第35話; 思い出のクレッセントビーチ
美咲ちゃんの死は私を絶望の淵に追いやった。私は生きる情熱の様な物を全て失い、蝉の抜け殻の様に、体と言う受け皿は存在しているけれど、体の中身であろう心はそこにはなかった。心を失ってしてしまったのだ。
それからの私は部屋に引きこもり、食事もとらず、オンライン・ハイスクールに入学してから、この5年間もの凄く頑張って生きてきたのに、美咲ちゃんを失った出来ごとで目の前は真っ暗な暗闇に変わってしまった。
KENからは毎日メールが届いていたが、私はKENに返事を送ることを止めた。
KENは毎日の様にFace Time(北米のLINEの様なもの)を利用して電話もかけてきてくれたが、私は彼からの電話だけではなく、誰からの電話にも応答することも拒絶した。
大学にも全く行かなくなり、確実に今年は落第するだろと思ったけれど、もう大学なんてどうでもよかった。
美咲ちゃんの死は、人間がこの世からいなくなることがいかに簡単に出来てしまうことを私に思い知らせた。美咲ちゃんの死の本当の理由は、私が美咲ちゃんを見捨ててカナダに留学したからだ。そうに違いないと思う様になってしまっていた。
4月に美咲ちゃんの死を知り、ほぼ1ケ月間私は部屋から出ずに、ただ息を吸っているだけ、美紅という人間の抜け殻だけが、田中家の美紅の部屋に存在し、私はドアに背中を持たせて、何時間も何時間も窓から見える雲の中に美咲ちゃんの影を探していた。
そろそろ梅雨入りかと思う6月の日のことだった。
「美紅ちゃん、KEN君が来てくれたわよ」
とドアを開けられない様に、ドアの前で背中を抑えて座っていた私に聞こえる様に、ママは何回も
「KEN君がカナダから美紅に会いに来てくれたわよ」
と言っている様に聞こえる。
パパは陽子さんに電話をかけ、救いを求めたらしい。
きっと陽子さんがKENに日本に行く様に説得してくれたのだろう。
誰かが、ドアを押し開け私の部屋に入ってきた。
幻なのか幻想なのか、今私の部屋にKENが立っている。ドアを押し開け部屋に入ってきたKENはいきなり私を抱きしめ、
「I will take you to Canada. I won’t leave you alone here. カナダに連れて帰る。一人にさせないから」
と言って、強く強く私を抱きしめてくれた。
私はその場に立っていることが出来ずに、KENの腕の中に倒れ込んだ。
パパが空港にKENを迎えに行った様で、パパも会社に行かずに、その場にいた。
「パパは、陽子さんから今朝早くにお電話を頂いてね。『KEN君が今日のJAL17便に搭乗しているので、成田空港に迎えをお願いします』と言われたんだよ」
とパパが言う。
ママは
「美紅ちゃん、お風呂を沸かしてあるから、KEN君の前でそのカッコはないでしょ。綺麗にして来なさい」
「KEN君も長旅でお疲れでしょ。美紅がお風呂から出てきたら、一緒に夕食を食べましょうね」
とKENに日本語で話している。
KENは韓国人なのにママはそのことを分かっているのかしらと、そんなことが気になって、少しずつ私は現実の世界に連れ戻された。
私はお風呂に入り、体を洗い、髪の毛を洗い、鏡に映る自分の姿を見たら、この1ケ月間、ろくに食事を食べていなかったので、やせ細った醜い体がそこに映し出されていた。
私は、部屋に戻り新しい下着に着替えて、小奇麗な部屋着に着替え、久し振りに鏡に向かい、薄化粧をしたら、今この家の中にKENがいることを思い出した。
一階に下りいくと、KENは我が家のリビングのソファに座って父と話をしている。
確かにそこにKENがいる。幻なんかじゃなかった。
KENは着替えて出てきた女性が、この前までUBCのキャンパスで愛を語り合った女性の面影がまだ残っていることを確認できたのか、少しほっとした顔をしている。
私は、急に自分のしていることが恥ずかしくなった。
ただただ、涙が止まらなくて、KENの横に腰かけたら、パパとママの前だったけれど、KENは私の肩に腕を回して、日本語で
「凄く心配したんだぞ」
と言って、頭を撫でてくれた。
カナダで聞いていたKENの日本語は完璧の様に思えたが、日本で周りに日本人しかいない環境で聞くKENの日本語は完璧ではなかったけれど、それでも英語も韓国語も出来ないパパとママと日本語だけで十分に会話をしてくれている。
KENは私の部屋で寝ることは許してもらえなかったけれど、我が家の客間で休んで下さいと、ママは嬉しそうに客用のお布団を敷き、KENの寝床を準備してくれた。
KENはUBCでのイグザム(試験)の日までにはバンクーバーに帰らなければいけないと言って、試験前なのに私のために1週間日本に滞在してくれた。
私達は沢山のことを話し合った。UBCのキャンパスでも色々なことを話し合ってきたのだが、ここまで真剣に二人の将来について話したのは初めてことだった。
KENは、私にカナダに戻ってくることを強く勧めてきた。
「学生としてでもいいけれど、ワーキングホリデイでもいいじゃないか」
と言う。
KENを見送りに成田国際空港に行った帰り、私はその足で慶応大学に行き、教授にUBCに転学したいと相談をした。
先生は、UBCに知っている教授がいるらしく、私のために色々と尽力を尽くして下さり、今まで私が慶応大学で取得した全ての単位の移行とまではいかなかったが、UBCの教育学部に編入したいという私に可能な限りの単位移行が認められる様に取り計らって下さった。その要因は、私は去年の2月から今年の1月までUBCのESLに就学していて、優秀な成績でアドバンスクラス(上級)を既に終了していたので、その時の成績が評価され、本科生としてUBCに入学する道が開かれた。
その年の9月から私は、UBCの教育学部の生徒となった。
教育学部を選んだ理由は、美咲ちゃんの様な悲しい出来事を二度と繰り返されない様に、そして外国語を学ぶ楽しさを今度は私が先生となり子供達に教えていきたいと思ったからだ。
日本に帰国した数か月間に、あまりに沢山の出来事が起こり、さすがにパパとママも、私を引き留めることはしなかった。
おそらくKENと実際に会って接したことで、娘を託せる男と認めてくれたのかもしれない。
早ければ、私は3年後の6月にUBCを卒業できる。
KENは私より1年早くUBCを卒業した。KENは、バンクーバーの弁護士事務所で見習いとして働き始めた。
久し振りに二人が出会ったサレー市に行こうと、KENと私はサレー市のクレッセントビーチ(三日月の海岸)にやってきた。
フレイザーハイツ高校に通っていた頃によく、このビーチでデートをしていたので、私達にとっては思い出の場所だ。
もう11月。今年も残りわずかだ。
11月のビーチは少し寒くて、まだ手袋をはめるシーズンではないので手袋はカバンに入っていない。手のひらに息を吹きかけていたら、KENが私の左手を握り自分のジャケットの右ポケットに入れてくれた。
「美紅、僕はカナダに移住しようと思う。僕と結婚してくれないか?」
とKENが言った。
「トランプがアメリカ合衆国の大統領になるんだぞ。僕がカナダに移住して、美紅と家族となることなんて、簡単なことの様な気がしないか?」
「本当ね。トランプがアメリカ合衆国の大統領になれるのだったら、私はUBCを卒業したら、KENのお嫁さんになって、母校のフレイザーハイツ高校のESLの先生になることなんて、至って簡単なことの様に思えるわ」
「ははは。君がESLの先生? なれるといいな。いや、きっとなれるよ。」
「KEN、私は16歳で初めてカナダに来た時にはね、すごい野望を持っていたのよ」
「へー初耳だな。美紅の野望って何だったんだい? 是非聞きたいな。」
「私が陽子さんを始めて見たのは、高校の入学式だったの。陽子さんは来賓として来られていたんだけど、私達新入生に向かって『英語さえできれば、世界は君たちの手の中に収めた様なものです』と語ったのよ。私はその言葉だけを頼りに、本気で世界を手に入れたいと思ってカナダに来たの。」
「ヘー知らなかったよ。それで、世界は手に入れられそうかい?」
「まだ私の人生は始まったばかりだもの。KENと結婚して家族を作って、英語の先生になって、いつか子供が生まれて、全力で子育てをして、いつかお婆ちゃんになって、それでも世界を手に入れることだけは決して諦めないわ。私が80歳になった時、この三日月の海岸にKENと二人でこうやって手を繋いで来られたならば、もしかしたらその時が、私がこの世界を手に入れた時なのかもしれない。KEN、私『オンライン・ハイスクール』に行って本当に良かったと思っている。オンライン・ハイスクールに入学したことが、私が世界を手に入れるための入り口だった様に思うの。」
「君が世界を手に入られる様に、僕は全力で君をサポートするよ。美紅、僕と結婚してくれるかい?」
「もちろんよKEN」
「結婚式はどこでやろうか?」
「バンクーバーでやりましょう。KEN、どうしても結婚式に来て欲しい人がいるわ」
「陽子さんだよね。是非来てもらおう」
クレッセントビーチから見える夕日が間もなく地平線から見えなくなりそうだ。
「I LOVE YOU KEN.」
「I LOVE YOU TOO, MIKU」
― 前編完結 ―
オンラインハイスクール YB @Online-High-School
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