便進與戰。所將人多死,而戰意方厲,手奮長刀,所殺傷甚眾。牢之子敬宣疑高祖淹久,恐為賊所困,乃輕騎尋之。既而眾騎並至,賊乃奔退,斬獲千餘人,推鋒而進,平山陰,恩遁還入海。


初め冠軍の孫無終が司馬と為る。安帝の隆安三年十一月、妖賊の孫恩は會稽にて亂を作し、晉朝の衞將軍の謝琰、前將軍の劉牢之は東に討つ。牢之は高祖に請うて府が軍事に參ぜしむ。牢之の吳に至るれば、賊は道に緣りて屯結し、牢之は高祖に命じ數十人と賊の遠近を覘かせしむ。賊び至れるに會遇し、眾は數千人、高祖は便ち進みて戰う。將人の多きが死にたる所にて、而して戰意は方厲、手ずから長刀を奮い、殺傷さる所甚だ眾し。牢之が子の敬宣は高祖の淹久せるを疑い、賊に困りたる所と為るを恐れ、乃ち輕騎にて之を尋ぬ。既にして眾騎の並べて至りたるに、賊は乃ち奔退し、斬り獲りたるは千餘人、鋒を推して進み、山陰を平らぐらば、恩は遁げ還りて海に入る。


(宋書1-2_暁壮)




千人を斬ったよ!(劉敬宣が)


孫恩

五斗米道の乱の主導者。正直最初押せ押せで劉牢之軍来た瞬間負け続けって、晋の中央軍がカスだって証明になってるような。


謝琰

謝安の息子。将軍として割とブイブイ言わせてこそいたものの、思いっきり油断して調子こいてたら孫恩にぶっ殺された。


劉牢之

劉裕の上司、ということになる。「名将」として知られているのだが、対外戦案外弱いですよね、この人……まぁ相手が慕容垂とか言うバケモノだから仕方ないけど。


劉敬宣

劉牢之の息子。父死後の亡命生活を経て劉裕の部下に。蜀遠征で兵の過半を失う大敗、謀反で殺されるなど、結構パッとしない。

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