城下にて

コオロギ

城下にて

 あのライトアップされた城に、城主様とやらが住んでいるらしい。

 春夏秋冬、何かしらの催しが行われていることは知っていても、ここに越してきて二年、一度も見に行ったことがない。

 城主といっても、この町の政治を行っているわけではない。昔からここに住んでいる会社の同僚いわく、天然記念物のようなもの、らしい。かれこれ三百年ほど生きているそうだが、それも町の住人たちからの善意で命を分けてもらってのことだそうで、じゃあそれがなくなったらどうなるのかといえば「まあ、死んじゃうだろうね」ということだった。「でも天然記念物だからさ、そんなことにはならないと思うよ」と同僚は手元の端末を弄りながら付け足した。

 そんな、自分とは縁もゆかりもない城主様が死にかけているということを知ったのは、年の瀬も押し迫った今年最後のゴミ出しの帰りだった。ちょうどアパートの管理人が掲示板の掲示物を貼り替えているところで、『シャトー灯里の住民の皆様』という文字が目に留まったのだった。その筆文字がえらく達筆で、今時手書きなんてめずらしいなと読み進めると『灯里城城主容態につき』『芳しくなく』『常日頃ご協力いただき』『誠に心苦しい』『お命をお分けいただきたく』と、城主様の容態がかなりまずいことになっていることがさらりさらりと書かれていた。

 部屋に戻りカーテンを開くと、川を隔てた山の天辺に、ちょこんとお城が載っかっているのが見える。今日も昨日と何も変わった様子はない。しかし今ごろ、お城の中では女中さんだとかが慌ただしく走り回っているのだろう。

 ベランダの隅っこには空っぽの小さな植木鉢が一つ放置されている。もともとは観葉植物が植わっていたのだが、今年の夏に枯らしてしまった。梅雨の引き続いた七月あたりに、どうやら根腐れを起こしたものらしかった。雨が上がり、布団でも干そうかと本当に久しぶりにベランダに出たとき、観葉植物は姿を消していた。「家出したんじゃね」と友人には笑われたが、僕が存在をすっかり忘れて放置していた間に、観葉植物は無言のうちに枯れ果ててしまっていたのだった。

 端末に『灯里城』と打ち込むと、掲示板と同じ内容の文章がディスプレイに表示された。『命分けについてのお願い』という項目に進むと、一時間、半日、一日のコースを選択できるようになっていた。

 長いほうがいいのだろうと一日を選択し、連絡先を入力して送信すると、三十分もしないうちに電話が鳴った。

 あまりに恭しい挨拶をされるので、何か自分が不釣り合いなことをしているような気にさせられながらも、なるべく早いうちに来てほしいとのことで、『本日一時間後、城内にて』と決まった。

 電話を切り時間を確認すれば、午前九時を過ぎたところだった。朝食がまだだったと冷蔵庫に向かい、そういえば城内に自転車置き場はあるのだろうかとふと疑問が浮かんだが、まあどうにかなるだろうと気にしないことに決め冷蔵庫を開けた。


 城内に自転車置き場はないらしい。僕を待ち構えていた家臣であるという男がさっと僕から自転車を取り上げどこかへ運んでいき、また別の家臣の男がこちらへ、と僕を案内した。

 ロープウェイが走っており、途中まではこれで向かうとのことだった。「秋には紅葉が美しいですよ」と家臣の男がぽつりぽつりと見どころを紹介してくれるのだが、その表情は暗い。城主様の容態のことなど聞ける雰囲気ではなく、ひたすら相槌を打ち登っていく。

 ロープウェイを降りると、石の積み上げられた城壁がそびえ立っていた。いつもは手のひらに収まる大きさでしか見たことのなかった天守を見上げていると、こちらですと声を掛けられた。

 ここでお待ちください、と通されたのは四方を襖に囲まれただだっ広い部屋だった。畳のい草のにおいで満ちたその部屋には、真っ白な簡易ベッド、血圧計、小型冷蔵庫が真顔で鎮座していた。

 部屋の真ん中あたりにちゃぶ台と座布団が敷かれ、そろそろと正座をすると驚くほど膝が沈み込んだ。

 しばらく待っていると、入ってきた方向とは反対の襖がすっと開いた。失礼いたしますと入ってきたのは白衣姿の女だった。マスク越しでさえ、家臣の男たちと同様にひどく顔色の悪いことが窺えた。

 看護師は僕と目が合うと「あら?」と首を傾げた。

「初めての方かしら」

「はい」

 あらあら、と看護師は笑い、手元の書類をぺらりと捲った。

「随分とお若いから驚いてしまったわ。最近はもうずっと、昔馴染みの方しか来られないから」

 看護師は書類にチェックを入れながら続ける。

「命分けも初めてかしら。大丈夫、寿命が削られたりはしないから。今日、体調は良いかしら? 体調不良なのに無理をしてひっくり返ってしまう方がたまにいるのよ」

 ありがたいことではあるのだけれど、と看護師は肩を竦めた。

「それでベッドがあるんですね」

「そうそう。一応、血圧だけ測らせてもらうわね。腕を出してくださる?」

 腕を差し出すと、看護師は慣れた手つきでくるりと測定器を巻き付けた。

「はい、私の手を握って。……うん、問題ないわ。それじゃあ、今日一日、ここでゆっくりしていってね」

「え?」

 それで終わり? と僕が驚いていると、立ち上がりかけていた看護師はまた「あら?」と口元に手を当てた。

「命分けって、何もしないんですか」

 ああ、と看護師は頷くと、えっとね、と座りなおす。

「命分けっていうのは、簡単にいうと、他人から体力を奪うことなの。目には見えないけれど、今まさに、あなたの体力は少しずつ奪われている最中なのよ」

 思わず自分の体を見回してしまうが、何も感じない。

「ふふ。あなたは若いから、さほど感じないかもしれないわ。お年を召した方だったり、まだ小さな子どもだったりすると、倒れてしまうこともあるのよ。病に罹っている方だったら、下手をすれば命を落とすことになるわ」

 だから看護師がいるのだなと、やっと合点がいった。

「それでも、命分けをされるんですね」

「そう。肝に銘じなければならないわ」

 そういえば、と看護師は思いついたように云い、僕の目を覗いた。

「あなたはなぜ、命分けされようと思ったの?」

 掲示板を見て、というのでは答えになっていない気がして、植物を枯らしてしまったもので、と正直に答えたのだが、続きを促すように看護師が首を傾げたので、僕は洗いざらい、罪を告白するように話した。

「……そういうわけですから、僕が命分けをするのは、とても不純な理由なんです。城主様のことも、今朝初めて知ったほどで」

「なるほどね」

 看護師は片手を頬に当てて目を細めた。そして少し考えるような間をおいてから顔を近づけ、実はね、と声を潜めた。

「この先に、城主様がいらっしゃるの」

 僕と看護師が入ってきた間の襖を看護師は指さした。

「この人はあまり体調がよろしくないなとか、この人は病を押してここへ来ているのだなとか、そういうことがお分かりになるのですって。『この者は悪しき心を持っている』とか。そういう方には、申し訳ないけれどお帰りいただいているのよ」

 看護師は黙り、城主様がいるという目の前の襖へ耳を当てた。

 数秒間の沈黙が流れると、看護師はよし、と頷いた。

「あなたは何も問題ないようね。安心したわ」

 ぽかんとして僕は看護師を見た。その顔は相当の阿呆面だったのだろう、看護師は口元を手で押さえながらふふふふと笑っていた。

「……そうですか。良かったです」

 慰められたのだと気づきなんとなく目を逸らしてしまうと、看護師はまたあらあらと云って笑った。

「では、ごゆるりと」

 看護師は優雅に頭を下げ、すっと部屋を出ていった。

 そのあとはもう、日が暮れるまでただひたすらにごろごろして過ごした。お昼に運ばれてきたおかずの多すぎるお膳を完食すると急激な眠気に襲われ、ふと気がつけば横になった身体に毛布が掛けられていた。

 あの看護師の云っていたことは本当だろうか。ぼんやりした頭が疑問を生成したが、さすがに襖を開けて確かめる気にはならなかった。目の前の襖一枚隔てたところに、城主様は存在するのかもしれないし、しないのかもしれない。これってなんだっけ、何とかの猫。いや、あれってそもそもそういう確率の話ではないんだったっけ? などとどうでもいいことを考えていたら知らないうちにまたうとうとと眠ってしまっていた。

 帰りもまた、青白い顔をした家臣の男に「春には桜が見事ですよ」と教わりながらロープウェイで麓まで送ってもらった。そこには行きに乗ってきたときより明らかに状態のよくなった自転車が待機していた。

 背中に何度も感謝の言葉を受けながら、そのたびに僕はちりんちりんとベルを鳴らしながら帰路についた。

 玄関を抜けると、ライトアップされた灯里城が真っ暗な部屋の中に浮かび上がっていた。カーテンの開け放たれた窓は映画のスクリーンのようで、何度だって見た景色のはずなのに、今日見るこの夜景は別物に見えた。あそこに、ついさっきまで自分はいたのだということが、まったく信じられなかった。

 早くよくなりなすように。今更ながら手を合わせ、そうして僕の年末は終わっていった。


 城主様が全快なさったという報せが入ったのは、三月になってすぐのことだった。

『皆々様にご協力いただき』『有難きこと』『快方へと向かい』『心よりの御礼を』と、あの達筆な文字が掲示板に貼りだされていた。

 情報は先にネットで知っていたのだが、その掲示を見て本当にもう治ったのだと実感が湧いた。

 『来る四月一日の春祭には、是非灯里城へお越しくださいませ』。文はそう締めくくられていた。冬の祭りは当然ながら見送られたため、春祭りはいつもより盛大に行われると近所ではもっぱらの噂になっていた。僕は休暇をとり、初めて祭りを見に行くことにした。

 三か月ぶりのロープウェイから見下ろした景色は、家臣の男の宣伝通り、それは見事だった。花弁のひらひらと飛び交う中、くるりくるりと回る踊り子たちの舞もたいそう美しく、出店屋台でもなかなかお目にかかれない珍品を堪能した。

 しかしその記憶は、その後起きたある出来事によってなんとも頼りない断片的なものになってしまった。そのとき僕はすぐさまそのことに気づき、一刻も早くこの場を離れようと回れ右をしたのだが、詰めかけた人の多さに身動きがとれないまま、とうとうそれは始まってしまったのだった。

 城主様が住民への感謝の言葉を述べている間、じわじわと羞恥心が喉のあたりから身体の末端まで広がっていくのをどうすることもできなかった。気づかれませんようにと、ただひたすら僕は心の中で祈っていた。

 あらあら、という城主様の笑い声と集まった人たちの歓声が城内に響いて、僕は深く、深く項垂れた。

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