リボルバーズ・プリンセス

佐野友希

第1話

「……ここか」


 掲げた松明の炎が、内部に吸い込まれるように揺れ動く。

 慣れた手付きで松明を地面に落とすと炎を消し、代わりに背嚢から集光筒を取り出し中の日光石を弾く。瞬間、翠色の淡光が溢れ出し周囲5メートルの範囲を照らし出した。

 探針計、深度計、地図など探索に必要なものと簡易食料、水、酸素、応急装具など生存に必要なものに不備がないかの最終確認を行い、それから少女・ニチル・チェスカトールは腰に下がるそれに触れる。


「使う機会がなければいいけど……」


 正面に向き直り、巨大な口を開ける大穴に目をやった。


「大丈夫だよね……」


 この大穴にはまだ名前がなく、暫定的なポイント名である単純な符号しか与えられていない。発見から3年で内部の探索は地下200メートルまでしか終わっておらず、最終的にどこまで広がっているのかもわかってはいない。ニチルが持つ地図は先日更新された最新のものであるが、今回の潜行でニチルが目指すのは地図に載っているのよりも更に下の未開領域。

 当然、死の可能性のある危険な潜行であり、通常は複数人での潜行が推奨される。

 しかし、今日この場にいるのはニチル一人。

 彼女、ニチル・チェスカトールには夢があった。

 父を凌ぐ探検家になるという大きな夢が、彼女にはあったのである。

 そして数カ月後に等級審査が控えており、その際に未開領域への潜行・調査という実績があれば審査も通りやすくなるはずであると、ニチルは考えたのである。


「……よし」


 統正行から発行される許可証は携帯している。

 数日以内に許可証の返却が行わなければニチルは行方不明ということで捜索が行われるということになっている。

 と言っても、それは形式上のものであり、帰ってこない冒険者は数多くいる。そのたびに捜索が行われるということはなく、許可証の未返却はそのまま死亡扱いというのが暗黙の了解であった。


「……」


 この地下への入り口は地震の際に姿を現したという。

 入り口と、第一停留地点までの道程は支保枠によってある程度の補強が行われ安全確保はされている。

 地質調査・気質調査によるとこの大穴は今から28世紀ほど前に建造されたもので、直ちに人体に影響はないものの、内部では極微量の引火性の気体の流出が確認されているらしい。地下水も多く存在しているらしく湿度は常時100%なので静電気によって火花が散る可能性は低いものの、事前に持ち物からは金属類を排除してあった。

 ニチルは歩き出す。

 12時間以内に第一停留地点へ行きそこで一晩を明かす。そこから先は自分の体力と各種状況を鑑みながら確実に進んでいく。大まかなプランではあるが実際内部の探索が思い通りに行くということはない。

 第一停留地点を過ぎればそこは約3000年の間放置されてきた未開の空間。

 天面や地面、壁面が崩壊していれば迂回出来る場所を探し、新たな崩落に巻き込まれないように慎重に進んでいく必要がある。

 足元は特に重要であり、経年劣化や地盤活動によって予期せぬ場所に縦穴や裂け目が生じている場合もあり、万一穴に落ちれば縦穴壁面に体のあちこちをぶつけそのたびに回転しながら、皮膚を裂かれ、骨を砕かれ、場合によっては手足をもがれながら時速およそ80キロメートルで穴の底へ叩きつけられる。

 穴内部に水が溜まっていれば即死は免れるかもしれないが、這い上がる手段がないのはもちろん地質によっては水自体が有毒である可能性もあり、水温によって体力も奪われ死に至るのにそう時間はかからない。

 地下というのは、人間が生存するのに適した場所ではないのである。

 しかし。

 危険よりも、死の可能性よりも、ニチルの中では大穴という存在そのものに対する好奇心と憧れ、父への想いが勝っており、だから結局ここへ向かう足を止めることはできなかった。

 実績作りというのは重要なことである。

 けれど、実際のところ単純に最近出現したという地下へ潜ってみたかったというのがニチルの率直な思いであり、彼女にとってこの大穴は可能性の塊なのであった。


「……けっこう、明るい」


 入り口から入り込んだ外界からの明かりによって30分歩いた程度の場所までは辛うじて集光筒なしでも内部の構造が見える程度には明るい。他の探検家が天面や壁面に光の蓄光・増幅作用のあるホタルゴケの種子を植え込んだのが数年掛かってようやく光を発するまでに成長してきているようである。内部の水分と、入り口から流れ込む空気と共に運ばれる栄養素によって生命活動をしているのであろう。

 まるで星空のような光景に、先行した探検家に心の中で感謝をしつつニチルは足元や側面の岩盤の反響を確認しながら慎重に進んでいく。

 途中、乳白色の細長いトカゲのようなものや天面から垂れ下がる光の粒を見つけるたびにニチルは小さな歓声を上げ、小休憩の度に持参したノートに見かけたものをスケッチしていく。

 生息している生物は光のない世界で生まれた生物であり、体色は白色が基本であり、眼はほぼ機能していないか完全に退化している。生物の生息密度が低いため餌に乏しく気温も低いため新陳代謝が緩やかであり動きは遅い。固有種が多く生息しており、大穴ごとにまったく異なった生物による生態系が構築されている。


「すごいなぁ」


 無意識に言葉が漏れるニチルであるが、そうしているうちにあっという間に第一停留地点へと到達した。

 出発からおよそ10時間。

 予定よりも少し早く、ニチルは停留地点に仮設営されているベースキャンプに入ると食事を済ませ、装備の点検をし明日に備えて睡眠を取る。

 そうして6時間後。

 日が昇るということがない地下内部の時間の流れは読み辛く、まぶたを開けたニチルが天井に吊るされた室内筒の陽光に目を細める。時刻を確認し、簡単な食事を取り、再出発する。

 疲れていたせいかぐっすりと眠れたニチルはすっかり眠気が取れており、足取りは軽い。

 ただここから先は今まで以上の危険が考えられ、ゆっくり、慎重に進む必要がある。


「ーーっと、あぶな」


 ニチルの進む先に大きな岩が転がっており、状態からしてここ最近このようになったらしい。ニチルの背丈ほどあるそれは少なく見積もっても4トンはあり、これの落下に巻き込まれていれば命はなかった。

 それからもあちこちで落盤や地面の裂け目を確認し、深度計によれば現在地上から180メートルの地点まできている。

 探索が済んでいるのは200メートルまでであり、そこから先は地図も存在しない完全な未開領域。

 ニチル自身がマッピングをし、安全を確認しながら進まなくてはならず、そうなる前にニチルは一度休憩を取ることにした。

 テントを設営し、発燃石を砕く。食事を作り仮眠をとり、そこでニチルは飛び起きた。

 地面が揺れている。

 この近くではない、遥か遠くであろうが、かすかに地面が揺れており、しかし音はしない。

 岩盤は遮音性が高いため仕方がないのだが、音もなく、まともな明かりもない中で地面が揺れるというのは恐怖感を覚えるには十分であり、ニチルはテントを出ると集光筒を掲げ周囲を照らし出す。

 岩盤崩落の前兆は認められず、直ちにここが落盤や崩壊を起こす可能性は低い。


「…………」


 戻るか、進むか。

 自身の保身を考えるのであればこの場からすぐにでも来た道を戻るべきである。

 一度戻り、時期を見てもう一度挑む。

 その頃には内部の探索も今以上に進んでおり、より安全に進むことができる。ただ、それでは未開領域の探索という事実は認められず、そうであるならば今ここで、ここから先に進む必要がある。

 誰も足を踏み入れず、何があるかもわからない世界へ、ニチルは進むしかない。


「…………戻ろう」


 けれど。

 等級審査も、父を超えることも、命がなくては達成することはできない。

 引き際を見誤り命を落とす者は数多くいる。しかし、ニチルはまともに思考することができた。

 引き返すという選択肢が浮上した時点でそれは戻れということであり、進めということではない。強い危険を感じそれを回避しようとするのは人間をはじめとする生物がもつ本来の能力であり、この場合ニチルは理性で考え、本能が指し示す明確な命の危機に対処するのである。

 集光筒の明かりの届かない暗闇の中、ニチルがじっと見つめるその先に何があるのか彼女は知らない。

 今ではない、近い未来に再びここから先を自分の足で歩くことを父に誓いつつ、来た道を戻るため反転しようとしたその時。


「ーー……え」


 それは、とても小さなものであった。

 ともすればニチルの足音や呼吸音にでも掻き消えてしまいそうなほどに微かで、小

さな、それは声であった。


“たすけて”


 聞き間違いでなければ、ニチルの耳に届いたそれは助けを求める誰かの声であった。

 闇の中から聞こええくるその声は、穴の内部から吹き出す風、染み出す水、岩盤の隙間、いったいどこから聞こえてくるのかニチルにははっきりとした出処はわからない。

 ただ、更に地下、ニチルが諦めようとしているその先から聞こえてきたということは確実であり、つまりこの先に誰かがいる。

 助けを必要としている誰かがいるのだ。

 声の方へ一歩踏み出す。

 が、続く二歩目をニチルの理性が止める。

 おかしいのだ。

 統正行に出向いた際、この大穴に現在潜っている人間がいないということは確認している。それは事実だ。

 他の大穴とこの大穴が内部で繋がっており、別の大穴から入った人間がいるという可能性もある。しかし、その可能性は考えるのに値するほど確率の高い話ではない。


「たすけて」


 今度は先程よりもはっきりと、女性の声で聞こえた。

 ニチルにもしっかりとその声は届き、心臓が早鐘を打つのを覚えた。額にじっとりとした脂汗が滲み、喉が鳴る。


「……」


 どうするべきか。

 考えるニチルであるが、答えは簡潔である。


「……無理だ」


 助けを求めている以上怪我をしている可能性が高い。怪我人を連れて地上へ上がることなど一人でできることではないし、なにより声の主の居場所がわからない。

 目的地もはっきりとしないままに声だけを頼りに地下を進むなど自殺行為だ。

 そのような行いをニチルは是としない。


「……」


 だが、ニチルは迷う。

 いったい、どれほどの恐怖であろうと、ニチルは考えるのだ。

 誰もいない暗い地下。

 怪我をして動けない。

 集光筒は壊れ視界はなく、光のない中傷の痛みと聞こえる崩落音が思考を満たしていく。

 いったい、どれほど怖いだろうと、ニチルは考えてしまうのだ。

 居るかもわからない誰かに助けを求めてしまうほどに恐怖と絶望に支配されつつあると、ニチルは考えてしまうのだ。


「ーー私は、ばかだ」


 暗闇へと足を踏み出すニチル。

 放っておくことができない。

 見捨てることができなかったのである。


「どこにいるの?!」


 声を上げるニチル。

 反響を繰り返し、その声は闇の中へと吸い込まれていく。そうしてどれほど経ったであろうか。


「たすけて」


 再び声がする。

 声のした方へ下っていくニチル。

 先程の揺れの影響からか道の状況は悪く、何度も死を覚悟する。

 一時間ほど歩き続け、深度計を見ればすでに地下210メートル。

 意図せず未開領域に辿り着いてしまい、ニチルは乾いた笑いがこみ上げてくるのを覚えた。


「……?」


 そうしてニチルは見つけた。

 壁の隙間、人一人がようやく通れる程度の僅かな隙間、そこを集光筒で照らすと、見えたのである。

 顔は見えない。

 ただ、足が見えた。

 横たわるようにして二本並んだ足が、見えたのである。


「そこね?! 待ってて、いまいくーー」


 世界が反転した。否、突如として足元の地面が崩れ、頭から落下を開始したのだ。

 声すら上がらず、一瞬で死を覚悟する。落ちる過程で体のあちこちを岩石で切り刻まれ、波のように痛みと、意識が引いていく。

 ニチルの意識に最後に残ったのは、完全なる闇であった。

 

ーーーーーー

ーーーー

ーー


「ーーぅう」


 この状況に於いてそれが本当に幸運であると言えるのかは誰にもわからない。

 しかし、ニチルは生きていた。

 体中切り傷だらけではあるが、四肢は取れておらず意識ははっきりとしている。

 細く開けた瞳に、おぼろげに光が映った。

 ニチルが持っていた集光筒から散らばった日光石の破片であり、消えかかるようにして弱々しく明滅を繰り返している。近くには背負っていた背嚢も確認でき、中身が無事であれば予備の日光石を取り出して傷の手当を行うことができる。


「……ぁうう?!」


 背嚢まで這っていこうと身を起こそうとしたニチルは、息ができないほどの激痛に襲われ地面に伏せた。どうやら肋骨が折れているらしく、意識が飛びそうになるほどの痛みをこらえつつ、ほんの3メートルほど離れた場所まで行くのに一時間ほどの時間をかけ、背嚢を開ける。

 幸い中身は潰されておらず、日光石を砕き光源を確保すると胴を固定するための制動帯を取り出し自分の体に巻きつける。折れていると思われる箇所に緊急用の鎮痛剤を打ち込むと数秒して痛みが和らいでいき、少し経つ頃には地面に座れる程度にはなる。

 体中の傷の消毒・止血を行い時間と共に生体組織に馴染む人工皮膚を貼り付け、ようやく落ち着いたところで周囲をぐるりと見回してみれば、落下してきたそこは広い空間となっているようだ。

 照らされる範囲に於いて壁は見当たらない。天面も見つけられず、しかしそこで再び大きな揺れが起こり、天面の一部が崩落、そこから明かりが射し込んだ。


「…………ぇ」


 射し込む光によって、それまで見えていなかった空間の中央部分が視界に入る。そこには地面から天面までをまるで貫くようにして巨大な柱のような構造物が生えており、半透明の水晶のようなもので出来たその柱の中に、なにかがある。

 否。

 誰かがいる。


「……」

 

 脇をかばいつつ無言で立ち上がるニチル。

 痛みも忘れて、それを凝視する。ゆっくりとふらつきながら柱に近づいていき、ニチル自身にも自分が何をやっているのかよくわからないまままるで吸い寄せられるようにしてそれの前に立つ。

 それは、完全に柱の中に入っているのではなかった。

 体の半分、腹から下の下半身と左腕が水晶の中に取り込まれ、それ以外の上半身と右腕は外へ出ている。うなだれるようにして長い髪を前に垂らして表情は見えないものの、それは人間の女性のようであった。


「……あなたなの……?」


 水晶外部に露出している肩にそっと触れる。

 途端、女性が着ていた服がまるで砂のように崩れ、肌が顕になる。


「ーー!!」


 赤黒い小豆色となった皮膚が骨に張り付いている。到底生きている状態ではなく、その女性は既に死亡していた。

 恐る恐る顔を覗き込むニチル。眼窩に目玉はなく、深い黒色がニチルの視線を吸い込む。表皮は黄色く油が滲んでいるようにぬらぬらとしており、カビの匂いと嫌に甘ったるい香りがニチルの鼻腔に入り込む。


「……」


 立ち直り、一歩下がるニチル。

 生前、この女性は助けを求めていたのかもしれない。けれど、ニチルの元へ届いた声の主はこの女性ではない。

 ニチルは水晶に背中を預けて地面に尻を着く。

 落下の直前に見た二本の足。

 あれが声の主であるとすればニチルと同様にこの空間へ落ちてきているはずである。あれから声はせず、普通に考えるのであれば既に声の主は死亡している。身動きも取れず落ちれば、それが当然であろう。

 となると、ニチルがすべきなのはこの空間からの脱出である。地図に載っている地点まで復帰出来ればそこからなんとか戻ることは出来るかもしれない。探針計があれば自分が歩いてきた方角を知ることは出来るため、取り敢えずニチルは背嚢から地図と探針計を取り出し、生きて戻るために痛みをこらえて立ち上がる。


「……ん?」


 微かにではあるが鼻に感じる異臭がする。崩落によって有毒な気体が流出しているのかもしれない。

 顔面全体を覆う防毒面を取り出してみるが、濾過装置が故障しているらしく使い物にならない。仕方がなく、清浄作用のある植物の繊維で織られた布で口と鼻を覆い、急いでこの場を離れるべく歩き出す。


『タスケテ』


 立っていた。

 それは、ニチルの正面に初めからいたのだ。

 足裏が地面に張り付き動かない。頭の先から足の裏までを何かで貫かれその場に串刺しにされるような感覚を、ニチルは確かに受ける。

 指から力が抜け、持っていた集光筒を落とす。地面に石が散らばる音でやっとニチルは現実に引き戻され、転がった日光石を一つ掴み再び正面をみるが、既にそこには何もいない。

 石を前に突き出しぐるりと回るが、周囲にはなにもおらず、けれどニチルは確かに見た。

 人の顔を模した感情のない面のような顔。全身は白く艷やかで光沢があり、胴も四肢も細く、昆虫のようである。

 ニチルは知っていた。

 直接見たことはなかった。文献の中でだけ見たことがあるそれの名は、


「……エインスマクター」


 外宇宙からの来訪者。

 地球の観察者。

 人類の侵略者。

 約30世紀前に人類が一度消える原因となったヒト種の天敵。

 ニチルの父を殺した人ならざる存在。

 助けを求める声は、エインスマクターによるものだったのである。

 餌を呼び寄せるための罠だったのである。


「…………」


 腰にさがった鞘から短剣を引き抜く。

 父の形見であり、父が最後に見つけた遺物。

 一度この剣はそれ《エインスマクター》を殺している。だから、この剣で殺せるはずなのだ。

 ニチルの前に再び立つそれを、殺すことが出来るのだ。


「……!!」


 小石が轢かれる音がする。はっとして振り返ると、それは柱に閉じ込められた女性の遺体の前に立っていた。


『ゥゥゥゥゥ』


 意味をなさない音が聞こえてくる。

 何をしているのか、ニチルにはわからない。

 ただ、エインスマクターの注意がニチルから外れているというのは事実であり、つまりチャンスは今である。

 音を立てないように、短剣を腰だめに据える。エインスマクターの背後からジリジリとにじり寄り、腰の辺りに狙いを定める。

 過去にニチルが読んだ文献によれば、エインスマクターの心臓部は人間で言う子宮の部分にあるらしい。そこを剣で突き刺せば、殺せはしなくとも動きを止めることは出来るはずなのだ。動きを止めてしまえばそこからは時間をかけてでも生命活動をしなくなるまで破壊することが出来る。


「……」


 一歩。

 気付かれてはいない。

 四歩。

 未だ気付かれず、ただエインスマクターが何をやっているのかはわからない。

 八歩。

 エインスマクターの肩越しに女性の頭頂部が見える。

 十歩。

 エインスマクターは、女性の頭をもぎ取ろうとしていた。


「!!」


 飛び込むようにしてエインスマクターに迫り、鋒を背骨に捩じ込む。そのまま背骨を断ち切り、子宮部分へ刀身が埋まる。

『ゥァァァアアア、ァ』

 エインスマクターがくぐもった声を漏らす。痙攣するような小刻みな動きでニチルのいる後ろを振り向こうとするが、させまいとニチルは柄を握る手首を捻り刀身を回転させる。


『ーーィ、』


「……?」


『ーーィィぃい、イタ、ィ、イタイ、イタイイタイイタイイタイイタイいたいいたいいたいいたいいたいいたい痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!!』


 最初こそ音程の外れた意味の成さない音の漏れだったそれは、次第にはっきりとした痛みを訴える叫びとなってエインスマクターの頭部から発せられる。突然のことにニチルは動揺し、捩じ込む腕から力が抜ける。

 瞬間、エインスマクターがその白く長い腕を鞭のように振り、ニチルの右脇腹を撫でた。


「ーーぁ」


 声さえ出すことが出来ずニチルは吹き飛ばされ、地面に転がると同時に脇腹から鮮血が溢れ出す。急速に血溜まりを作りつつ、意識はどんどん遠のいていく。掠れる視界の隅でエインスマクターが緩慢な動きでニチルの方へ迫っていくのが見えた。


「ーーぅうううああ……」


 エインスマクターがニチルの頭を掴み宙に浮かせる。流れ出した血液が足を伝って地面に落ち、ニチルの両目から涙が溢れ頬を伝った。

 頭を掴む手に力がどんどん加わっていき、ぼやける視界にノイズが走る。耳元では轟音が鳴り響き、左右のこめかみにツゥーっと血が流ていく。

 ニチルの脳は、数瞬後に訪れるであろう死を悟る。

 あらゆる想いが脳内を駆け巡り、悲しみ・恐怖・怒り、その他の負の感情と言えるものが増幅されていく。

 ニチルは思う。


「……死に、たくな……い」


 瞬間、エインスマクターの左半身が消失する。

 内部の構造が露出し、白色をしたゼリー物体が地面に撒かれる。バランスが崩れてニチルを掴む手が離れ、ニチルが地面に伏せる直前に何かが支える。


「……ぇ……?」


 ゆっくりと地面に降ろされるニチル。霞む視界の中でエインスマクターとニチルの間に誰かが立っているのが見えた。


「すぐに終わらせるので」


 そう言う声が聞こえたときには既にニチルの意識は消失しており、次に目を覚ました時、ニチルの目の前には一人の女性が座っていた。


「ーー……あ」


「大丈夫、ですか」


 血の気のない白い顔をしたニチルを覗き込む女性は、静かな口調で話しかける。

 もう、ニチルは指先を動かす力すら残っていない。手足の感覚はほとんどなく、頭がガンガンと膨張しているような脈づくような感覚に襲われているのだ。視界も白んでよく見えず、音もまともに聞こえない。

 そんな中ニチルの意識の中にあるのは自分を見下げる一人の女性がいるということで、辛うじてその女性に助けられたということが認識できた程度であった。


「……ぁ、……あ」


 口を動かすが、言葉が出ない。

 言いたいことはあるのに、伝えられない。

 ニチルの目の端から涙が溢れ出してくる。

 もうすぐ訪れる死が、怖くて怖くて堪らないのだ。


「ごめんなさい。私では炭素生物の生体補修は出来ない」


 女性は言う。

 ニチルを真っ直ぐに見つめ、静かな落ち着いた口調で言葉を伝える。血に濡れたニチルの手を取り、その感覚ははっきりとはわからないものの、微かに暖かさは伝わってきた。

 助けられないと伝えられるニチルだが、次第に産まれてくるのは恐怖や悲しみよりも、漠然とした安堵の気持ちであった。

 自分が死ぬときに、隣に誰かがいてくれてよかった、と。

 誰もいない暗い闇の中で死ななくてよかった、と。

 ニチルの流す涙は、安心感からくるものとなっていた。


「……ぁ、りが……と、う」


「……ありがとう」


 息をしなくなったニチルに、女性は掛けられた言葉を繰り返す。

 その時。

 凄まじい轟音と共に空間上部が爆発したかのように崩れる。そして姿を現すのは天面を覆い尽くさんばかりの大量のエインスマクター。通常人間であれば闇に紛れて見えないそれも、旧時代、エインスマクターを殲滅するために人類によって製造された女性ーー「自動人形」であるメリア・ロストリガムにははっきりと見ることが出来、そこでメリアは自分の使命を思い出した。


「……エインスマクター」


 この星に存在するすべてのエインスマクターを消し去ること。

 それが彼女が産まれた理由なのだから。





     ※     ※     ※




 

 荒涼とした砂原の一際大きな高台になっている場所に、一人の女性が座っていた。

 彼女は右手に持った短剣で左手に持つ石に何かを刻み込んでいるようで、その隣では一匹の黒い大きな犬が寄り添うようにして眠っている。

 ふーっと息を吹きかけ削りカスを飛ばす女性の眼下には、崩壊し、巨大なクレーター状となった構造物の残骸が広がっており、辺りに生き物の姿はない。


「……ねえ」


 女性が隣の黒い犬に話しかける。


「どこにいこうか、ヌァレフ」


 犬は顔を上げ、少し女性の方を見ると再び寝息を立て始める。

 そんな犬の様子を見て女性はふっと笑みをこぼすと、刻み終わった石を残骸の方へ高く、大きく投げ飛ばす。


「ごめんなさい。ありがとう」


 大穴の中で眠る一人の少女に、最初のありがとうを告げた。 

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