あの日、あの時。
「ねぇ、アン」
「はい」
憂いを帯びた顔を薔薇の生垣に向けたまま、指先まで優雅な仕草でティーカップを持ち上げるのは我が主、アイギス様だ。
いつもだったら貴族令嬢らしく、こんな真昼に外でお茶を飲みたいなどと口にすら出さない彼女だが、今日は違った。
3歩後ろを歩く私の元までツカツカと歩み寄るなり、
腕に手を置き瞳の奥まで覗き込むようにして命令したアイギス様は、ひどく思い詰めた表情だったことを覚えている。
「ねぇ、」
「はい」
「アンは、この世界をどう思う?」
「……政治的観点から述べさせていただくと、」
「違うわ。全体的に。おかしなことは何かなかったかしら?」
「…絶対笑わない?」
「えぇ」
「…私は、うんん。
この世界は、私が元いた世界の人間が造り出したもの、らしいの」
「…」
「それで私はそこの住人。その世界にはね、ゲーム
…動く語のようなものかしら?
水晶を使った玩具のようなものがあって、
内容は擬似戦争から魔法、恋愛…とまあ、様々な体験ができる遊戯があるの。
そこで元の私は、アイギスとしての私やエリオット様が出てくるゲームで遊んでいた
…貴女はこれを戯言と聞き流す?」
「疑い過ぎですお嬢様。私は主に服従しても盲信することはございません…、それを一番よくご存知なのはお嬢様でしょう?」
「…」
珍しく下ろしたままの銀髪が滝のようにサラサラと流れ、俯く顔を覆う。
時折見える菫色の切れ長の瞳に端気はなく、左手の薬指にはまるエリオット第二皇子から下賜されたシルバーリングを見つめていた。
私には知らない何かがあるのだろうか。
先日、皇子とのお茶会があってから違和感があった気がする。アイギス様は偽るのが上手い。
……何があっても自分一人で完結させてしまおうとする癖がある。
「アイギス様、」
「貴女には伝えておくわ」
「…」
「でもその前に約束して。この話を聞いても誰も殺さないと。自分を大切にする、犠牲にしないと」
「何故?」
「約束して」
「…左様な約束などせずとも犯罪行為に自ら手を染めることはありません。安心してくださって結構でございますよ、お嬢様」
「よかったわ。…だってあなた、この屋敷一の過激派なんだもの。正装すれば、私よりも令嬢らしいのに」
「はぁ、」
いつバレたのかは分からないが、お嬢様は私が隠していた特技までご存知だった。
…もしかしたら、シーツの選択に微量の風魔法を使ったのがマズかったのかもしれない。
もしくは、アイギス様を狙っていた侯爵家の手下を幾ばくか消したことも判断材料になった可能性がある。
「お嬢様も知っていたならお声をかけてくださればよかったのに…」
「自信がなかったのだもの…でも今ならはっきりと言えるわ」
「それは何故でしょうか?」
「それも今から話そうと思うの。いいかしら?」
「えぇ」
「…あのね、実は私、」
…。
私は近いうちによくて国外追放、悪くて処刑される。
でも恐らくは処刑されるであろう。
そしてそれらから逃れる術はない。
いくら逃げようとしても国から出られないように何らかの強力な呪がかけられている。原因を避けようにも必ず原因は引き起こされる。
だから、貴女は自由になって。生きて。
内容を纏めるとこうだ。
具体名を出すと私が殺人者になるからと、これ以上詳しい情報は教えてもらえなかったが、とにかく我が主は死ぬらしい。
「…」
あれから私はどの様にお嬢様に声をかけ何をしていたのかハッキリとは覚えていない。長い年月をかけて体に刻み込まれたメイドとしての仕事を機械的に行っていた気がする。
主が死ぬ。
そんなことを聞いて正気を保っていられる方が、護衛兼侍女筆頭として失格だろう。
かと言ってお嬢様の前で取り乱すことも許されない。
だから私はこう結論付けることで自分を落ち着かせた。
私が守ればいい、と。
事前に分かっていることなら防げる。
私ならできる。
そう、思っていたのだ。
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