学園都市
日差しも当たらないほど鬱蒼とした森の中に、降り立った私は、背嚢を背負いなおした。
足元には、芝生と呼ぶには少し伸びすぎた雑草が茶色い土を埋め尽くすように生えている。
濃い霧がかかっていることもあり、先を見通しにくい。
湿気の多い空気を吸い込むと、土や草特有の匂いが鼻を通して体に入り込んできた。
革靴の踵の部分が、草を踏みしめ、柔らかい地面に食い込む感触を感じながら、街道を目指す。
「普通のご令嬢は馬車に乗ってくるものだよな」
馬車を用意しても良かったが、王都での”仕事”が予想以上に長引いてしまい、時間が無かったので、気は進まなかったが転移術を使ったのだ。
魔導を使わずに、正規の手段で学園都市に来たのはかれこれ三年前の話だ。
道中もさぞ変わっていることだろう。
そのあたりを確認しておきたかったが、仕方あるまい。
いやしかし、
「伊達に公爵家名乗ってないよね」
王都の裏街を離れるにあたって、餞別代わりに、大きな仕事を振られたのだ。
何でも、カルティア公爵家当主直々に指名があったのだとか。
そもそも私の存在は公にされていないというのに。
「何故、指名できたんだか」
このことについては後で、”ドン”を締め上げるとして。
私がこれからの数年間を送ることになる学園都市についての情報を頭から引っ張り出すことにする。
学園都市とは、その名の通り研究施設と学者が世界中から集まる街で。
最近は、帝国学術院に成績を出し抜かれつつあるが、ハイレガード王国の学園都市は今のところ、世界で最も有名な、歴史ある学術都市だ。
王都から馬で七曜ほどの、周囲を鬱蒼とした森に囲まれる学園都市はこれでも、王国内で三番目に栄えている街。
学園には貴族の子息令嬢が通っていることから、支店を構えている商会も数多く。
そして、王都と違って、特異な物が集まりやすい。
魔導士人口が限りなく減った現代。
近代科学技術が台頭し、ここ学術都市には摩訶不思議な機械や、その部品を卸す店も増えてきた。
もちろん、山脈を挟んだお隣さんである、華国の呪符や薬草や、帝国軍が払い下げた魔道具といった魔術品は、ここにくればたいてい手に入る。
「教科書はポル・ラテの店で揃えるとして、薬草は持ってるから薬研を李商店で買って、あとは」
なんとなくアイギス様の侍女として学園にいた頃にお世話になった店をいくつか思い浮かべた。
荷物を最小限にするために、たいていの仕事道具は王都にいくつか持っている隠れ家のうちの一つに置いてきてしまったので、学園で使う魔道具や、教科書も、これから揃えなくては。
裏街で小遣い稼ぎに”仕事”を受けていたおかげで、金銭面に関して当分は心配はいらないが。
どこかの家に潜り込んで、侍女として潜入することも考えたが、やはりどうしても、身分が行動範囲を狭める。
侍女は特別な許しが無ければ、校舎に入ることは許されない。
主が下半身不随だとか、王族だとか。
という訳で、お金に困っていそうな、名ばかり貴族から、名前と身分を買った。
相手はクラッセン騎士爵。
子沢山で、三男五女の大家族。
その中でも四女は体が弱く、毎月薬代に多額の出費を強いられるそうだ。
男子は軍隊に入って身を立てることができるが、まだまだ、この国では女性が働くことは社会的に認められていない。
そして、上三人の姉たちにも、嫁ぐ以外の意志はなかったが、嫁ぐにも持参金やら、嫁入り道具やら、何かと物入りで。
……何が言いたいかと言うと、win-winの関係だったということだ。
決して、脅したわけでは無い。
段々低木が増え、木々の間から光を感じるようになってきた。
もうすぐ街道に出れそうだ。
「転移先に人がいないことを優先させたが故に、だいぶ深いところに着地してしまったんだな」
できることなら、城壁近くに転移したかったが。
入学式に間に合えばそれでいい。
太陽は完全に地平線から離れ、生きとし生けるものを天から照らしている。
真上に昇りきるまで、あまり時間がなさそうだ。
「(風颯之如)」
ローブの内ポケットから、黄色地に赤文字の呪符を二枚抜いて、足に貼り付けた。
顔を見られないように、フードを目深に被る。
心の中で発動呪文を唱え、軽く足首と、腱を解す。
「よし、いける」
その場で二三回跳ね、一気に加速した。
馬にも負けない速度で街道を走る。
土埃さえ見えない。
風を切るように。足が限度を超えて忙しく動く。
草木の緑が歪んで映る。
城壁が見えてきた。
とんがり帽のようなものをてっぺんに付けた一際高い棟と、それを支えるように立つ何本かの不揃いな円柱だけが、城壁からポツんと抜けて見える。
王宮がキラキラと輝くガラスでできているのに対し、学園は煉瓦や木や石といった歴史を感じさせるものでできている。
そしてよくよく見てみると、一際高い塔の頂点を中心に結界が張られているのが分かる。
城壁上に等間隔に並ぶ石像は、創生記に出てくる「七十二神」を模しているのだろう。
魔素の入り込みやすい、黒曜石でできた石像は芸術作品のように造りが精巧で、石像そのものにも単体で結界が張られていた。
ざっと街を眺めたところで、速度を緩めた。
このまま歩けば、すぐにも城門前の跳ね上げ橋に着く。
門に入れば、私の復讐が始まる。
そう思うと、心が無音になった。
一切の感情が抜け落ち、不思議と静けさが満ちていく。
脳裏に、断頭台での光景が浮かぶものだと思っていた。
意外にも、何も浮かばなかった。
そして、首から下げていた木札を門番に見せ、何度も潜ったことのある門を、難なく通過する。
四角く切りそろえられた砂岩でできたアーチを潜るとき、コツコツという足音が耳についた。
アーチの先からぼんやりと聞こえてくる町人の声と、何かの料理の香りが懐かしかった。
そして、最後の一歩。
この石を踏み越えてしまえば、学園都市ということろで、一端足を止める。
目の前には、不揃いな凝灰岩を積み上げて作ったアパルトメントや、赤茶のレンガでできた立派な商店、この街ができたころから存在するであろう木製の家屋。
襤褸のような服に血糊のついた甲冑を身に着けた傭兵集団や、ローブ姿の魔術師。
昼飯時ということもあって、呼び込みに精を出す食事処の主人。
雑踏の中で物を売りつける機会を狙う、量り売り。
ゆったりとした歩調で歩く、聖堂教会の司祭。
檻に入れられた動物を積み上げて、売り捌く珍獣屋。
言いきれないほどの多種多様な人間がいる。
「おう、ぼっちゃん!御上りか?気を付けろよー」
門で足を止めていた私の肩を、見知らぬ男がパンッと叩いて通り抜けていった。
そろそろ踏み出さねばなるまい。
背嚢の肩紐を両手で握り直し、街の中心にある学園を目指すことにした。
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