埋められない空白

己が使命の邪魔になるものは全て取り払う。


それが物だろうが、動物だろが、人間だろうが――。







朝。


目覚めた時、目に入った天井はいつもと同じ。

年季の入った木の目に、右手上部の窓の縁、その下にある簡易的な文机が視界に入る。


それ以外には、備え付けの服棚が一つ。部屋の隅に固定されている。

隊服と下履き、幾何かの私服しか入っていないが、宮中晩餐会も隊服で出席する為、これで十分事足りる。


それに、父や母のように、私腹を肥やしたくなかった。弱者を食い物にして得た金で買った物を使いたくなかった。

最低限でいい。


「私室で寝たのは何日ぶりだ?」


日の差し込み方からして、六刻手前。


通常ならば、執務室のソファーで仮眠を済ませるのだが。今日は寝所で寝た為か、随分とよく寝た。


額にジワリと滲んだいた汗を拭い、すぐさま室温を冷却魔法で整える。


手に毛髪を掬えば、一族特有の銀糸のような髪が、パラパラと真っ白なシーツに落ちていった。



…。



「っ!!」


そういえば。


昨日、寝所に入った記憶がない。


昨日は、全てが朱門手前で終わっていると分かったところで、反射的に身を起こした。


「魔力察知すらできなかったか…」


思わず髪をぐしゃりと掴む。


表情筋が久しぶりに仕事をしているのが分かった。恐らく今の己の顔は歪んでいることだろう。


「記憶はないが、何らかの魔力干渉があったと考えていいだろう。ほぼ一日、失神するということは単純に武力で負けたということは考えにくい」


誰かに何かで負けるのも、入隊以前に宮中で総長に伸されたとき以来のことだ。


かのイーストフィールド公爵家嫡男にして、当時学園の寮監生であった私に手を出そうなどと言う稀有な者はいなかった。それ以上に、私以上の魔力を持ち、剣技で上回る者自体いなかった。



「気味が悪いな」


全身を手早く見渡し、要所を触ってみても異常はなく、魔力不和も無い。


節々が痛む、魔法陣が埋め込まれた形跡がある、魔法生物が憑りつくなどしていれば対処の仕様もあり、犯人の特定、記憶の埋め合わせの手掛かりにもなるのだが、掃除妖精たちが寝具を整えてから乱れた様子が無い、ただただ真っすぐに敷かれた白い布の上に上掛けもなく寝かされていたようだ。


一見、変わりはないが。


「記憶がない間、自分が何かをしでかしているやもしれない」


総長に連絡をせねば。


着衣は私服のままだが、仕方あるまい。


素早くベッドから起き上がると、屯所の粗末なベッドはギギギと軋み、軽く引いただけでドアは外れた。


「」


が、些事を気にしている暇はない。


もしかしたら、王城が攻撃されているかもし…それはないな。窓の外から垣間見えた王城に火の手は上がっていなかった。


いや、しかし、相手が炎魔法を使わなかったら分からないな。


部下が闘技場で何やら叫んでいるがこれは通常と変わらない。

判断材料にならないな。


しかし、訓練が続行しているということは、いや、不覚にも攻撃に気付いていないなどのことがあっては…。


「総長!!」


渡り廊下を通過し、宿舎から執務棟に移ると、すぐ近くの階段を一つ上った角にある執務室のドアを魔力を流し込んで解錠し、すぐに通信用水晶を起動した。


王宮内と、王宮外では普通の水晶、通信魔法では魔法障壁に阻まれてしまい繋がらないのだが、通信局を通せばそれも可能になるが、今回は交換手の空き待ちをしているわけにもいかないので、滅多に使われることのない緊急回線を開通させた。


「なんだあ??朝っぱらからうっせえなあ」


「俺は、俺の権限で動いた案件は、昨日、ありますか??」


ボヤけていた映像が徐々に鮮明になると、不機嫌なご様子の総長が水晶全面に映った。総長が好んで吸う葉巻の匂いまで漂ってきそうで、思わず顔をしかめた。…私は、葉巻は好かない。


「答えてください!!国家の危機です。っは、王は、御無事であらせられますか??」


「切るぞぉ」


「待ってください!!総長!!」


「寝ぼけてんのかあ?無事だ、無事無事。いつもと変わんねえよ。何かに怯えて自室で譫言三昧だ。宰相もいない今、こんな有様でどうすんのかねえ…」


「そうですか」


「あ、お前も来るかあ?お前のことが大好きで大好きで仕方ない第二王妃様が香水振り撒いてお待ちかねだとよ」


「…定刻通り、配置につきます」


「ほら」


「ッぐ、」


水晶の映像が乱れたと思ったら、次に写ったのは、御婦人方と談笑する第二王妃だった。

各人毒々しい、いや、華美な、華麗なドレス姿で、握った瞬間に折れてしまいそうなほど細い指に、扇子を持ち、口元を隠しては、目くばせするなどしており、実家の母を彷彿とさせた。珍しいことに、この場にはいないようだ。


「なーんてな。お前の配置はしばらく王の身辺だ。第二王妃じゃねえ」


「何故、」


「俺が休暇とるから」


「」


「なーに、そう怒んなよ。しばしのお暇いただくだけだ。今回はちゃーんと王に許しももらってきた。安心しろよ」


そう言って総長は胸元から一枚の紙を取り出し、水晶の前でヒラヒラと振った。

右下端の方に注目すれば玉璽と、ハイネグヴィネス王の署名らしきものが記されている。


いや、しかし。


城下町に不審者も現れ、政局もキナ臭くなってきた今、王都防衛の要を放任するということの意味を王は理解しておられるのだろうか。


「精神を病まれた王に万年筆を握らせて書類を前において説明なく署名させた、なんてことありませんよね」


「署名捺印は揃った。玉璽もらったらこっちのもんだろ」


「仮にも国の防衛を司る御方が王都を離れてもいいとお思いですか?」


「万が一にも戦争が起こった時、俺が前線に出るだろ。それと一緒だ。今できなかったらいざという時に対応できねえぞ。そもそも一人欠けたくらいで揺るぐ国防なんざ国防じゃねえ。…それともなんだ」


「記憶が無いので何とも言えませんが、私と李丞璃以上二名、制圧されました。なのでこうして緊急回線で連絡したんですよ」


「」


「」


「ほう」


「はい」


「にしては元気そうだな」


「李丞璃に関しては未確認ですが、私に目立った外傷はありません」


「魔力消費は?」


「ありません。記憶だけです」


「そうか」


「はい」


まるで最初から知っていたかのような落ち着きぶりに、違和感を感じた。


普段も取り乱した様子を私たち部下に見せることはないが、魔法警邏の副官と副官補佐が襲撃を受けた可能性が浮上したのだから、真剣味が増してもいいものではないだろうか。温度が全く変わっていない。


「」


「お前、無断で朱門越えただろ」


「…」


「そうだよなあ?」


「ええ」


「理由は」


「調査のためです」


「無断で、か」


「」


「ん?で、」


「それは申し訳なく思っていますが、」


「分かってんだろ。理由さえあれば全てが許されるほど、甘くねえ立場に自分がいるってことは」


「」


「今回に関しては正式に処分するわけにもいかねえからこれだけで済んでんだ。骨に刻んどけ」


「」


「正義のためなら何でもしていいってえわけじゃねえんだよ」


「はい、」


知っていたのか。


どこから情報が漏れたか、そもそも自分はそこで何をしたのかは知らないが、総長は把握しているのだろう。


いつの間にか情報を掴んでいる総長。


そして、遠慮なく痛いところをついてくる。

だいたいの人間は、俺の実家に怯えて肯定しかせず、俺が我を通そうと思えばいくらでも通せる。


事実、そうするのが正解だ。


ほぼ王族と言っても過言ではないほど濃く、王家の血が流れる俺の実家は、今じゃ権力を持ちすぎて、本家から分家の末端に至るまで、この国を食いつぶす悪人揃いだ。


俺が魔法警邏になったのだって、最初は「証拠隠滅罰則逃れがしやすくなった」くらいにしか思っていなかっただろう。


だが、入隊後、訓練生から正隊員に昇格してから、一族狩りを始めてからようやく、本懐がわかったようだった。


実に、鈍いやつらで、そして害悪であった。


次々と財産を没収され、貴族位を剥奪されていくのを見ては、少し気持ちが晴れた。

あんなモノと血が少しでも血が繋がっていると思うと吐き気がするが、背負ってしまった業は変わらない。


父親は財務大臣として、国に金が入ってくる分には、一族が始末されても構わないらしい。


俺がいくら一族を捕まえても、接触や妨害はなかった。


「今回も、お前んとこの一族の尻尾を掴むためにやったんだろうが、お前が法破ってどうすんだ。…足元掬われんぞ」


総長は理解してくれている。


俺が何のために魔法警邏にいるのかを。


たいていは自由に行動させてくれるが、一線を越えたらきちんと呼び戻してくれる…がしかし、放浪癖、脱走壁、不敬罪癖があって、粗野で、葉巻中毒者で、身形と言葉が汚くて、とてもではないけど王の近くにいてもいい人間ではない総長のことは、少しだけ尊敬している。


総長の出自は謎だ。


ただ、先王が常に側に置き、支えにしてきた存在だということ。


先王の遺言によって、魔法警邏の総長になったということしか明かされていない。


それでも俺はこの人のことを信頼に足る人物であると思っている。


「ハイネグヴィネス王護衛の任、拝命いたします」


「おう」


「李丞璃は第二王妃に就かせますか?」


「いや、ショーン・レアとイリーナ・セバスチャンに就かせろ。第二王妃は移民排斥派だからな。李丞璃には、屯所の監督代行をやってもらう。今のうちに引き継ぎしとけ。…死んでたら、ユールゲン・プリウスにでも押し付けろ。あいつなら器用にやんだろ」


「承知いたしました」


「頼んだぞ。王がお呼びだ。戻る」


「任務中に失礼いたしました」


「じゃあな。いい子でいろよ」


「」


プツっと切れた水晶は、暗くなり、反射で私の顔を映した。


散らばった銀の髪に、襟元がだらしなく開いており、いつにないほど身だしなみが乱れている。


これでは威厳もあったものじゃない。


通常回線の申し込みをした後、執務室奥にある、執務控室で予備の対服に着替え、髪を紐で一つに括った。


そして執務室の椅子に腰かけ待つこと少々。


既に待機していた交換手に軽く詫び、ショーン・レアとイリーナ・セバスチャン、ユールゲン・プリウスに回線を繋げるように頼んだ。


そして再び静寂に包まれた執務室。



ショーンは剣技に優れており、魔力も繊細さを活かすというよりは押し負けない強さを持つ三等隊員で、イリーナは子爵家令嬢ながら抜群の魔力制御能力と教養の高さを買われて入隊した四等隊員だ。第二王妃の側に就かせるには最適な人選であると言えよう。


ユールゲンもユールゲンで、気が弱く、しょっちゅう胃薬を服用しているが、チェスでは、私をも凌ぐ才能がある、司令塔向きの四等隊員だ。こちらもまあ妥当だろう。下にもユールゲンが精神的負荷で倒れないように支えてやれと言っておこう。



そんなことを考えながら、執務室の天井を見上げた――。

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