黒寮の住民
扉を開ける動作がトリガーとなって、異界と現世の移動は可能になる。
これが基本原則なのだが、時間の指定、空間情報を立体として認識できているかどうかといったことも重要になってくる。
移動自体は平面座標上を点から点へ移るようなものだが、
終着点の定義が曖昧だと、土の中に足が埋まった状態でワープしてしまったり、人の真上に座標を定めると最悪の場合どちらかがスプラッタだ。
要は、一度行ったことがある場所かつ、人が確実にいない場所であれば安全に移動できるという仕組みである。
さて。
場所も時間も自由に移動できるとなれば、
アイギス様が死刑に至った経緯を明らかにするよりも、過去に戻って問題そのものを取り除く方法を探したほうが簡単かもしれない。
しかし、時間軸の定義が難解で、そう簡単に事は運ばず。
過去が一つだとしたら、そこから何通りかの未来(ルート)が生まれる。
現在から現在の移動とは違い、過去と未来を行き来する場合、無限にある条件付確率を導き出したうえで、その中から一つを選ぶ必要がある。
術者が生まれてから死ぬまで過ごしてきた一コマ一コマから、分岐を作り、そこからさらに分岐をつくる。
途方もない作業をすればいつか解を導き出せるかもしれない。
老衰するまでにできるだろうか。
無理だろう。
仮に異界に閉じこもって成長を止めたとしても、その間別の分岐で時は過ぎ、演算領域が増えるだけだ。
時間軸の定義は不可能と悟った私は、おとなしく現世で復讐を果たすことにした。
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ドンドンドンドン。
第二関節ではなく、拳を扉に叩きつけるようにしてノックする音が、ぼんやりと聞こえ、目を開けると部屋には西日が差していた。
来訪者のあたりをつけながらベッドを降り、室内履きに足を通す。
そして、ペタペタと音を鳴らしながら扉まで歩いていき、ドアを内側に引くと、黒髪と漆黒の目と、耳元の魔道具が目についた。
私とそう変わらない背丈の女性かつ、黒寮にいるとなると一人しかいない。
「寮長、」
「今すぐエントランスホールに来い」
「はあ、えっと?」
入学式から思っていたのだが、うちの寮長は無駄がない。
今だって、開口一番「扉を開けるのが遅い」というのが一般的なパターンだが、寮長は最低限の情報を伝えるに終始した。
中々に頭がキレると感じられた。
そして、頭を軽く傾け、もう少し説明が欲しい旨を伝えると、
「寮で話し合いたいことがある」とのことだった。
取り急ぎ、壁に掛けてあった白い法衣を羽織り、帯を締める。
部屋着で出ていくより幾分かマシだろう。
そして袂から鍵を出して、施錠すると、寮長は歩き出した。
手櫛で髪を整えながら、階段を一段づつ降りる。
途中、なんとなく寮長の後ろ姿を目で追った。
二歩先で動く黒い点、
ではなく寮長の頭は、
ろうそくの灯を受けて刃筋のように艶がかっていた。
ターンするごとにちらりとみえる目は漆黒。
耳には穴をあけられ、
魔力制御に用いられる魔道具が嵌め込まれているにもかかわらず、
漏れ出る魔力。
間合いに入ればさすがに分かる。
蠢く魔導を注視して見えた色味は、黒に近い紫。
ゆらゆらと。
影ではない、何か。
恐らくは魔素が意志を持って、寮長の体から出てこようとするエネルギー体はどうも私に興味があるらしい。
寮長は階段を変わらぬ速度で降りながら視線で探ってくる。
紫色の魔素は闇属性。
最も強力で、制御の難しい属性。
かつ希少種。
光属性が善とされるハイレガード王国において、闇属性は歓迎されない。
国中の子供たちが幼少期に聞かされる創世記。
「地の底から『死』や『疫病』、全ての禍が押し寄せた」
「神から光を授かったハイレガード王国初代国王が、黒い波を押し返し、枯れた大地に緑を戻した」
創世記から有名なフレーズを取るとすればこの二行だ。
要は、闇属性の魔法は、地に災いをもたらすとされているのである。
故に、いくら魔導士が人手不足だとしても、身分が高くてもその存在は葬られる。
例外は、ジュアン・ベイリーくらいだろうか。
彼が王国の八神獣のうちの一体と契約を交わしていることからが明らかになってから十年も経っていないはずだ。
ガーガメル邸の使用人が住む区域の庭に投げ込まれた朝刊の一面を一週間ほど賑わせていたニュース。記憶にも残る。
魔導士は貴族階級から排出されることが世の理とされていたが、ジュアン・ベイリーは貧しい農家から数減らしのために売りに出された奴隷だった。
農家の出とは思えない程、顔立ちが端麗だったこともあり、貴族たちは私財を投げうって競り合った。
その噂を聞きつけた国王が、大司祭に預かりを命じたのだ。
生殖行為を経典で禁じられている大司祭に息子がいるのは、これが理由である。
唯一の例外の他にも、闇属性の魔導士が存在したことに驚きを隠せない。
そういえば、寮長の家名をまだ聞いていなかった。
「寮長」
蝋が黒い鉄製の受け皿から滴り落ち、階段の隅に白いシミを作るのを目端に捉えながら、橙色の光に囲まれた回廊を曲がる。
踊り場には蜘蛛の巣が張っており、名の知れぬ絵画が傾いていた。
呼びかけてから数段降りた先。
もう半分下れば1階かというところで、反応が返ってきた。
「なんだ」
「寮長のお名前、聞いてもいいですか」
「エヴァだ」
「ファミリーネームは」
「エヴァ、とだけ知っていれば問題なかろう」
それもそうだ、一般人は。
だが、私は情報収集も兼ねている。
もう少し掘っておきたい。
「階級ごとに礼儀も異なりますので」
「最低限、分をわきまえればそれでいい」
丁度エントランスホールに降りると光度が増し、寮長の顔がより鮮明に見えた。
表情は変わらないが、ここで目を合わせてくるということは
「これ以上聞くな、分をわきまえろ」
という意味ととるべきだろう。
私が一代限りの騎士爵の4女ということになっており、それ以上の身分であるということだけは分かった。
今はこれくらいでいい。
裏街に戻ったときに、ドンの館で貴族年鑑の写しと照らし合わせて「エヴァ」と名の付く女性を探せばいいだけだ。
騎士爵以下の階級はそうない為、削ることができた可能性はそう多くないが、収穫0よりは幾分かマシだろう。
「もう一人来る、ここから動くな」
寮長に倣ってシャンデリア直下から少し離れたところに立っていると、寮長はドアを開けて外に出ていってしまった。
学園の教員でも呼んでくるのか。
何分、言葉が少ないので、コミュニケーションの多くを推測で補っている。
いずれにせよ何もできることはないので、おとなしく待つことにした。
魔法があるのに、寮長は丁寧に徒歩で学園まで行くようだ。
最近発明された電話線でも引いてやればいいのにと思う。
それが無理なら、伝書鳩を配備するとか。
いくら何でも、待遇格差が異常だ。
それに、寮長自ら学園の端に位置する黒寮から、中央校舎まで歩かずとも、一年生の私を使いっぱしりにする方が一般的だ。
私の方が階級も低い。
これを踏まえると、寮長は貴族文化に染まっていない人のようだ。
これもまた一つ、彼女の正体を追う手掛かりになる。
左右に伸びる廊下。
もうすぐ外の物は何も見えない程の闇に包まれる時間。等間隔に並ぶ窓の外は真っ暗だ。
窓枠の隙間から風が入り込み、床の上で埃が舞う。
エントランスから見る限り、どのドアの前にも同程度埃が積もっていることから利用者は数年以上いないと見た。
1階は上からの音が響き、身の安全も図りにくい。
人気はないだろう。
それにしても一人くらいは住民がいてもおかしくないのだが。
今のところ、寮長以外と会ったことがない。
それに寮長は「あと一人」と言っていた。
つまりは、あと一人。合計三人しか寮生徒がいないということだ。
黒寮のように貴族としての尊厳を保証されない場所に入る生徒が、あと1人もいるということに驚いた方がいいのかもしれない。
給仕も、料理長も、メイドもいない。
平民の暮らしに近い寮。
確実に、どこぞの商家よりも貧相な住環境。
あと一人はいったい、どのような人なのだろうか。
俄然興味がわく。
そしてふと、さきほど降りてきた階段に目を向けると、手前の回廊から延びる手すりの上に器用に腰かけている男性がいた。
「」
全く気配を感じなかった。
これが実戦ならば私は死んでいたかもしれない。
防御魔法陣でリカバリーできたとしても、相手の魔力や装備如何では死んでいた。
何よりも、背後を取られたという事実が悔しい。
アイギス様の死後、憎しみに突き動かされてきた私は訓練を抜かったということに他ならない。
おくびにも出すわけにはいかないが、心の中で一瞬感情が燃え上がった。
「お初にお目にかかります。
私、クラッセン騎士爵が娘、アンティーヌ・フォン・クラッセンと申しますわ。
殿方のお名前を伺ってもよろしくて?」
上から見下ろされている状況ということもあるが、頭から腰のあたりまである木綿の布を被っていたので、顔が半分隠れ、陰になっている。
下に履いているものも同様に、風通し、伸縮性に優れた材質。
この国では手に入りにくく、見ない型。
王国式のズボンはストレートなのに対し、帝国式のズボンはゆったりとした造りで足首だけが締まっているが、視線の先にいる彼は後者を履いている。
手すりを滑るように降り、少し飛んで着地した彼の顔が灯りに照らし出された。
「やぁ、私はアブラヒム・アリ・ダンラーム」
差し出された手の色は褐色で。
眉毛も濃く、堀が深いオリエンタルな瞳は典型的な帝国民の様相だ。
手を握り返す前にスカート中腹の端を摘まんで会釈した。
「遅ればせながら。
私、アン・フォンティーヌ・クラッセンと申します」
スカートをそっと地面に降ろし、差し出された手を取る。
己の手が沈み込んでしまうほど彼の手は柔らかく、温かかった。
水仕事を始めとする家事全般をやったことがない人の手だった。
左手の中指内側が分厚くなっていることから、書き物をする頻度は高いことが分かる。
「そういえばアブラヒム様とは、今までお会いしませんでしたわね」
「エイブと呼んでくれ。…私のことをアブラヒムと呼ぶのは父くらいだ」
アブラヒムの目尻が少し下がり、首が左に少し傾いた。
左利きか。
「では、お言葉に甘えて」
「反対に、アン嬢ののことは何とお呼びすればいいかな」
「ただ、アンと」
「アン」
「はい」
「良い名前だ。…由来は聞いたことが?」
名前の由来を聞くのは帝国流の挨拶だと、昔アイギス様が帝国を訪問なさった際に仰っていた。
王国に茶会や決闘の作法があるように、帝国には家父長制や神々から名前を取るといった伝統があるそうだ。
そういえば、アイギス様は何故私に「アン」という名前をくださったのだろうか。
聞いたことがなかった。
「さぁ、何故でしょうね。次の休暇で実家に帰った際に聞いてみますわ」
「それは失礼した」
「私も知りたいですもの。お気になさらないで」
「帝国では、初対面の人に対して相手の名前の由来を聞くことが慣例なのだが、王国ではどのような話をするんだ?」
「そうですね、」
「」
「天気や食べ物は無難です。あとは、気分やどんな一日を過ごしたかなど」
「そうなのか」
「逆に、家族や人間関係、未婚既婚について初対面で聞くのはマナー違反とされていますわ」
「なるほどな。…参考になった、ありがとう」
「恐縮ですわ」
ここまで話してきた印象として、アブラヒムは静かで落ち着いていて、纏う空気に重厚感がある。
そして、どこか世間知らずで上の立場から人に接することになれている。
決して生意気と言ったことは無いのだが、気品に似た何かを感じた。
そういったものは、生まれながらに備わっているものだ。急には身につかない。
バックグラウンド調査もだいぶやりやすくなった。
今の今まで会わなかった理由も上手い具合に流され聞けなかったが、この点は気になる。
最近交流が盛んな華国からの留学生ならば分かるが、お世辞にもハイレガード王国と仲がいいとは言えない帝国からの留学には、何か事情があるのだろう。
その後も、寮長が戻ってくるまで、王国式の茶の淹れ方やテーブルマナーを聞かれたり、逆に帝国の特産品や伝統工芸品について話を聞いた。
彼との緩やかな会話は嫌いではないと感じたのが、アブラヒムに対する最初の印象だった。
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