白鷹の飼い主
通りを行き交う人の多さも手伝って、通りには熱気が立ち込める。
レンガの家屋が道を挟み、所狭しと店が並ぶ。露端に立つ屋台が胃袋を鳴らし、服に匂いを染み込ませて、売り子が大声を出し、襤褸を纏った稚児たちが通りを駆け抜ける。
食べ物だけでなく、王都でも見たことが無いような魔素材や香辛料、薬、本、調度品があり、他国人の出入りも激しい。
今だって、肌が黒く全身を白い布で覆った集団が中東地方の伝統工芸品を売りさばいているし、目がギョロっとした小人族が見るからに質のよさそうな剣を大小合わせて八振ほど取り揃えて居を構えている。
王都は景観保護・治安維持を理由に財務府から許可証をもらった商人しか商いができないが為に、ほとんど自国民しかいない。
いたとしたら奴隷だ。
衣装問屋の前を通れば色鮮やかな反物がふわりと顔を掠め、香辛料市を抜けようとすると風邪に乗って運ばれてきた香辛料に目鼻をやられそうになった。
思うように前に進めない人混の中。
体と体がぶつかり合い、汗のにおいが鼻を突く。
しかも今の自分は気配が薄いため、よく樽や手足が私に向かって飛んでくる。
「キュウウウ」
喫茶店からの帰り道。
私の肩の上には、いつの間にか立派な鷹がちょこんと乗っていた。
羽も生えそろっており、艶もいい。
良家の持ち物だろう。
「…飼い主の元へお帰り」
純白の羽の表面をサラリと撫でてやり、鷹が飛び立ちやすいように右腕を差し出す。
しかし離れようとせず、逆に頭をスリスリと擦り付けてくる始末だ。
「あー、お前の飼い主に見つかったら私が殺されてしまうんだよ。
離れてくれ、いい子だから」
黒い瞳で見上げてくる珍客は言うことを聞いてくれない。
何故、気配を消した状態の私に気付き、懐いているのか分からない、不思議な子だ。
そして何やら嫌な予感もする。
「こういうときの堪は外れないのだが」
背中に走る悪寒を感じ取りながら、腕をゆすったり、杏子の実を鼻先につるしてみたり、近くで牛串を買っては早急に飛び立たせようとした。
「…」
「…」
「…」
「…」
不意に視線を感じたアンは元を探ると、とある御仁と目が合った。
銀髪。
魔力保持者。
金持ち。
長身。
細身。
この条件にあてはまる人間はこの場に一人しかいない。
――ついに出会ってしまったのだ。
本来なら交わることのない、運命と。
私が殺す人間の内の一人。
彼が目の前まで来ると、白鷹は鳴き声をあげながら飛び移った。
そうか、この人が、
…、
「ギルベルト・グウェン・イーストフィールド」
まさか本人のお出ましとは。
ギルベルト・グウェン・イーストフィールドの隣にいる黒髪低身長は、補佐官の李丞璃だろう。
イーストフィールド家の長男といえば、魔法警邏隊副長のはずだ。
仮にも。
「狙いが読めないな」
普段王都から離れない人間が、3日分ほどの距離がある学園都市に来るということは何か重要な任務でもあると考えるのが自然だろう。
彼は、アイギス様の首を狩った張本人だ。
目で捉えた銀髪と、覚えのある背格好。
時折見える横顔。
「」
スッと空間に剣を呼び出す。
宙に浮くそれの柄を握ると、掌にすんなりと収まった。
持ち手には水牛の皮を鞣して薄くしたものを巻いているため、鉄の硬さと、革のしっとりした感触がした。
剣から立ち上る鉄錆の香りは私の所業を表していると思う。
アイギス様に捧げたこの剣は、当に汚れている――。
「」
自分の目だというのに焦点が合わない。
視界に二人を収めたまま、ゆらゆらと彷徨い、通り過ぎる人や、店先に張られた軒、屋台の焼き台に刺さった肉塊を転々とする。
ギルベルト・グウェン・イーストフィールドは、直接は狩っておらずとも、無実を叫ぶ人間を見殺しにし、当時の権力者側において傍観していた。
つまり彼は加害者。
最終的には私がこの手で消す対象なのだ。
「」
これは好機だ、と叫ぶ心の中の獣がいる。
二人は私の存在にすら気付いていない。
呑気にじゃれ合っている。
恐らく、今なら簡単に殺れる。
何が起きたか分からないうちに、首を胴体から切り離すことができるだろう。
剣に浮く波紋をスッと撫でると、刀身が魔力を帯びて青く薄く光った。
その瞬間、こちらの魔力を感知したのか、二人の足が止まると同時に、
防御魔法が展開された。
場は騒然とする。
魔導士が公の場で魔法を使うことはない。
それも、瞬時に魔法を展開することができる人間など、魔法警邏隊か裏街の暗殺者に限られる。
しかし、ここは裏街。
ここに住んでいれば、魔法を使うことができる同業者の顔くらいは知っている。
となると、残された選択肢は一つ。
「魔法警邏隊だあああ」
「逃げろ」
「なんでいんだよ」
「ドン呼んで来い!!」
「”アン”でもいい!!」
騒動を起こした本人たちは何が起きたのか分からず、立ちすくんでいた。
蜂の巣を突いたような様に、ただ茫然としていた。
「」
混乱の中魔法を使えば、私ではなく、魔法警邏隊の二人が魔法の制御を誤って裏街の住民を殺しかねない。
そうなれば、裏街と王国は全面的に対立する羽目になる。
勝負は見えていたとしても、被害は甚大だ。
そこまで考え至ってもなお、二人を屠ろうとは思わなかった。
「また機会はある」
いずれ二人も含めて、アイギス様の汚名を晴らしたうえで、皆殺しにする。
アイギス様が浴びた罵声も、惨殺の前に受けた辱めも同じように受けてもらう。
それが一番の復讐だと、私は思っている。
「ギルベルト・グウェン・イーストフィールド、李丞璃」
「」
「即刻裏街から去れ」
「」
「そして許可なく二度と来るな」
「…でてこい」
「断る」
「貴様、何者だ?」
二人とも魔法警邏官の制服こそ着ていないものの服は一級品で、威圧感は十二分にある。
周辺の魔素を故意に乱して威嚇しているようだが、たいして怖くもなかった。
「鎮まれ」
手を時計回りに一周させ、手に力を込めて握り込みながら命じると、空間を漂う魔素は振動を止めた。
「貴様は登録魔導士ではないな」
「だとしたら?」
「連行する」
「それができると思うか?」
「する」
無謀もいいところだ。
圧倒的に魔導士として上手の相手に言う言葉ではない。
無詠唱魔導展開もできないくせに。
「害虫駆除してやるよ」
負ける気がしない。
向かい合った瞬間に、相手を無力化するまでの手順が鮮明に浮かんでいた。
相手が腰から短刀と剣を抜いた瞬間に、まず華人の手から短刀を消した。
正確には、砂に変えた。
鉄でできたそれらを大地に還したとでもいうのだろうか。
「な、」
突如として砂と化した自らの得物に驚きの声を漏らしつつ、李丞璃は朱文字が書かれた札を胸元から取り出した。
反応速度が温室育ちの貴族とは違うことから、彼はこちらの世界を少し齧っていると見た。
あとで”ドン”に聞いてみよう。
それにしても、そう広くない通路で朱札を出すとは。
分かっていないな。
「紫札にしとけ」
「!?‥どういうことだ、」
「朱札はこの場には過ぎた代物だ」
「」
「貴様ら諸共焼け死ぬぞ」
「嘘をつけ、」
「自爆したいなら他所でやってくれ」
「なぜ知っている」
「華国の魔法は自分しか使えないとでも思ったか?」
「…杜商店か」
「いや、まあいい。意外と流通しているぞ。お前の国の魔法は……
っと、」
「逃したか」
「氷帝にしては遅い登場だな。‥ギルベルト・グウェン・イーストフィールド」
「」
通り名で呼んでやると、眼差しに険が混じる。
まるで虫けらを見るように蔑みを含んだ眼差しに、憎悪が煮えたぎるのを抑えられなかった。
あの凍った顔で、アイギス様を見下ろし、首を落としたのだろうか。
何時、何をしていても、浮かぶのは、あの日。
鈍色の空から、断頭台に向かって一筋の陽光が射し込んだ瞬間。
白の隊服と、滝のように流れる銀髪の男が剣を持った手を上げ、そのまま地面に振り落とした瞬間を。
「」
何を言ったのかは聞こえなかった。
ただ、粗野な群衆が雄叫びを上げていた。
まるで、御伽話に出てくる悪い魔女を殺した勇者を讃えるように。
ふとした瞬間にこうして、何回でもあの場所に戻る。
今、彼を相手する気は無い。
摘まみ出せれば十分だ。
「次来るときは、変装くらいしてこいよ」
ギルベルト・グウェン・イーストフィールドの足元から真っ直ぐに伸びている氷塊を左手前で止め、李丞璃の手中にある呪札を焼き尽くした。
前に伸ばした左手を下に下げると、氷塊は派手な音をたてて霧散し、雪が降り注ぐように地に舞い落ちた。
跡形もなくなった呪札が指の間からはらはらと溢れていくのを、顔を固めて見る李丞璃が次に取る行動といえば護衛対象を逃がすことくらいだろう。
「定められたる時の流れを変えさせたまへ。願わくば我が敵の時が止まらんことを」
「」
「」
ここで敢えて詠唱魔法を使ってみた。
攪乱には丁度いい。
周辺の時の流れを一時的に遅くし、瞬時に間合いを詰める。
二人は何をされたのか分からないといった顔で固まっていた。
だが、それでいい。
「記憶は消させてもらう‥」
彼らの額に人差し指を置いて、今日の記憶を消した。
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