薬草学
中央棟。
横に長い土台が五階分に、学内で二番目に高い棟が適当に刺さえれたような作りをしている。
その東端に付け足された全面ガラス張の建物が、温室だ。
一年生が必修とされている薬草学は、薬草の育成と
収穫が主となる為、温室が集合場所として指定される場合が多い。
中央棟エントランスホールの石板に、毎日教室一覧と、開講の有無が張り出される。
上級生ともなると、わざわざ見に行かずにいつも通りの教室で待機するが、一年生は律義に毎朝石板の前を通る率が高い。
入学式の日に、ハンナと寄り掛かった木の上でポツポツとやってくる一年生を眺めていた。
オリエンタルな柱越しに、白の法衣と、小麦や赤茶の頭がいくつ通り過ぎたか数える。
そうすると分かってくるものだ。
登校時の集団が、派閥を表す。
どこの家の誰が、誰とくっついたか。
情報を仕入れるには、朝の石板前を見ていれば分かる。
幹に背を預けて、足を下に垂らす。
最初の二三日は流動的だった面子も、そろそろ固まってきた頃合。
これからは朝に図書館に行って、昼に食堂で情報収集する形に変えた方がいいかもしれない。
食事時。
これもまた情報を得やすい。
基本的に、人は他人に無関心であるが、それを前提として公共の場で内密な話をする人間が多いこともまた事実。
予鈴が校舎中に響き渡る。
これにはごく単純な増幅の術式が使われている。
さすがは魔法学園といったところか。
魔法使いが激減した世の中において、日常に魔力を避けなくなったが、ここは例外らしい。
街灯、寮の設備、校舎、食堂。
いたるところで魔法が発動されている。
ならば、簡単な魔法を使っても発覚することはないのではなかろうかと思うが、
実情が分からない以上、下手に魔法は使えない。
マッチ一本の炎、コップ一杯の水、手元を照らす灯り。
ちょっとした魔法を使って、無駄にカードを切る羽目になるのは馬鹿馬鹿しすぎる。
「っしょ」
ストン、と真下に降りるとき、白い法衣が風を受けて、ふわりと膨らんだ。
一瞬自分の茶革のブーツがのぞく。
すぐさま地面の柔らかな感触を足の裏に感じ、東に向けて歩きだした。
今日の最初の授業は、薬草学。
白衣も手袋も、温室で貸し出し式なので、手には何も持っていない。
ポケットに手を入れて歩きたいところだが、法衣にポケットがあるはずもなく。
手をプラプラと宙に浮かせるのは何となく落ち着かないが、仕方ない。
遠くから微かに漂っていた薬草と土と水の匂いが強くなってきたということは方向は合っているということだ。
温室中央には大きな噴水があり、そこから延びる水路を辿っていくと、内門を囲む濠へと続いていた。
水はきれいな碧で。
恐らくは魔導士の手が入っているだろうと、予想がついた。
水の浄化を広範囲で、600年以上の歴史を持つ土地で精霊もいるのに揉めずに土地に改編を加えている。
「‥となると、階級としては少尉以上」
魔導士が軍役を免除される事由は、研究者になるか、聖堂教会の使徒になるかの二択。
稀に高位貴族が魔導士を所有していることがある。
「黒法衣……」
魔導士認定を受けると、白いローブは、黒に変わる。
階級認定制度は軍と同じで、二級魔導士が最下層。
次いで、一級、上級、士長、伍長、軍曹、曹長、准尉、少尉、中尉、大尉、少佐、中佐、大佐、少将、中将、大将、国王となっている。
さらに、魔法警邏隊で役職就きになれば、魔法警邏隊総長といった役職名も階級名の前に入ることになる。
白い法衣の中に、黒い法衣の人間がいれば目立つというものだ。
今のところ、学園で見た黒い法衣の人間の数は5人。
入学式で学園長の階級は、大将だと確認が取れている。
残り教師3人の学生1人。
となると、事前に得ていた情報と合わないのだ。
一人、羊の皮を被った狼がいる。
そして、現段階で分かっている黒衣の魔術師の中に、水属性はいない。
情報屋、あいつは下半身が本体のようなド変態野郎だが、仕事に抜かりはない。
万が一ということもある、意図的に隠されているという線で調べた方が早いだろう。
本鈴まで僅か。
扉を開けてすぐの場所にある出席簿に名前を書く。
「アンティーヌ・フォン・クラッセン」
書いてから、現在の自分の名前を思い出すことがある。
意識よりも先に、体が動いて偽名を綴る。
白衣を羽織り、手袋を左手で持ち、さらに内扉を開けた。
寮のシングルベッド一台ほどの大きさの机が横に3脚、縦に4脚等間隔にならんでいる。
私が一番最後に到着した生徒だったようで、向かい合って談笑していた顔が30個、ほぼ全てこちらに向いた。
「見ろよ、あいつ黒帯だぜ」
「ほーんと。あんな子、デビュタントにいたかしら?」
「いいえ、見かけなかったわ」
「クラッセン騎士爵の四つ目のご令嬢だったかしら」
「ああ、あの病弱な」
「それにしても自ら黒寮を志望するなんて、余程ね」
「クラッセン騎士爵のお姉さま方は素敵な方ですのに」
「ねえ」
ヒソヒソと煩い。
全て聞こえているというのに。
それで内密に話しているつもりなのだろうか。
令嬢は袂から扇子を出し、口元を隠す。
子息は鼻の穴を開き、美しくない目つきでこちらを見ている。
如何にも、ハイレガード王国の貴族らしい反応だ。
ご令嬢の中には肌荒れが激しい方も多く、ご子息に至ってはまるでじゃがいものようだ。
生まれてこの方、清潔感など気にしたことがないかのような殿方が固まっている様子など、スラム街のゴミ処理場と見栄えは変わらない。
いつもどおり、視線を下げた状態で、伸びてくる足を避けながら席につくと、本鈴が鳴った。
「では、はじめようか」
入口にあった出席簿片手に入ってきたのは、白髪で顔が半分以上隠れた男だった。
アイロンがかけられていないシャツに、2・3日は履いているであろうというくたびれ具合のズボン。
革靴も泥だらけだ。
石灰色の髪は腰まで伸び放題。
前髪は顔を覆っているものの、隙間から緑色の目を光らせ、教室を見渡した。
先生の名は、ヴァーノン・ゼン・キャンベルと言うらしい。
入学案内にあった教授一覧とは異なっていることから、急遽着任したものと思われる。
キャンベルというと、奇人変人の巣窟、キャンベル一族の出ではないだろうか。
貴族ではないものの、学者陣にキャンベルの名を持つ者は複数いる。
要は学者を排出する一族なのだ。
また、貴重な資料の獏集家としても知られており、金に糸目はつけないと聞く。
「(お手並み拝見といきましょうか)」
口角が僅かに上がったのを隠すように俯き、鞄から教科書とノートとインク壺と羽ペンを取り出し、定位位置に配置する。
天才はどんなことを教えてくれるのか。
少し楽しみであった。
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