第32話; 慶応大学に行く!

 現地高校に通い1年が経った。履修教科4×2学期で、私が在籍するオンライン・ハイスクールは36単位を認定してくれた。

私はまだ日本に帰りたくなくて、カナダに残れる方法を必死に考えたが、

陽子さんから

「美紅はフレイザーハイツ高校での就学を終える6月には、日本の高校の3年生の1学期を終える時期だから、日本に帰りなさい。日本の大学に行くのであれば、高校3年生の6月に帰国して夏休みには予備校に通い大学受験の準備を始めなさい。AO受験を考えるならば願書の締め切りは8月、受験は9月、そんなプランを頭で描いておきなさい」

と言われた。


 大学受験、確かに大学には行こうとはおぼろに考えてはいたけれど、どこの大学に行き、何を勉強するの? 全くイメージが出来ない。

KENは私と違って卒業留学なので、もの凄く頑張って勉強している。

KENは、カナダの高校を卒業したらカナダの大学に行く予定だと言う。

私は今年6月に帰国し、来年の3月に日本のオンライン・ハイスクールを卒業する予定だ。KENは、来年の6月にカナダの高校を卒業する予定だ。

私が日本に帰ったら、KENとの交際は終わりになるのだろうか。


一年間の現地校生活はあっという間に過ぎて、帰国する6月が近づいてきた。

その頃には、KENは進学する大学を決め、「フレイザーハイツ高校を卒業したら、UBC(University of British Columbia)に行こうと考えている」と言う。

日本の大学のことさえ何も分からない私だけれど、カナダの現地校に通っていると、カナダ人の友達がどこの大学に進学したいという会話を耳にすることがあった。頭が良い子たちから聞く名前の大学が、KENが進学を考えているUBCだった。

日本への帰国が確実となっている私にとって、日本で出来ることはないかと考えた。

KENが行く大学の姉妹校が日本にないか調べることにした。

ネットで調べて見つけた先は、慶応義塾大学。

「陽子さん、私慶応大学に行く!」

陽子さんと亜子さんは私を見て呆れている。

「美紅、記念受験で受けたいならば慶応を受ければ良いけど、もっとまじめに本命の大学を探しなさい。本気で慶応義塾大学に受かると思っているの?」

そういいながらも、陽子さんは私の気持ちを分かっているので、京都の立命館大学もUBCとパートナーシップを組んでいることを調べてくれた。

陽子さんは、立命館大学への受験を勧めているのかと思ったら、陽子さんは

「立命館だってどれだけ難しい大学と思っているの? 慶応も立命館も美紅が受かるとは思えません」

とはっきりと言われてしまった。

陽子さんに何と言われようが、私はUBCとパートナーシップを結んでいる大学にしか行くことを考えていなかった。

立命館大学は京都にある大学だ。京都に住むとなると生活費がかかるから、2年間も留学させてもらって、まだこれからUBCに留学することを考えたら、これ以上のお金の負担をパパとママにお願いするのは躊躇するので、第一志望を慶応義塾大学、第二希望を立命館大学で受験の準備を始めることにした。


 志望校を変える意思を見せない私を見て、陽子さんが私に準備をしてくれたのは、サレー市にある日本語学校でのボランティアだった。「推薦状は1枚でも多い方が受験には有利よ」と言って、私は陽子さんの紹介でサレー市日本語学校の幼稚園と5年生のクラスでボランティアとして先生のアシスタントを務めることになった。サレー市日本語学校には、日本語を学ぶためにカナダに住む日系人の子が多く通っている。学校と言ってもクラスは1週間に1日、そして1日2時間の授業×2クラス(幼稚園と5年生)のボランティアだ。日本語学校は日本語を学ぶ塾の様な存在で、私は毎週水曜日夕方の4時から夜の8時まで日本語学校で働いた。

あと陽子さんが提案してくれたことは、通信制高校からのGPA(評点値)を最高点に持ち上げること。たかがレポートと考えず、100点の解答を目指した。試験も100点を取ることだけを目標にした。


 6月の帰国前にして、私はサレー市日本語学校の岡本校長先生からの推薦状、フレイザーハイツ高校の日本語クラブの顧問のサチコ先生(日系三世だと言うESLの先生)からの推薦状、そして陽子さんが書いてくれたエージェントからの推薦状、各3枚ずつ慶応義塾大学と立命館大学指定用紙に推薦書を書いてもらうことが出来た。

受験は帰国子女受験やAO受験と色々な方法があったが、私はAO入試を選択することにした。願書受付の条件は両大学共に英検2級以上。陽子さんの勧めで留学期間中の一時帰国時に日本で英検を受けておいた。2級をA判定で合格している。

面接の練習は、カナダで陽子さんを相手に何度もやってきた。

「あなたは通信制高校に進学していますが、面接官にその理由を尋ねられたら、こう答えなさい」

「えーそんなこと聞かれるの、じゃあ慶応なんて無理じゃない?」

「無理じゃない。『私は、中学を卒業する時期から将来の進路を視野に入れて、海外に分校を持つ卒業校である通信制高校に入学することで、在学期間の3年間を外国で英語を勉強することが叶う環境を整えたいと考え、両親と相談して通信制高校に進学しました。』

と答える様に」

何回も何回も言葉使いをなおされながら練習をした。


 日本に帰国した私は、9月にAO入試を受けた。AO入試は、得意学科受験なので、選んだ学部の入試問題は英語と小論文のみだ。在籍している通信制高校の私の評点値は期待以上だった。出席率は、無遅刻無欠席だ。海外の高等学校での在籍証明書。推薦状3通。出題は何が出るか分からないので、新聞は毎日読んだ。

私なりに全力で受験に挑んだ。

10月に入って、慶応義塾大学と立命館大学の入試結果の封筒が自宅に送られてきた。

パパが家に帰るまで待つことが出来ず、ママに封筒を開けてもらった。

ママは

「美紅、美紅、美紅」

と泣き出した。

「何、受かっているの?落ちているの?」

ママの手から紙を奪い取り、私の目に飛び込んできた文字は、合格だった。

慶応大学も立命館大学も両方合格していた。

私は暫く信じられなくて、合格通知をただ見つめていると、ママはその横で、仕事中のパパに電話を入れている。

「KEN、必ず私もUBCに行くから、それまで待っていて。暫くの間、私達は遠距離恋愛になるけれど、私はあなたを心から愛しているから」

そんな思いで溢れていた。

結局は、親元から通える慶応義塾大学に進学を決め、UBCに行くことだけを目標として慶応に入学した。

KENも同じ年の9月に本科生としてUBCに入学した。

高校時代からずっと聞かされていた通り、KENが大学で選考した学部は法学部だ。UBCの法学部に進学するためには、KENが持つGPA(Grade Point of Average)はぎりぎりだったらしく、UBC以外の大学にするかKENなりに悩んだと聞いている。GPAは日本で言う評点値の様なものだ。ところが私が慶応義塾大学に受かったものだから、男として志望大学を変えるわけにはいかないと、猛勉強をしてUBCの法学部に入学できるGPAに辿り着いたと説明してくれた。

北米では、大学入試には試験はない。ではどうやって、カナダ人の高校生は大学に進学できるのかと言うと、Grade10~Grade12(高校1年生~3年生)の成績で、個々の学生はGPAで評価される。高校3年生たちは学校のカウンセラーの指導の下、行きたい大学と学部を決めるのだが、カウンセラーは生徒たちが大学・学部を自分の持つGPAから正しく選べているか指導はしてくれるが、入学を希望する大学にはインターネットを利用し学生自身が入学申込の手続きをする。入学申込をした大学には、在学高校から生徒の成績書(GPA)が送られ、学校側がその生徒を受け入れるか否かを判断するシステムとなっている。つまり、日本の様に高校3年生になって慌てて予備校に通い最後の追い上げを見せることは出来ない。北米では3年間を通して常に成績を意識して勉強しなければ、希望する大学の学部に入学することは難しい。留学生の私がこの方法で、UBCに入ることなど決して叶わなかったであろう。

「美紅、あんたの彼氏のKENは、まったくもって凄い男だね。美紅、KENを逃したらだめだよ」

と陽子さんはいつも私にそう言うのだ。


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