第34話; 美咲ちゃんの死は誰のせい?

 2年前にカナダを離れた時は、私は必ず慶応大学に入学して、KENがいるUBCに戻ってくるという夢があった。その夢だけを信じてKENから離れて帰国することが出来たが、今回の帰国には次の目標が何もない。このまま帰国したら、KENとの関係はいつか友達に変わり、KENはUBCで新しい彼女が出来て、いつか私もKEN以外の男性に恋をする日が来るのかもしれない。

そんなことを頑張って想像してみたが、やっぱりKENでなければいやだった。


 バンクーバー国際空港では、私はKENのジャケットの端っこから手を放すことがどうしても出来なかった。

それを見かねた陽子さんが、

「もうタイムリミット。美紅、聞きなさい。あなたとKENの関係がもしも本物なら、信じてその時を待ちなさい。本物なら、きっとまたKENに会えると私が約束してあげる」

それでも、KENのジャケットから手を放すことが出来ずにいたら、KENがその私の手を取ってジャケットから放させた。

私は泣きながら、ゲートに進み最後はKENの顔を見ることさえできなかった。

JAL17便に搭乗してウインドーサイド(窓側)に腰かけた私は、最後のKENとの別れが、KENが私の手を彼のジャケットから放させたことになってしまった後悔に襲われた。機内からラインでKENに、

「必ずもう一度KENに会いに行くから。愛しています」

と書いて送った。

直ぐにKENから返事が来た。

「I LOVE YOU TOO MIKU.」

と書かれていた。

そのアイフォンを抱きしめて、今すぐに飛行機を降りて、ゲートまで戻りKENに抱きつきたかった。

そんな私の思いをよそに、JAL17便はバンクーバーを出発し東京への帰路を目指した。


 日本に帰国し、暫くしたら大学にも復学し、私は今年の春で慶応大学の3年生になった。意欲のあるクラスメートたちが就職活動の話をしている。大学では、就職セミナーが頻繁に開催され、3年生も参加する生徒たちが増え始めた。

2年前の今頃は、校内で行われる留学セミナーに積極的に参加して、UBCに行く方法を模索していた自分の姿を思い出して、今の私はアスペルガー症候群ではなく、燃え尽き症候群状態に陥ってしまっていると思えた。

 振り返れば、オンライン・ハイスクールに入学してから、カナダキャンパスに行く目標、カナダの語学学校ではレベル3に行く目標、KENが行く現地高校に行く目標、慶応大学に合格する目標、UBCの交換留学生に選ばれる目標を抱えて生きてきた。それならば、就職する目標を立てれば良いと頭では理解出来ているのだけれど、その世界を想像してみてもそこにはKENがいない。

なんとなく毎日大学に通い生きているだけの私になっていた時に、まだ美咲ちゃんに帰国の挨拶に行っていないことを思い出した。


 美咲ちゃんは中学3年生になっているはずだ。美咲ちゃんのためにカナダで買ってきていたメイプルシロップをお土産にして、連絡もせずに美咲ちゃんの家を訪れてインターフォンを押すと、あの品のいいお母さんがインターフォン越しに「はい」と返答がある。

「ご無沙汰しています。田中美紅です。近くまで来る用事があったので、お電話をせずに失礼かと思いましたが、美咲ちゃんがご在宅でしたらお茶にお誘いしたくて伺いました」と言うと、

お母さんは玄関を開けて下さり、

「田中さん、カナダからお帰りになったのね。どうぞ中にお入り下さい」

と私を家の中に招き入れて下さった。

私が玄関で靴を脱ぎ、通された部屋はリビングの横にあるお座敷だった。

なぜ今日はお座敷なのだろうと思いながら、お座敷の部屋に足を踏み入れて私はそれ以上部屋に足を踏み入れることが出来なくなった。

そこには、真新しい祭壇が飾られ、遺影の写真に写る女性は、私が良く知る美咲ちゃんに違いなかった。

「田中先生、ご迷惑でなければ、美咲にお焼香頂けますと、美咲が喜ぶと思います」

「これって、まさか美咲ちゃんは亡くなられたのですか?」

「今年の2月に亡くなりました」

「どこかお体を悪くされていたのですか?」

お母さんは首を横に振りながら、

「美咲は事故でなくなりました」

「事故?どんな事故に美咲ちゃんは巻きこまれたのですか?」

「田中先生、お茶を飲みながらお話しでも致しましょう」

とお母さんが言われるので、

私は美咲ちゃんが死んだ事実を受け入れないままに、お線香をあげて、美咲ちゃんのお母さんの後ろをついて、ダイニングに向かった。このダイニングは、私が美咲ちゃんの家庭教師をしていた時、お勉強の後美咲ちゃんとお母さんと三人でお茶を飲みながら団欒したお部屋だ。

私はとても違和感をおぼえた。

今日はなぜなのだろうか、美咲ちゃんは不在で、お母さんと二人で向かい合っている。

「田中先生にはお話をしていませんでしたが、美咲は小学6年生くらいから、自傷を行う様になり、中学1年生の頃は毎日手首を切る様になっていました。美咲が言うには、死のうと思って切っているのではないらしく。手首をほんの少し切って血が滲んでいるのを見ることで生きている実感を持つことが出来ると言うのです。心療内科には小学校6年生の時からずっと通っていますが、ずっと入退院の繰り返しでした。田中先生に出会えて、美咲にもほんの少し希望の光が見え始めました。美咲は、田中先生のいらっしゃる日をとても楽しみにしていました。田中先生が美咲と同じアスペルガーだと知り、私達親も美咲にももしかしたら田中先生の様に明るい未来が訪れる日が来るかもしれないと思える様になりました。あの頃が私達家族にとって一番幸せな時間を過ごしていたのかもしれません。田中先生のお陰です。私は、今でも田中先生に感謝しています。

美咲は、確かに学校は休みがちでしたが決して不登校ではなく、学校には通い続けていたのです。ところが、去年の暮に学校でちょっとした事件が起こったのです。

美咲の通う中学校に、若い数学の男性教師が赴任されたのです。どうやら美咲は、その先生に憧れていた様です。その先生が、美咲のクラスの数学を教えることになり、美咲が毎朝髪の毛をブローして登校していく姿を見て、美咲もお年頃になったのだと喜んでいました。

そんなある日、美咲のクラスメートの美和ちゃんとその先生ができているという噂がクラスにたったそうです。私は美咲に『そんな噂、カッコいい先生を美和ちゃんに一人占めされない様に、誰かが立てたデマじゃないの?』と言ったのですが、美咲は『クラスメートのみどりちゃんが、クラブの朝練の前に荷物だけ置きに教室に行ったら、先生と美和が抱き合っていたのを見たって言っていたもん』と言うのです。この噂はPTAでも問題視されて、実際は事実だったのか中学生が企てたデマだったのか真相は分かりませんが、先生は退職の道を選択されたのです。

そのことが切掛けとなり、美咲は朝になるとお腹が痛くなり、田中先生は仮病と思われでしょうが、本当に美咲は冷や汗をかきながら腹痛を訴えるのです。痛み止めを飲ませて、学校を休ませるために学校に電話を入れると、嘘の様に腹痛はおさまるのですが、その頃からまた自傷行為が始まりました。

あの日は、私は施設に入所している母嫌のお見舞いに出かけていて、美咲に今から帰るからと施設を出る前に電話をかけ続けたのですが、美咲が電話に応答しないので、寝ているのかしらと思いながら、認知症の母親の世話を済ませ、美咲のことで胸騒ぎを感じていた私は家路を急ぎました。もう一度美咲に電話をかけようと思ったら携帯が見つからず、公衆電話から施設に問い合わせたら、お母様のお部屋にお忘れでしたと言われ、慌てて施設に携帯電話を取りに帰ってから帰宅したのです。

玄関を開けて、『美咲』と呼んでも返事がなく、母に持っていくために今朝焼いたシュークリームを美咲と食べようと思い、お茶を準備して、美咲の部屋に行き、いくら呼んでも返答がないので、ドアを開けたら、美咲は机に持たれて眠っているので、こんなところで寝ていたら風邪をひくわよと肩をゆすったら、全く動かないことに気づいたのです。急いで救急車を呼んだのですが、間に合いませんでした。美咲は、そろそろママが帰ってくるから、ママが見つけてくれるはずと、薬を多めに服用したのだと思います。数学の先生の一件があってから、美咲は異常なほどに私からのアテンションを欲しがっていました。私が携帯電話なんか忘れたりするから、帰ってくるのが遅くなってしまったから、美咲の自傷行為を早く見つけてあげられなかったのです。美咲は自殺したのではなくて、早く発見をしてあげられず死に至った事故だと私は思っています」

と言われた。


 お母さんのお気持ちは痛いほどに理解できたが、それはやはり自殺行為からの死だったと私は受けとめた。

私はそれからどうやって家に帰ったのか良く覚えていない。

気が付いたら、家に帰っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る