リンはお嬢様をお守りします。
夜道
序章の序章
メイドは幸せです
「お嬢様、ご気分はいかがですか。」
「…ええ、大丈夫よ。心配しなくていいわ。」
このやり取りをしたのはもう何日目だろうか。
お嬢様と呼ばれたこの少女は、生まれつき体が弱く、外に出ることが出来ない。ちょっとした運動をしただけでも、すぐ倒れてしまう。そのため、基本はベッドに篭りっきりだ。
私はメイドのリン。お嬢様の代わりとなって家事をこなすのが仕事だ。
他にも、夕方になるといつも紅茶を部屋へ持っていき、お嬢様と談話する。それも仕事のうちだ。
「お嬢様、紅茶をお持ちしました。」
「…いつも悪いわね、リン。」
「いえ。私はお嬢様の…メイドですから。」
「そう。ありがとう。」
そんな会話を済ませた後、静かに部屋を出て、次の仕事へと向かう。
「…次は食堂を掃除しなければなりませんね。…む。」
ふと廊下の窓から外を見ると、真紅の夕日が差していた。山は陰り、空は紫がかる。
誰もが思わず見惚れてしまうような夕日に、リンも足を止めていた。
「綺麗な夕日…。もう、こんな時間なのですね。」
今日もあっという間に日が沈んでいく。当たり前の事なのだが、なんだか物思いにふけってしまう。たいてい夕方とは、そんな時間だ。
掃除を片付けた後、夕食の支度へと向かう。
今日の夕食は手作りハンバーグだ。お嬢様のお気に入りで、リンの一番の得意料理でもある。
「さて。お嬢様のお部屋にお持ちしましょうか。」
トレーに食事を並べ、持ち運んでいく。
その時だった。
「きゃああああああああ!」
お嬢様の叫び声。リンはすかさずトレーを置き、廊下を軽やかに走り抜ける。
すると、お嬢様の部屋の前には、座り込むお嬢様とそれに覆い被さるように佇む黒い影。
「…リン!お願い、助けて!」
涙目で強く訴えるお嬢様に、リンはにっこりと微笑んだ。そして、黒い影を睨みつける。
「…
するとリンは懐から一枚のカードのような物を取り出した。そして、カードを上に掲げる。
「
そう唱えると、掲げたカードが強く光り、リンの手には一本の剣が握られる。リンは剣を構え、もう一枚のカードを取り出す。
「
今度は持っていた剣が強く光り、次の瞬間には雷を纏う。近づくだけでも焼け焦げてしまいそうな雷刃を構え、リンは怪異へと駆けていく。
リンが怪異の先に一歩踏み込む。リンと怪異が交差したその時。
怪異は言葉通り一刀両断された。
「グォォ…。」
声にならない声を上げて怪異は沈んでいく。
近くに座り込んでいたお嬢様の目には、光が戻っていた。
お嬢様は、最初は口をパクパクさせていたが、ようやく声になると、まず感謝の言葉を言った。
「い、いつも、ありがとう…リン。私のために、戦ってくれて。」
「いいえ、問題ないのです──。」
たしかに、リンにとってはなんでもない事だ。
だって、だって──。
「私はお嬢様の、メイドですから。」
今日一番の笑顔で、お嬢様にそう声をかける。
お嬢様は一瞬悲しげな顔をしたが、すぐに微笑み返して手を差し出す。
「ふふ、立てなくなっちゃった。リン、手を貸して頂戴。」
「……ええ、もちろんです。」
そうしてお嬢様は立ち上がり、リンの手をしっかり握ったまま部屋に入る。その手はまだ、少し震えていた。
「よっこらしょ…ふう。」
お嬢様は再びベッドへと入り、安心したように目を閉じる。
月明かりが差し込んで、お嬢様の顔を照らしている。
「…実はね、さっきの、そういう意味でいったんじゃないんだ。」
どこか寂しげな声で語り出すお嬢様。
「ほら、さっき『いつもありがとう』って言ったでしょ。それのこと。」
「…というと?」
予想外の言葉に、思わずリンは聞き返してしまった。
月は雲に隠れ、お嬢様の顔が暗くなる。
「本当はね、こんな
お嬢様はまるで台本でも用意していたかのように淡々と話す。
「だから私、今日はリンの力を借りなくてもいいようにって、一人で部屋を出たんだ。…そしたら、襲われちゃった…。」
ごめんなさい、と作り笑顔で微笑むお嬢様。リンは驚きと嬉しさを隠せず、また悲しくもあった。
「…お嬢様。間違えていることがありますよ。」
「えっ?」
リンの反撃に、お嬢様は思わず声を漏らす。
「確かに、お嬢様に代わって家事をする事も、お嬢様とお話しをすることも、お嬢様を、
リンは自分でも気づけなかった想いを、今自然に話すことが出来ているのだろう。
「それよりも、全て。全ては、お嬢様の幸せのために。頑張っているんですよ。…だから……ちっとも辛くなんて、ありません。」
「リン…」
お嬢様は窓の方を向き、月を眺める。リンの名前を呼ぶその声は、少し涙声だった。
「リン…月、綺麗だね。」
「ええ…そうですね。『メルお嬢様』。」
これはこの幽霊屋敷を舞台に起こる物語の、序章の序章に過ぎない。しかしこの先、彼女らがどう生きていくかは、神のみぞ知る…いいや、メイドのみぞ知ることであろう。
リンはお嬢様をお守りします。 夜道 @kuro_melt
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