墓場

その場から避難できればどこでもよかった。

だから場所も指定せずに、瞬間移動の魔導陣を頭に思い浮かべたのだ。








「で、着いた場所が墓場とはね」



そう。

学園に入る前に一度だけ寄った、アイギス様の墓場だ。

といっても、共同墓地に過ぎないが。


死者が這い出ないように、墓場と外の世界は結界で遮られており、門番が常に見張っているはずだが。何故か、私はアイギス様の墓の上にダイレクトに飛んできてしまった。



「さーて、どうやって戻ろうかね」

後先考えていなかった。

イアン・マッケノイに顔は見られてしまったし。

学園が張っている強力な結界の外に出てしまったし。


久しぶりに任務失敗した。


我ながら阿保すぎる、致命的なミスをしたものだ。




ジメジメとした土のにおいと、湿り気の多い空気。

当然今腰かけている石塔はひんやりと冷たくて、尻が凍ってしまいそうだったので、ひとまず降りた。



地面に足をつけると、柔らかい土の感触が、靴の裏を通じて伝わってきた。


念のため、周囲に誰もいないか、イアン・マッケノイまで一緒に転移させてしまってないか確認する。


まあ、着いてからしばらくは、ぽけーっと脱力して天を仰いでいたので、その時に襲撃を受けていない時点で、警戒する必要は消えたとは思うが。これ以上失敗を重ねるわけにはいかないので念のため。




分かっていた。

自分の弱点くらい。




半神半人は、ただ一人の主に仕えて死ぬ。

死ぬまで忠義を尽くす。

――主に、こだわり過ぎるのだ。




「私も立派に、一族の血を継いでいたじゃないか」

苦笑が漏れる。



運命とは皮肉なもので。



普通の町民が使う生活魔法程度のものしか使えなかった私は、「本当に里の子」なのかと疑われ、心無い声を浴びせられた時もあった。反対に、大事にしてくれる人もいた。



私は、私を、大事にしてくれた人を守りたかった。






――風に乗って運ばれてきた、焦げ付いた匂い。

あれが、人肉の焼けた匂いなのだと初めて知った。






魔法が使えない私は、何もできなかった。

里に大規模攻撃魔法が直撃する直前に、師匠が私だけを、強制的に移動させたのだ。


ちょうど、今回私が使ったような、移動魔法で。





「半神半人の一族に生まれた、ただ人」




転移先から一歩踏み出した瞬間私は川に向かって真っ逆さまに落ちた。

途中、何度体をぶつけたか、どこの骨が無事なのか分からなかった。痛みだけを感じ、落ち続けた。



そして最後にゴロゴロと河原を転がり、仰向けの状態で止まった。


綺麗な星空を目に焼き付けて、死を覚悟した。




その時、奴は現れた。




「のう、小僧」



薄っすらと片目を開けると、そこには誰もいない。

幻聴であった、と再び目を閉じることにした。



「わしと契約せぬか」



確かに、自分以外の声を耳にし、もう一度目を開けてみると、ぼんやりとではあるが人型が見えた。

しかし、形がはっきりしない。

幽霊の類かもしれないと思った。



「どうせ私は死ぬ」


「いいや、おぬしは生き残ろう、わしと契約を結べばな。…しかし、条件がある」


「なんだ」


「愛を捨てろ」


「どういう、意味だ」


喋るのも苦しかった。

言葉が途切れる。

肋骨が折れ、肺に突き刺さっているのは感覚で分かる。


「言葉の通り」

「貴様に何の得がある」

「願いを叶えるには犠牲がつきものじゃ。おぬしが一番必要としているものを差し出せ。さもすれば、願いを叶えてやろう」

「死人が何を願う。…もう、いいんだ」


これから先どうしたらいいか、どうすべきか、考える気力が無い。

どうでもいい。


相手が何者かも知らなかった。

もしかしたら、悪魔かもしれない。


それでも私は、賭けてみることにした。



「神の子にして人間たる一族が娘。我、ユルゲン・ヴィト・リータは、定められたる制約に従い、汝を仕わす」



魔法を使えない私が、誓約を唱えることなど無いと思っていた。

冗談半分に聞いていた呪文。


それがすぐ浮かぶなんて、どうかしている。





――そろそろ私も天に還る頃合いだ。




そう、なるはずだった。



「よかろう、確かにおぬしの誓約聞き届けたぞ。後悔するでないぞ」


愛というものは、失う時に重みを知るのだ――と、聞こえたのを最後に私の意識は消えている。






湿った空気と、僅かに降り出した雨が、あのときの川の飛沫に似ていたからか。

全ての始まりを思い出した。



「」

ふと、理解した。

墓場や、学園といった場所の強力な結界を突き破ることができた要因を。


私が、人間ではないからだ。


簡単なことだった。


半神半人だった私は、人間であると認識されないほどに、人の理を外れ始めているのだ。



人が身に余る能力を得るということは、必ず代償も存在する。

神としての側面を出せば出すほど、人間としての側面を忘れていき、やがて私という存在は消滅するだろう。



神は、現世に干渉できない。



人が契約によって呼び寄せることで初めて神は、天界から出てくることができるのだ。



つまり、


「完全に人間でなくなるまで、もってあと2年ってとこかな」


人間でなくなるまでに、復讐を終わらせなければならないということだ。



「遊んでいる暇はないな」



あの二人のことだ。

学園内に異空間を作って潜んでいることだろう。



――行くべき場所を思い浮かべて、指を鳴らすだけ。



そうすれば転移が完了する。

学園の結界を透過できることは既に身を以って証明しているから、問題はないはずだ。






「おかえり、アン」

「遅かったじゃないの」



再び目を開けると、そこには、見慣れた赤銅色の髪の二人が、白無地のティーカップ片手に座っていたのだった。

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