目を向けていなかったところ
二人はあの後も、司書室にいたようで。
私が使っていた、白い陶器は片付けられていた。
空に漂う紅茶の香りは消え、代わりに古い羊皮紙らしい埃っぽい空気と、インクの匂いが大気に満ちている。
挨拶をした後、私が何を言うのか。
事情を問いただすこともせず、無言のままの二人は、揃って椅子に座って待ってくれているように感じた。
現実世界と、紙数枚分ほどの距離を隔てた異次元がドアを境に存在している。
見た目は、現実世界と同じ。
本来の司書室にある、戸棚も、窓も、窓辺に飾られた植物も、木目の床も、煉瓦の壁も、見た目は何一つ変わらない。
異なるのは世界の「理」だけ。
空間を創りだしたシャラマンによって、魔素の流れも、ものの存在も定められている。
その支配が揺らいでいないということは、被害はなかったということで。
私は早々に、任務に失敗してしまったのだということを認めざるを得なかった。
本来なら喜ばしい状況も、己の失敗に掻き消される。
焦燥、自責。
今はまだ制御下にあれど、口を開けば暴走してしまいそうな感情が胸に巣食っていくのを感じた。
「私は貴殿方の護衛です」
「そうだね」
「護衛を務めるということは、一応主従関係を結んだことになります」
「うん」
「契約魔法が成立しない理由は分かりませんが、形だけは主従です」
「…何が言いたいんだい?」
何を言いたいのか。
何を言うべきなのか。
全く考えずに話し出したのは初めてだ。
報告や取引以外の会話は、間諜としての役割を求められたときにしかしない。
要は、私個人として話す機会が無いのだ。
帰ってきて、まず最初に謝ろうと思っていたのだが、うまく言葉が出てこない。
論理的に話すことのできない自分がもどかしかった。
アイギス様を、唯一の主として契約を交わした過去。
主以外のことは、どうでもよかった。
所詮は、人間。
本懐を遂げるために必要な駒に過ぎないと思っていた。
故に、今、ツケを払わされている。
「シャラマン様、ジャンヌ様」
「聞いているよ」
「改まって何かしら」
呼びかけると、一人と一匹から同時に返事がきた。
あくまで、助け船を出す気は無いらしい。
窓から差し込む光は、常にたんぽぽの色。
時間の計りようがないが、恐らく、もうすぐ夕飯のために食堂に集まる時間だろう。
体感的に分かる。
黙っていていい時間ではなさそうだ。
「私は、」
「」「」
「お二人の護衛であるにもかかわらず、危機に晒してしまいました。処分を」
頭を下げたまま、右手を左胸の上に置く。
そして、入り口の側の、私が転移してきた場所で跪くと、床がキィと鳴った。
こうも早い段階で、任務失敗を経験するとは予想していなかった。
そもそも、遂行できなかった任務はなかったが故に、床に膝をつけて処分を請う所作も初めてのことで、新鮮ささえ感じる。
仮にも主の言葉を待っている状態。
許しなく、頭を上げる訳にはいかないが、さすがに頭に血が上ってきたというところ。
机の上に、何やら重い物、恐らくはシャラマン様が持っていた本が、置かれる音と共に衣擦れするが聞こえた。
立ち上がる気配はない。
床から伝わってきたわずかな振動から、シャラマン様は、組んでいた足を解いただけなのだということが分かる。
「君が僕に傅く必要はない。面をあげてくれないか」
長い間が開き。
やっと聞こえた声に従い、私は二人を見据えた。
二人の呼吸を読みながら、次の言葉を待つ。
「君には君の目的があって、僕には僕の目的があって、近付いた」
確かに君は、僕たちの父から護衛を命じられたかもしれないが、僕たちは自分で自分の身を護るくらい易い。…今までだってそうしてきたようにね」
感情の無い声で、訥々と。
本旨の断片を語っていくシャラマン様から読み取れることは少ない。
どこか遠くを見ながら、話しているような印象を受けた。
対してジャンヌ様は、分身である蛇を鞄から取り出すこともなく、ただシャラマン様の隣に座っている。
こちらは、会話に関心が無いというよりは、必要性を感じていないといった様子だ。
手の上に浮遊させた小瓶を、クルクルと回転させては、時折高く飛ばして元にもどすといったことを繰り返している。
「…君は、もう少し広い視野を持った方がいい」
「」
「少なからず、君たち一族にとって『主』がどのような存在かは知っている。
…ならば何故、君は今現世に留まっている」
また訥々と喋りだしたシャラマン様は、西日に照らされて艶めく金色の瞳を、私に真っ直ぐに向けた。
そんな彼に私が返せた言葉は、何とも情けないもので。
「一族のことは、あまり知らないので」
「…そうか。
君がこの空間から出た後、気になって、”あの”一族について少し調べてみたんだ」
「」
「君たち一族は、ただ人として生まれ、主を見つけると半神半人になり、主の死と共に神格化して天界に連れ戻される」
――ほら、ここに書いてある。
シャラマンは、目を見開いていた私に向けて先程まで読んでいた古文書のとあるページを開いて、押しやった。
「現世に干渉することが許されない神々が、間接的に地上を守る術として、君たちの一族の始祖を創りだした。
…裏を返せば、君が今生きているということは、君がまだ人間として存在できているということは、」
「アイギス様は、生きている」
「そうなるな」
信じられない。
確かにアイギス様は死んだ。
この目で確かめた。
「…アイギス様の死は見届けました」
「でないと説明がつかないんだ」
考えたこともなかった。
自らの出自についても、特に気にしたことが無かった。
しかし、もしも、シャラマン様の言うことが事実ならば。
私はとてつもなく、大きなことを見逃していたことになる。
「僕は、アイギス嬢が首を撥ねられた瞬間には立ち会っていないから断言することはできないが、アイギス嬢は、まだこの世に留まっているのかもしれない。
…どの様な形にしろ」
「」
「あと、もう一つ」
「」
「君は神に近くとも、人間でもあるんだ。だからこそ、弱点も当然ある」
「」
「魔力含有量が人から外れていても、どんなことでも魔法で解決する力を持っていても、君にはそれを使いこなすだけの視野、知識が足りていない」
「」
「だから、」
シャラマンが何かを言おうとしたのだが、先程まで黙って私を見つめていたジャンヌが、膝に置いていた蛇の人形を、机の上に置き、口を開いた。
「ほんっと、シャラマンは回りくどいわね!!あーやだやだ。
さっさと、言いなさいよ。『アンのことは信頼してる。これからもよろしく』って」
そして、隣に座っていたシャラマンの背中をバシッと、かなり強めに叩いたのだ。
私も、シャラマンも目が点になる。
可哀想なことに、シャラマンは、咽ていた。
俯く彼の耳の端が赤くなっている。
くっきりとした二重に、色素の薄い、綺麗な丸の瞳。
睫毛が長く、顔は小さい。
髪が二人とも、肩のあたりで切りそろえられている。
性別不詳の可愛さを、二人ともが持っていた。
「そういうことでしたか」
なんかとても、肩の荷が下りた気分だった。
主の為に完璧であること。
主の為に生き、死ぬこと。
私は、『主』に依存しすぎていたのだろうか。
本来見えているはずのこと、見るべきことが欠けていたということを、この一件を通して気付けた気がする。
アイギス様を『主』として仕えることは、そのほかの事象を無視していい理由にはならない。
私の度が過ぎた無関心は、彼女を護りきれなかった要因の一つでもあるだろう。
一人外の力を持つ者としての奢りもあった。
自らには、盤上を動かすだけの力があると信じ切っていた節がある。
しかし、現実は、私も駒の一つで。
自分についても、世界についても、私はまだ知らないことがありすぎる。
そして、それを知らない限り、相手は倒せない。
正体の見えない敵と戦うためには、一つ一つ着実に戦果を積み上げていくしかあるまい。
でも、とりあえず今は――、
「シャラマン様、ジャンヌ様」
「ケホッ、、、なんだい」
「あら、いい顔するようになったじゃない」
「私の本当の名は、ユルゲン・ヴィト・リータといいます。
以後、よろしくお願いいたします」
魔導士が、真名を明かす。
これは、相手に命を預けるということでもある。
シャラマンのことも、ジャンヌのこともまだ知らない。
完全に信じたわけでもない。
ただ、『主』に尽くす、以外の生き方を模索してみようと思ったのだ。
まずは、彼らの良き友人として。護り手として。
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