珈琲・タイム


「やぁ」


――あ、いた。


薄暗い店の隅のテーブル席からの視線を辿ると彼女が、顔の向きは変えず、視線だけをこちらに向けていた。


あの錆色の、切れ長な眼はどこかで見た気がするのだが。

いつ、どこで彼女に会ったのかは記憶の奥底。


目が合ってから数瞬。

彼女は出会ったときから変わらず、冷めた表情をしていて。

そこから読み取ることのできる感情は少ない。


僕は片手を挙げて、脳裏に浮かんだ二文字を吐き出す。

彼女には聞こえないだろうが。

口唇は見えるはずだ。


ドアを開けてくれたマスターに向き直り、案内を断ると、

マスターは「用がございましたらベルを鳴らしてお申し付けください」と言い、軽く腰を折った。


後ろをトタトタと落ち着きなく着いてくるジャンヌは、

彼女の席の前まで来ると、スッと滑り込むようにして、アンの対面にあるソファーに座った。



「すまない。待たせたね」


ジャンヌを追って、自分もソファーに腰をかける。


"アン"

のときは藁色をしていた髪は、

今は鈍色で。


短く切られている。


髪に魔力が宿ることから、魔導士は髪を切らないことが多いが。


――これはまたずいぶんと思い切った。


「似合っているよ」


「光栄です」


予想通り、淡々と返すアンに苦笑が浮かんだ。


「私は既にブレンドコーヒーを頼ませていただいております」


「じゃあ僕も同じものをもらおうかな」


「付け合わせはいかがなさいますか?

ここは珈琲と王国式スコーンが美味しい店ですが」


「へー、もしかして僕たちの好物がスコーンだって知っていたのかな?」


「特には。安全性と味を考慮した結果です」


アンのことだから僕たちの食の好みを本家に問い合わせていそうだなと思ったが、さすがにそこまではしなかったようだ。


とはいっても、彼女ならば、僕の知らないような手段で、どんな情報も簡単に得てしまうだろう。


「僕もジャンヌもスコーンが好きなんだ」


偏食家のジャンヌでさえも、スコーンは食べる。


ジャンヌは調味料の類が嫌いだからこそ、凝った食事は受け付けない。

彼女曰く、味は毒の判別の邪魔だからだそうだ。

食事よりも、毒の研究。

兄として指摘するべきなのだろうが、必要最低限食べてくれさえすればいいと思っている。



「…」


斯く言うジャンヌは、メニューを開き、スコーンと紅茶を指さすと、アンの顔を見つめた。


まだ机の上に蛇の人形は出していない。


アンが安全な場所を指定してくれてはいるが、用心には用心を重ねて今日は喋らないことにしたようだ。


僕たち二人は第一級魔導士登録証を持っている為、学園外で魔術を使っても問題はないが、「蛇の人形を操る女」はいささか目立つ。



チーン


と呼び鈴を鳴らすと、受付に居たマスターが音もなくこちらに向かってきた。




「お伺いします」


「スコーン2つと、紅茶1つ、ブレンド珈琲一つください」


「畏まりました」


注文を一枚の紙に書き、それを織って床に落とすと、

その紙は金色の粒子となって消えた。


そのままマスターは店内前方の定位置に戻っていく。


今、目の前で、彼は確かに魔道具を使った。


店に足を踏み入れてから感じていた違和感の正体が分かった気がした。


「なるほど、」


ポツリと呟いた僕に対して、視線を向けるアンは無表情だが、

「どうされましたか?」と言いたいのであろうということは、察しが付く。


改めて店内を見渡すと、黒に近い濃い茶の木材で壁も床もテーブルも作られている。

この材木は、魔道具箱にも使われている、絶魔素体。


フローリングの向きは縦横入り乱れており、壁も同じように同じ大きさの板が組み合わされるようにして壁に貼り付けられていた。

一般的ではない張り方だ。



「どんなに小さな魔道具でも、それを発動できるということは、その人物が魔導士であるということに他ならない…彼は魔導士だね?」



「…マスター本人に聞いたことはありませんが、魔導士とまではいかなくとも、体内で魔素を巡らせることができるだけの魔素耐性を持っているということは確実ですね」


魔素を体内で巡らせ、呪文によって魔素そのものに「名前」と「形」を与えることで具現化が完了する。


人によって具現化することができる魔法属性は異なるからこそ「属性」という概念が生まれただけであって、理論上は全属性を使いこなすことも可能ではある。


人体が耐えられればの話だが。



「壁面の仕掛けも興味深いね」


「お気づきでしたか」


「うん、「極東民族記」かな?」


「ええ」


「「たたみ」という敷物は、配置によって護りにもなり、相手を呪い殺すこともできるのだとか」


「そうです」


「なるほど」


アンが考えもなく店を選ぶとは思ってはいなかったが、納得がいった。


確かに壁面も、床も「たたみ」の配置を模して張られている。


華国よりもさらに東。

大海を隔てた先にある小さな島国の魔法。

店内に入った時に感じた違和感の正体はこれだった。


見慣れた王国式建築物のフローリングとは違い、縦横向きがバラバラ。

しかし、魔道具ではないが故に、発動されるまで魔力を感じることができず、正体が掴めなかった。



「壁も、扉も、床も。魔素を通しにくいオーク材でできているので、

「たたみ」が発動しなくても防御としては満点です」


彼女はこうして時折、僕の思考を読んで先回りしてくることがある。

それがまた正確で、薄ら寒さを覚えるほどだ。


僕は確かに店内について考えていた。


でも、もう一つ聞きたいことがある。


「じゃあさ、」


「はい」


「一介の喫茶店がここまで堅い護りを施す理由は?」


資金力にしろ、


「誰が複雑な術式空間を作ったのか」


空間術式にしろ、




害意は感じられないが、謎が多い。



今回の逢瀬の目的は他にあるが、知っておきたい。

単純に好奇心がうずく。



僕が席についてから一回も目を合わせず、目を伏せているアンに視線を注ぐと、


やっと僕の目を見てくれた。



「まず、この店を指定した理由としては

いざというときにここをシェルター代わりにしてもらう為です。


ご覧の通り防御も厚く、一切の魔力衝突を許さない。

食事に毒物を混入される可能性も極めて低い。


そして、何よりも空間術式の設計を行ったのが私だからです」


「え、」


「王国で馬鹿正直に王国式の術式を使っても力比べになって、最終的に破られるのがオチですからね」


「え、」


「どうなさいましたか?」


「うーん、ちょっと待って」


「はい」


「うーん」


「」


「あのさ、」


「はい」


「これさ、いくらで受けたの?」


極東の珍しい術式を完璧に再現している時点で魔導士としては国でトップレベル。

城壁と同じ強度の術式を狭い範囲に適用しつつ、有事展開型にすることで魔力探知に引っ掛からない。

微弱な魔力さえあれば、術式が発動する。


非常によく考えられた仕組みだ。


いったいいくら払えば作ってもらえるのか。

概算だけでも、公爵以下の家格では到底出資することは難しいだろう。


それを簡単にやってのけてしまうあたりが恐ろしい。



「店のオーナーとなる権利と引き換えに無料で」


やはり、予想は当たっていた。


アンは意外と世間知らずな所がある。


思わず深いため息をついてしまった。


「そのまま仕事受け続ければ、小国くらい作れるんじゃない?」


彼女の仕事に常識的な値が付くだけで、確実に杜商店と張るだけの商家にはなる。

そもそも彼女が復讐の形にこだわっていなければ、

建国して、王国を攻め滅ぼすことも、

帝国に取り入って戦争を起こすことも、

ずっと簡単に、ハイレガード王国を焦土と化すことができる。


腐りきった貴族も、お飾りの王族も全てを灰に。


僕は次期宰相だというのに、国の滅亡を望んでしまっている。

この矛盾から救われたかった。

すっと逃げたかった。


王国に残れば、老いて死ぬまで無為な権力争いに力を注ぐことになる。

簡単に想像がつく。


僕が人柱になれば済むのならば、そうしていたかもしれない。


毎日仕掛けられる、毒入りの食事も、服従魔法も。

それらを捌き、術の根源を破壊することすら、娯楽として捉えていた節がある。

それほどに世界は色褪せていた。



でも、ジャンヌが、

アイギス・フォルトゥナ・ガーガメルの代わりに、第二王子の婚約者候補になり、

命を狙われ出した時にはもう限界だった。



――王国を捨てよう。



そう決めた瞬間だった。

プツンと何かが切れて、気づいた時には仕掛けられていた魔法陣を解呪ではなく、力技で焼き払っていた。


魔力超過で学園中の警報が鳴り響き、先生や魔法警邏隊が来てもずっとボンヤリと世界を眺めていたことを思い出す。


結局は、誰からも何のお咎めも受けなかった。

次期宰相に対する忖度。


それに対してもどこか味気無さを感じていた。


魔法警邏隊副長は頭が固いと聞いていたのに。

彼もまた、上からの指示に従った。


「まあ、いいや…本題に入ろうか」


アンからそれ以上の回答はなく。

今が本題に戻る時だと察した。


あの日。

アンがイアン・マッケノイと殺り合った日に、今後の方針を詰めるほどの時間は無かった。


「学園に戻る気はあるのかな?

こちらとしても借りを作ってばかりは性に合わないから、復学を手伝ってもいいと思っているんだけど」


「しばらくは街に溶け込みながら情報収集に徹する予定です」


「へー」


「手間をかけて学園に潜入するよりもまずは、足元から探ることも悪くはないかと思いまして」


「いいと思うよ」


「もちろんお二人の護衛任務を疎かにすることはありません」


「今まで自衛してきたワケだし、そこはあまり気にしてないかな。


ただ、君が学園に戻る必要が出て来たら、父上に頼んで諸々の手配くらいのことはするつもりだから、覚えておいて」


「ありがとうございます」


「で、」


「はい」


「僕たちはどうしたらいい?」


「…そうですね、」


「王国から亡命するために必要なルートと行先確保は続けたいと思ってるんだけど、」


「裏街以外でしたら、自由に動いていただいて構いません」


「まあ確かに。あとは?」


「念の為、教会には近づかないでください」


「あー、君の故郷を滅ぼした黒幕だからね。当然」


「他に何か詰めておいた方がいいことはありますか?」


「ないね」


「分かりました。では、私はお先に失礼致します」




「珈琲は?」と言おうとしたが、カップは空になっていた。


マスターに銀貨を二枚出しているということは、僕たちのお代まで払ってくれたということで。


「来店から半刻も経っていない内に解散とは、彼女らしい」


自分も持っていたカップをソーサーに置き、前を見つめる。

そうすると、視界に入るのは、臙脂のベルベット地の椅子。

彼女が座っていた場所には、僅かに凹みがあって、まだ温度が残っているような気がした。



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