第33話; 美咲ちゃんとの出会い

 私は慶応義塾大学に入り、入学した目的はパートナーシップ大学のUBCに行くことだったので、どうしたらエントリー出来るのかそればかりにアンテナを張って大学生活を送り始めた。

オンライン・ハイスクールに入学し、カナダキャンパスに留学するために在宅コースから通学コースに変更した当時の自分を思い出した。あの時の私にわずか3年後に慶応義塾大学に入学しているなど誰が想像できただろうか。

パートナーシップの大学には1年間留学に行けることを1年生に在学している中で知り、エントリーの方法を聞くと、希望する大学への留学が定員をオーバーした場合は、成績が優秀な順番から希望する大学への留学の切符を手に入れられると校内で行われた留学説明会で聞いた。

私の慶応義塾大学での生活は、UBCに行ける成績を修めることしか考えていなかった。サークルなどにも入らず、バイトもせずに、成績を上げることだけに集中した。

待ちに待ったエントリーの時が来た。

クラスメートの女子たちは、アメリカの大学にしようか、カナダ、イギリスにしようかと、日本人でも知っている様なブランド力のある大学選びをしている。

エントリー結果の発表日、郵送が待ちきれず大学に行き、私のエントリー結果を確認すると、掲示板には第一志望のUBCの欄に私の名前が書かれている。

事務所の受付で、私は声をあげて泣いた。

事務所の女性職員は何事かとアタフタしていたが、

「UBCに行くのが私の夢だったんです」

というと、留学の手続きをする書類が入った封筒を「おめでとう」と言って渡してくれた。

 UBCへの交換留学が確定してから出発日まで、私はアルバイトを始めた。

中学生だった頃にリサのママの店で働いた経験はあったが、お金を貰っていなかったので、私は人生で初めてお金を稼ぐために働いた。

クラスメートがしているバイト先に空きがあると聞き、その上時間給が3,000円と聞いて目を丸くしながら、彼女の話を聞くと家庭教師のアルバイトだと説明してくれた。

この私が誰かに教えるなんて出来るか不安だったけれど、UBCの選考に選ばれたことが私の自信につながり、クラスメートの紹介で有名家庭教師塾に登録した。

会社で、派遣される先の子供達のプロフィールを見せてもらった。小学生から高校生まで色々な子供達のプロフィールが書かれている用紙を一枚ずつ見ていると、会社のスタッフは、

「小学生から初めてみますか?」

と言われ、どうしようかと思っているところに、希望教科は英語と書かれた中学一年生女子のプロフィールに目がとまった。目がとまった理由は、備考欄にアスペルガー症候群と書かれていたからだ。事務所のスタッフの人に、

「私、この中学生の女の子の家庭教師になりたいです。」

と言うと、

「中学生は多感な時期のお子様が多いので、初めて教える相手には適さないと思いますよ」と言われたのだが、どうしても彼女の家庭教師になりたいと願い、

「無理を承知でやらせて下さい」

とお願いした。

私の希望を受け入れて下さり、初めて美咲ちゃんの家を訪問したのは、9月の初旬だった。私は2月からカナダに留学する。わずか5ケ月の間に、どれだけ美咲ちゃんと仲良くなれるか不安もあったが、大好きな英語を教えられること、陽子さんが私に沢山の愛情を注いでくれた様に私も美咲ちゃんの陽子さんになりたいと思い、美咲ちゃんの家庭教師を始めることにした。

美咲ちゃんの家は白金になり、庭に咲き誇るお花が、少し伸びすぎた枝にくっついて塀の外まで美しい姿をのぞかせていた。まるでジブリの映画、借りぐらしのアリエッティに登場するおうちみたいだ。

呼び鈴を鳴らし、私を迎え入れてくれたお母さんは品が良くて、紹介された美咲ちゃんは中学1年生にしては背が高く、ひょろひょろとした、赤い淵のメガネが似合う女の子だった。

確かに多感なお年頃なのか、美咲ちゃんは殆ど喋らない。

私はお友達になるために派遣されてきたわけではない。お金を頂くのだから、しっかりと教えなければと、自分なりに準備を整えてやってきた。

美咲ちゃんの部屋に通された私は、

「今日は美咲ちゃんの英語力を知りたいので、このテキストブックのページ1~3までの解答を考えてみて下さい」

と、美咲ちゃんにテキストを渡した。

美咲ちゃんは何も言わずに、渡されたテキストに解答を書き込み始めた。横に座りながら、彼女が書き込む答えを見ていると、殆どが正解している。美咲ちゃんは頭が良い子だと認識した。

答えを書き込まれたテキストを私に渡してくれたので一緒に答え合わせをして、2問ほど間違っていた設問の正しい答えを美咲ちゃんに説明した。

そして

「今日は初日なので、美咲ちゃんの英語力を理解することを目的でお邪魔したので、残りの時間は、お互いの自己紹介をしない?」

と提案したが、美咲ちゃんの表情は全く変わらない。

私は、高校は通信制高校に通い、カナダキャンパスで就学して、カナダの高校にも行った体験などを、美咲ちゃんに話した。

「次は美咲ちゃんの番よ」

と言ったけれど、美咲ちゃんからの自己紹介は、名前と年齢だけだった。

まあ初日だから仕方がないかと思っていると、

「先生、お時間ですからお帰りになる前にお茶を召し上がって行きませんか?」

とお母さんから声をかけて頂いた。

塾のスタッフに

「ご家族に、私もアスペルガー症候群なのですと告白しても良いですか?」

と尋ねた時に、

「先方には信頼関係が築けるまでカミングアウトは控えて下さい」

と言われた。

初日だからだろうか、お母さんはとても美味しそうなショートケーキにミルクティで私をもてなしてくれた。

お母さんには、塾から私のプロフィールが渡っている様で

「田中さんは、高校生で2年間もカナダに留学されていたのですね」

と言われたので、

「さっき美咲ちゃんにもお話したところなのですが、私は、今は慶応大学の学生ですが、高校は通信制高校を卒業しています。通信制高校の生徒としてカナダの高校に通い、英語力を身に付けました」

と、美咲ちゃんの目の前だったので、隠さずにお母さんにプロフィールには記載されていない本当の自分を紹介した。

お母さんは、え?という表情を一瞬見せたが、「通信制高校から慶応大学に進学されたのですから、田中先生は優秀だったのですね」

とさらにほめて下さった。

「私が優秀かどうかは分かりませんが、中学時代は自分に自信がなくてクラスではいつも独りぼっちでした。でもカナダに留学したことで、私は生まれ変わることが出来たと思っています。英語の学ぶ楽しさを美咲ちゃんに伝えたいと思っていますので、これからも宜しくお願いします」

と伝えると、

美咲ちゃんは一言も言葉を発しないが、お母さんと私の会話はとても弾むことが出来た。

私は美咲ちゃんに顔を向けて、

「私は、アスペルガー症候群という発達障害を持っているの。この病気と上手く付き合えるようになるには時間もかかったけれど、今は私の個性の一つと思っているわ。頼りない先生だなと思ったら、いつでも塾に電話を入れて断っていいからね。私は、来年の2月にはカナダの大学に進学することが決まっているから、わずか5ケ月間だけど、精一杯英語を教えたいので宜しくね。」

と伝えると、始めて美咲ちゃんは、私に興味を示した。

正直お母さんは、私の告白をどう感じたのかは分からないけれど、私は美咲ちゃんの家庭教師を断られることなく、毎週火曜日と木曜日に美咲ちゃんの家に通い英語の家庭教師を務めた。3ケ月が経とうとする頃にお母さんから、

「美咲の家庭教師の先生がこんなに長く続いたのは田中先生が初めてです。先生が宜しければ、あと1日家庭教師の時間を増やして頂けませんか?」

と言われた。

私は1時間の英語の家庭教師をしっかりこなし、授業の後にお母さんが準備下さるお茶を飲みながら、カナダ留学の面白話や日本を飛び出し驚いた体験などを美咲ちゃんに話して聞かせた。

美咲ちゃんとの信頼関係を築くのに5ケ月はかかった様に思う。

やっと美咲ちゃんが私に少しずつ話をしてくれる様になった時に、私の渡航日がやってきた。

美咲ちゃんを日本に置いてカナダに出発することが私の後ろ髪を引いた。

留学に行くことを取りやめようかと何度も悩んだが、慶応大学に入学した目的を思い出そうと、私は高校3年生の時に書いていた日記を読み返し、美咲ちゃんの家庭教師を始める時に、塾からも最長5ケ月の家庭教師の派遣ですと先方に告げてもらっている。私の性ではないと頭では理解出来てはいるのだが、心がそれを許してくれない。私は定期的にカウス先生のカウンセリングを受けていたので、カウス先生に美咲ちゃんを残してカナダ留学に行っても良いのでしょうかと相談してみた。

カウス先生は

「田中さんは高校1年生の時に当医院に来られ、アスペルガー症候群と診断されましたね。そのことで、あなたのお父さんとお母さんは、田中さんの再渡航を大反対されたことを覚えていますか?」

「覚えています」

「それでも田中さんは出発したのです。その後、田中さんの未来はどの様に開かれましたか? それを見守っていた田中さんのご両親はどうなりましたか?」

「幸せになったと思います」

「私もそう思います。田中さんが2月からカナダに留学することで、その美咲さんが不幸になるのか幸せになるのか、誰にも分かりません。だから、田中さんは2月から留学に出発されれば良いのです」

と私の背中を押してくれた。

この言葉を信じて、後ろ髪を引かれるまま、私は慶応大学の1年生の2月にバンクーバーに戻りUBCに通いだした。


 KENとは1年半振りの再会だ。

会えなかった時間を取り戻す様に、私達は毎日顔を会わせた。

大学生になったことで、KENはホームスティ先から巣立ちUBCの大学寮で暮らしている。大学寮の部屋数には限りがあるので、短期留学の学生に寮があてがわれることはないと聞いていたが、私は抽選にでも当たったのか、大学寮に入寮することが出来た。KENは本科生なので、学生ビザに合わせて労働ビザも取得しているので、平日は勉強に追われていたが、土日は韓国レストランでアルバイトをしていた。賄い付で、給料以外にチップが入るレストランでのアルバイトは留学生たちに人気がある。

私はESLの学生なので労働ビザは取得できないが、渡航日までの半年間は掛け持ちでアルバイトをしてお金を貯めてきたので、今回の留学費の一部は私が出している。それでも無駄使いをしなくて済む様に、出来るだけ自炊をする様に努力を続けた。

 自炊をしている私を、陽子さんは月に1回自宅に呼んでくれた。

サレー市の語学学校に通っている当時もそうだったが、陽子さんは毎月1回、担当している留学生全員を家に招き日本食を振る舞ってくれる。会費は5カナダドル(約500円)支払えば、日本食を山ほど食べさせてもらえた。

「後輩達に美紅のサクセス・ストーリーを話してあげなさい」

と良く陽子さんから言われた。

その食事会には、私だけでなく、カナダの大学に進学した秀樹君や、ワーキングホリデイでカナダに渡航した通信制高校の生徒だが年齢は19歳のたっくんも毎月食事会に参加していた。

高校生たちは全員ホームスティに滞在しているが、通信制高校を卒業している私達3人は自炊をしているので、毎回陽子さんは、炊き立てのご飯をタッパーウエアに詰めてくれて、今日の食事会に出すおかずを取っておいてくれて、アルミフォイルに詰めて、夜食に食べなさいと自炊組に持たせてくれた。

UBCのESLはレベル1から7まである。

UBCのESLに入学してくる留学生の殆どが、ESLのアドバンス(上級)を終了したら本科に進学をすることを目標として入学してくる。

私の様に日本の大学が単位を移行してくれるお気楽留学の学生は少なかった。

同じESLでも、サレー市の語学学校に通っていたESLとは比べものにならない程、UBCのESLはレベルが高い。UBCの本科に入学することを目標としてプログラミングされているコースなのだから、レベルは高いのは当然のことだろう。

KENは弁護士を目指している自慢の彼氏だ。高校1年生から付き合っているので、遠距離恋愛の時間も長いけれど、私達の付き合いはもう3年を過ぎている。離れている時間が長かったので、求め合う私達は、ルームメイトがいない個室寮で暮らしているKENの部屋にお泊りすることも良くある大人の恋愛関係になっていた。手を伸ばせばKENがいる空間での生活を共有することで、私はいつかKENと結婚できたらいいなと思う様になっていた。

KENはどう思っているのかは聞いたことはないけれど、きっと同じ思いでいてくれていると思っている。

UBCの1年間の留学生活はあっという間に時間が経過して、まもなく帰国の日が迫ってきた。KENとは2回目の別れとなる。

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