明の明星
月が輝きを失い始めた頃、漆黒の空が白み始めた頃。闇は光に薄められ、世界は明を迎える。
神殿では、物の判別がつくくらいには明るくなっていた。そして、そこには少女が幸せそうに微睡んでいた。彼女は一晩中神殿の中にいたようだ。
雨風を防ぐようなものがない神殿であったが、春の暖かな風に彼女は守られていた。
風の唸り声に、金星の君は目を覚ます。
「もう明!? 儀式をしなくては」
慌てて立ち上がり噴水へ近付こうとした彼女に、一つの声が届いた。
「その必要はないよ。僕の可愛いお姫様」
その甘い声と共に現れたのは水星の盗人。黄金の髪を朝日に輝かせる彼の声は、いつもよりも
「お兄様、儀式をしなくては、どうなるのか分からないのでしょう?」
いつもの仮初めの姿から本来の姿になるとき、そしてまた仮初めの姿へ戻るとき、儀式は欠かしてはいけないものだった。それが彼ら双子に定められた誓約で、それを破れば二人とも命の保証さえない。
金星の君の淡い瞳は、疑問を孕みつつも真っ直ぐに水星の盗人を見つめていた。その空色の瞳から逃げるように、金色の瞳はあらぬ方向を見る。
「君を救いに来たんだ。君を苦しめるこの世界から、救い出しに」
けれどそれは一瞬のことで、青年は少女の眼をを覗き込むようにかがんだ。少女の顔が喜びに輝くのを確認した後、彼はそっと目を伏せる。
甘い花の香りが、そっと二人を包み込む。
「本当? 私を盗みに来た、とでも?」
気持ちを抑え平静を装って訊ねる彼女の声は、やはりいつもよりはやや高い。
「あぁ。この世界から君を盗み出すのさ」
「……嘘じゃなくて?」
「勿論」
水星の盗人は懐に手を伸ばしながらにこり、と柔らかい笑みを見せた。とろけるような笑顔は彼の金色の美貌に良く似合う。間近で見てしまえば卒倒しかねない色気さえ。爽やかにも思える色気は、どこか悪魔じみていた。
「嘘」
対する少女は、拗ねて頬を膨らませていた。まだあどけない顔立ちと色彩があいまって、天使が現れたかのよう。
「嘘じゃないって。ほら、目を瞑って?」
催眠術にかけられたように、少女は大人しく目を閉じた。そして――
冷たい光が朝の闇にきらめく。
「ごめん、でもこれが一番なんだ」
申し訳なさそうな声は、金星の君の心を鋭く突き立てる。
彼女の口から漏れ出た吐息は、苦痛の呻きではなく安堵の溜息だった。
「お兄様?」
少女の瞳は大きく開かれた後、だんだんと細められていった。
太陽の光が差し込み始めた神殿を、一人の少年がゆっくりと歩む。彼の髪は麗しく輝き、まるでどこかの王子の様であった。しかし、その瞳には暗黒しか見えていないようでもあった。
「僕の、可愛い妹。金星の君、我が愛しきお姫様」
彼は、すっかり冷たくなってしまった少女の体を腕に抱えていた。そして、ひたすらに彼女を呼び続ける。
「最期ぐらい、君に本当のことを言えばよかったね。でも君は、勘違いしているだけなんだ」
どうせ、とつぶやきながら愛おしそうに見つめ、頭をやさしく撫でる。
「心から愛しているのは、君じゃなくて僕だよ。僕は、君を守るためにどんな罪だって犯す、そんな気でいたんだ。君をすべてのものから守るってね。その為に、君から世界を盗まなくてはいけなかったなんて」
心底つらそうな溜息をつく。
「でも、君を苦しめるような世界なんて君に相応しくない。こんな世界、要らないよね? 大丈夫、僕がこの世界をつくり直すから。
だから、僕の愛しき片割れ、もう少しだけ待っていて?」
双子の禁忌の愛は狂愛へと移りゆく。
水星の盗人と金星の君は、共に安らかな微笑みをうかべていた。
太陽を背に、少年は涙を浮かべながら笑う。輝くその涙を一粒受けた、空色の少女も笑う。
「愛してる……」
金星の君、水星の盗人 サラ・ローズマリー @kannna
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます