三足目の草鞋
「あ、」
高い位置にある窓の外には青い空しか見えないが、飽きもせず眺める。
壁面に取り付けられている蝋燭は火が消えており、差し込んでくる日の光が教室を強く、部分的に照らしていた。
時折過ぎ去っていく小鳥がピチチと鳴き、校舎側の大樹がサワサワと揺れるのを、頬杖をつきながら眺め、耳に流し込む。
こんな日は木の下で昼寝きめこみたいが、生憎この後には授業が控えている。
「‥眠い」
それにしても欠伸が止まらない。
三日三晩寝ないことには、暗部時代の生活で慣れているが、さすがに一週間もとなるとそろそろ寝たいところである。
公爵家の双子の監視および護衛を承ってしまったが故の疲労だ。
二人が大人しくしてくれればいいのだが、魔法が使える上に、兄のほうが、時折真夜中に学園を抜け出すのだ。
しかも、裏街が目的地という厄介な脱走癖で。
こちらとしては、最悪「歓楽街で遊んでてくれ」と思っているのだが。
双子のお守に加えて、通常任務とアイギス様に関する調査。
合わせて三つも草鞋を履いて生活しているのだから、寝る暇などない。
「ふぁー」
欠伸を噛み殺し切れず、一滴の涙が目尻から零れ落ちる。
今は、昼休みだからか教室に人はいない。
大口開けて欠伸をしているのを誰かに見られたら、面倒臭い指摘が飛んでくることだろう。
食事は軽く済ませた。
いつも軽く情報収集して、食堂の片隅で末端貴族集団の末尾にくっついて人知れず食事を終わらせている。
まだほとんど人がいないので、光の筋の中に大気中の塵が舞っているのでさえ、まじまじと見てしまう。
暇つぶしに背表紙が傷んだ教科書をパラパラと捲ってみたが、既習のものばかりで、程なくして肘を枕に机に突っ伏した。
眠たいときにこのような体勢をとるとどうなるか。
みなさんもよくお分かりだと思う。
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「そこの女子生徒」
「」
「そこの、鈍色の髪の。そう、あなたですよ」
「はい」
起きたら先生が教壇に登っていた。
昼用の正装に見を包んだ、両端が釣り上がった派手な赤色のメガネをした婦人。
人の気配が近付けば普段は自然と目が覚めるのに、この教授の授業に限って起きられないとは。
今日は寝不足が祟ったようだ。
「名前は」
「アンティーヌ・フォン・クラッセンです」
「では、アンティーヌ・フォン・クラッセン」
「はい」
「私の授業はそんなに退屈ですか」
大教室の左端、中盤よりも少し前の席。
オペラハウスの一階分くらいの大きさのある教室は、傾斜つき。
机も椅子も固定式。
黒板が一番前だとすると、前後2ブロック、横に3ブロックに分かれており、派閥ごとに固まって授業を受けていることがほとんどだ。例外として、公爵家の双子やその他イレギュラー族がいるものの、座席に貴族分布が如実に出た形となっている。
「いいえ、失礼いたしました」
「次はこのようなことが無いように。…ついでに」
「はい」
「今話していた内容をあまり理解できていない学生もいるようですから、あなたが、分かりやすく、説明して差し上げて。…退屈してしまうほど、余裕だったのでしょう?」
設定としては、子だくさん子爵家のうちの地味な一人として学園にねじ込んでもらった身なので、あまり目立ちたくなかった。教授も心得ているので、ごく偶に授業に参加した五彗星が騒いでいても、『いないもの』として扱っているのだが、私のような何も後ろ盾のない人間には容赦なく鉄槌を下す。
しかしもう、運悪く魔術基礎論のガティー先生と目が合ってしまった。
運命のように、バチリと。
逃げられないな。
聞いてないのに答えたら変だしな。
「すみません、聞いていませんでした」
「あら、可笑しいわね。ならば何故寝ていたのかしら」
教室の逆方向からクスクス笑う音が聞こえる。
第二王子派貴族のご令嬢たちか。
んー、まあ仕方ない。
今回は授業中に寝てしまった自分の落ち度だ。
黙ってやり過ごそう。
というわけで、萎縮したように、肩をすくめて下を向いていたら、思わぬところから助けられた。
「魔法とは、天界と現実世界に繋がりを作ることによって生じる現象であり、魔力とは別世界の動力源、主に光エネルギーのことである。それを体内に取り込み、循環させ、思念を乗せて放出することができる者のことを魔法使いという…という話でしたよね」
誰だ。
助けたとしても大して得にはならない私を助ける人など、この教室内にいただろうか。
声が聞こえた方を振り返ると、真後ろの1番後列。
鉄縁の丸眼鏡をかけた大人しげな少年が席から立ち上がっていた。
髪は雨が降る前の日の夕空のような赤銅色で、全体的にクルクルとしている。
背丈は小さく、体付きは華奢。
隣には少年よりも少し髪が長いだけで、他は全く以てそっくりな少女がいた。
――ああ、彼らか。
――彼らが何故。
「及第点ではありますが、魔力循環の具体的手法の説明が不足しています。不十分。
いいですか、皆さん。‥魔力循環を無意識に行うことができれば良いのですが、それは人間には不可能です。魔力とは元より、天界のものであり、次元の異なる場所のエネルギーです。魔力循環には、媒体と、意識を一点に集中させることが必要不可欠。それが、詠唱による暗示と自身を媒体とした魔力行使の本質です。…分かりましたね?」
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チャイムが鳴り、教室から次々に生徒が退出していく。
私が教科書と羽筆、インク壺が入った箱を茶革のカバンの中にしまい、金具をカチャリと掛け合わせて閉じ終える頃には人はほぼ居なくなっていた。
多くの学生は、放課後の予定に向かったのだろう。サロンに行くなり、クラブに行くなり、街に出るなり。
寮に戻る人間など一握りだ。
教室に戻る人間などもっと少ない。というより居ない。
しかし、今日は珍しいお客さんが二人。
遠くから見ても分かるほど、白く透き通った肌に赤銅の髪が良く映えている。二人とも、体重を支えられるのが不思議なほどに華奢な容姿だった。
彼らこそ今回の任務に最も関係がある二人だ。
名をシャラマン=ユエ=カルティア、ジャンヌ=ルイーズ=カルティア。
噂の公爵家の双子である。
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「さて、行きましょうか」
双子、兄のほうが目線で私を呼んでいた。
ついて来い、と。
公爵と似た冷たい眼差し。
敵には容赦をしない眼、人ではなく物を見るような眼が公爵を彷彿させる。
外見では婦人そっくりで、柔らかな印象を与えているのに。
これは難しいぞ。
情報を簡単に吐いてくれることはなさそうだ。
むしろ、私を欺き、利用してきそうな。
うん、頑張ろう。
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