平穏な日常
「アン・フォンティーヌ・クラッセン、指名手配中」
似顔絵付きの貼り紙が張り出されるまでに、そう時間はかからなかった。
王族の見合いに使われる姿絵が
詐欺であることが多いように、
指名手配犯である私の顔は、
三割増しで極悪非道に描かれているが、
私はどちらかというと表情に乏しい方だ。
そもそも、「アンティーヌ・フォン・クラッセン」は偽名。
正しい情報は、性別くらい。
そんな紙屑同然の指名手配書を横目に通り過ぎる。
――私が学園から消えて一月足らず。
身分詐称。
大司祭家子息殺害未遂。
魔導士登録法違反。
序盤だというのに、既に私の罪状は王国法の下では死刑に値するほど積みあがってしまっていた。
「お、」
すんすんと鼻を動かし、匂いの元を辿ると、緑の屋根に、緑の軒に行き着いた。
あれは恐らくは、平民街で一番人気のパン屋さんだ。
おばさんが看板を折りたたんで、中に入っていくのが見える。
ということは、バゲットは売り切れてしまったということだろうか。
それ以外にも、屋台から肉の焼ける匂いや、甘い果実の香りがふんわりと漂っている。
もうじき昼時。
朝市が終わり捌けていた人も、徐々に戻ってきている。
「そこの”お兄ちゃん”、うちの牛串はどうだい??今なら二本でお安くしとくよ」
屋台から身を乗り出し、ずいっと私の目の前に、串肉をちらつかせる旦那。
その男は黄ばんだ木綿の長袖を腕まくりしているので、黒くくるくるとした腕の体毛が、商品よりも目立ってしまっていた。
本物の傭兵は些細なことなど気にしないのだろうが、こういった場合私はたいてい遠慮している。
こういうときに、女の姿で市場を通過したほうが良いのか迷う。
女でいれば少なくとも、喧嘩を売られることも、ゴツい旦那に商品を押し付けられることもない。
ひとまず「また来る」とだけ返し、先を行く。
「学園では、午前の授業が終わった頃か」
一瞬だけ元来た道を振り返り、書庫棟の尖った屋根を見上げながら思いを馳せる。
糸魔法によって結ばれている、私とシャラマンとジャンヌは、
一方が呼べば、もう一方のいる場所に強制的に引き寄せられるようになっているので、
現段階では、あの双子は無事ということだ。
小指を立てて、糸が張っているかを確認する。
私にしか見えない金糸は、ピンと張って、学園の方向に延びていた。
雲の狭間から、僅かに光に糸が照らされ、キラキラと反射する。
未登録魔導士として追われる身となった私は、とりあえず学園を出た。
今は平民街で、情報収集の傍ら杜商店の配達人として収入を得ている。
こんなことしなくても、しばらく暮らしていけるだけの金はあるのだが、何も仕事していないと、身分証明に手間取る。
一石二鳥ということで、非常勤職員募集の要項に申し込んだ。
今日は、仕事は休み。
商品や手紙が入った、重い鞄を下げずに歩いていると、体の軽さに感動すら覚える。
毎日何かしらの商品を運んでいる家の人には、顔を覚えられたようで。
時折、誰かしらが手を振ってくれる。
私も手を振り返して、そのまま通りを進んだ。
貴族街寄りの区に近くなると、客層も変わってきた。
串肉や、海の幸の焼ける匂いは掻き消え、買い出しに出てきたマダムたちで通りが賑わっている。
カフェ・タイムを楽しむには丁度いい、落ち着いた空気が満ちていた。
家屋や店の間を、縦に、横に。
貧民街と隣り合っている地区から、かなり歩いて来た。
街のたたずまい、人、売っている物、食べ物。
使われている言葉、漂う空気感。
同じ国のはずなのに、貧民街と、平民街、そして貴族街では全く異なる。
色を塗り重ねていくように。
段々と変わっていく街の様子を観察する。
歩を進める度に、石畳の硬さが靴裏から伝わってくる。
爪先からゆっくりと地面につけ、音を立てずに離すのは職業病か。
「お母さん!!お水がプシャーってした」
「見て見て!」
「待って」
「鬼さんこちら」
キャハハ。
キャッキャ、と。
市民街の中央付近にある噴水広場まで出て、半周回ると貴族街に伸びる通りに入る。
噴水の周りには、露店を広げている老婆や、水遊びする近所の子供たちがいた。
プシャーっと、天に向けて水が吐かれ、落下していく様を見てキャッキャと笑う子供たちの顔には、無邪気な笑みが浮かんでいた。
水面が日の光を乱反射して、キラキラと光る。
端で固まって談笑するマダムたちもちらほら。
彼女たちのドレスはもちろんのこと、店先に置かれた植木鉢の緑と、色とりどりの花を並べて売る花屋が、風景を鮮やかにしていた。
花屋。
花という贅沢品を取り扱うこの区画には、いったい何人の人が住んでいるのだろうか。
彼ら、彼女たちにとっては、
自らの為にあつらえた衣服を身に纏い、
馬車で目的地まで向かい、
薫り高い茶葉でお茶を淹れ、
時折、珈琲を嗜むことが日常。
それもまたそれで虚しい気がする。
食うに困らない。
これは重要な条件でもあるが、あまりにも快適な日々を送ると、世界がモノトーンになってしまいそうだ。
綺麗に切りそろえられた大理石で造られた建物が並ぶ通りを歩きながら思う。
クリーム色の壁面にクリーム色の大通りに差し掛かったということは、目的地まであと少し。
白にも似た色が太陽が反射する中、二番目の角で右折した。
建物のと建物の間は、暗く、涼しい。
日の当たらないそこには、木屋もあったりして。
建物と地面の境目に緑色の、フワッとした苔も生えていたりする。
軒から滴り落ちる水滴は、昨日降った雨のものだろうか。
湿気の増した道を少し歩くと、「coffee」の文字と、金色のベルがついたこげ茶の木戸が見えた。
ひんやりとしたドアノブを握り、押す。
「いらっしゃいませ」
扉を少し開けると、入り口付近のカウンターで待機していた、白シャツにチョッキ姿の男性が、前に出てきて、扉を持ってくれた。
縦長で少し皺が入った顔に、白髪交じりの髪。
背筋がピンと伸びていて長身。
一重で横に長い目……。
どこかで見たような気がしなくもない。
気配も何となく、感じたことがある気がする。
記憶を擽られているような心持ちを押し隠して、声をかけた。
「マスター」
「はい、なんでしょう」
「厨房側の席は空いていますか」
「ええ、」
「男女の双子が来たら私のところまで通してください」
「承知いたしました」
「ありがとうございます」
入り口で二三言伝けをし、定位置に腰かける。
焦げ茶のスラックス、
白いシャツ、
カーキ色の薄っぺらいベスト、
少し革が伸びてきた革靴。
平民街において一般的な男性服に、肩掛けの布地鞄を下げて店まで来た。
顔が男女どっちつかずなことや、胸が平らなことが功を奏した。
一応サラシは巻いている。
丁寧語で話す、
主語は「私」にすることも徹底。
髪は肩より長いくらいの位置で切った。
杜商店にあったペーパーナイフで、休み時間に雑に切ったので微妙に毛先が揃っていないがご愛嬌ということで。
切った髪は、手の中で燃やした。
パラパラを黒い粉と化した髪が落ち、風に乗って散り行く瞬間は、
何故だか分からないが、
鮮明に記憶に焼き付いている。
特に理由は無い。
おかげで洗髪の時間が短くなった。
鈍色の髪を掬い、サラサラと落とし、掬う。
生産性のない動作を繰り返す。
大きな古時計から響いてくる、振り子の音が響く。
カチコチカチコチと。
一定の拍を刻み、空間を揺らすのを感じながら待つ。
広さとしては、馬車4台が入りそうなくらい。
奥行きがあり、全体的に茶と白で構成された空間。
椅子の座面だけが臙脂色をしていて、よく映える。
4人掛けの卓が3つと、2人掛けの卓が4つと、カウンター席。
中央に花壇があり、観葉植物が植わっている。
キィィィという開閉音が厨房の方から聞こえることから、厨房の奥に通用口があるらしい。
ざっと店内の様子を確認したところで、意識を、自分の髪に戻した。
焦点が合い始めた目が、扉の下に二足分の影があることに気付く。
――恐らく彼らだ。
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