秋の野で
おふくろが立ち上がる。おふくろもいつの間にか若くなっている。みんなで家の中へと入っていく。扉が開かれると笑い声。家の中にも子どもたちがいたんだ。おやじたちも笑う。家の明りがつく。
うっかり忘れてしまっていたけれど、40人の乙女たちがいたはずだ。辺りを見回すと、いつからそこにいたのか、彼女らは小さなくたびれた家を取り巻いていた。ふわふわ浮かんで、身体が透けている。まるで幽霊みたいだ。恐ろしくはないけど。家の窓全てに明りが点る。きらきらと美しい。
乙女たちがおれの側にやってきた。場面はまた変わっていた。今度も知った景色……でもおれがいま住んでる、じいさんの屋敷の近所だ。乙女たちは浮かんだままで、泳ぐようにおれの元へやってくる。軽やかに翻る身体、頬には微笑み。乙女たちはおれをどこかに誘っている。
おれは彼女らの後をついていった。ここも黄昏だ。さっきと同じ。風が髪を揺らす中、おれは乙女たちと歩いていく。進む先に、森が見えてきた。ミミウが中に入っていった森だ。
乙女らも入っていく。おれもだ。くすくすと彼女たちの笑い声が耳にくすぐったい。しなやかな腕が上げられて、進む道を示してくれる。森の中に開けた場所があった。そしてそこに一人の女の子がいた。
女の子は――それは人間じゃなかった。二本足で立って、茶色のワンピースを着てるけど。でも尖った三角の耳に、ふさふさした尻尾。全体が茶褐色の毛で覆われている。女の子は背を向けていた。でもおれたちに気付いたのか、ゆっくりと振り返る。女の子は――ミミウだ。
――――
夢はそこで終わった。おれは書斎にいた。少しの間呆然として、そしてすぐに行動を開始した。ミミウがどこにいるかわかった。だから迎えに行くんだ。
薄暗くなった空の下、おれは駆け足で森へと向かう。強い風が吹きつけてくる。さっきの夢と同じ――でも乙女たちはいない。当たり前だけど。乙女たちはいないけど、おれはどこに行くべきかわかっている。
森の中はさらに暗かった。木の根に足を取られそうになりながら、進んでいく。そして夢と同様の、開けた場所に出た。でもそこにいるのは女の子じゃない。一匹の、眠る大きな獣だった。
獣は石を枕にして、目を閉じていた。石は――白く輝く石で、それを見ておれははっとした。夢みる石じゃないか。こんなところにもあったなんて知らなかった。獣が目を開ける。おれを見て――そして立ち上がった。
迷う気持ちが獣の瞳に現れている。獣は――ううん、ミミウだ。ミミウは、どうしてよいかわからない、とでも言うようにおれをみた。おれはミミウに近づいた。もう怖くはなかった。もうおれは知っているんだ。こいつがミミウだってこと。群れからはぐれて、途方に暮れた、幼い女の子だってこと。
「ミミウ」
おれは呼び掛けた。ミミウの顔に動揺が走る。おれはさらに近づいていく。そしてそっと手を伸ばす。
「……シャム」
小さな声でミミウが言った。なんだかべそをかいてるような声だった。おれは伸びあがって、ミミウの首に手を回した。そして優しく抱きしめた。ミミウが、濡れた鼻をおれに擦り付ける。茶褐色の毛はごわごわして硬い。でもとても暖かい。
――――
ミミウを連れておれは家に帰った。家にはミス・デイジーが戻っていて――そしてミミウを見て、目を丸くした。でもミス・デイジーは怖がらなかった。おれがあの森の空き地でやったみたいに、ミミウに近づいて、彼女を抱きしめた。するとミミウがたちまち人型になった。そして、小さな身体で、ぎゅっとミス・デイジーに抱きついた。
それからおれたちは一緒に夕飯を食べた。いつものように。まるで何事も起きなかったかのように。
――――
数日後、じいさんが旅から帰ってきた。ミミウが元いた群れを発見したらしい。だから今度はミミウをその群れまで送り届けなければならない。今度はおれも一緒についていくことにした。その途中におれの実家があって――たまには顔を見せるのも悪くないんじゃないかと思ったからだった。
あの一件があった翌日、ロンが訪ねて来た。ミミウが見つかったことは、おれがロンの家まで報告に行ってたんだけど、ミミウの顔を見たくてやってきたらしい。手に花を持って。なんだからしくなくって、思わず笑ってしまった。
そうそう、ミミウが枕にしていたあの石はすっかり消えてなくなっていた。どこかに移動してしまったのかもしれない。どこだかはしらないけど。
天気のよい秋の日、おれは、おれとミミウとロンはピクニックへと出かけた。ミス・デイジーの作ってくれたお弁当を持って。枯れた野を、おれたちは勇敢に進む。おれたちは笑う。おれたちはみな上機嫌で、足取りは軽い。
ミミウを送り届ける日が近づいている。別れは寂しいっちゃ、寂しい。でもおれは思うんだ。じいさんは獣人の言葉が喋れる。ということはおれも頑張って勉強すれば彼らの言葉が話せるようになるかもしれない。そして、ミミウの群れを訪ねて、彼女に会うこともできるかもしれない。どうだろうか。そんなに……そんなに不可能なことだとは思われないんだよ。
ぴょんぴょんと跳ねるように先を行っていたミミウがこちらを振り返った。そして何か一言言った。獣人の言葉で、だよ。おれにはそれはまだわからない。やっぱりそれは書き表すことさえ難しいもののように思える。でもそれは――それは、春の日のそよ風のような、乙女たちの甘い匂いのような、小さな家族に点る明りのような――そんな心地良い音だったんだ。
40人の清らなる乙女 原ねずみ @nezumihara
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