二人の『独り』(下)
夜明け前の山奥に強すぎる光が照らし少年を困惑する前・・・ビルから落ちた少女は・・・
絶望から強烈な光を感じる余裕もなく、ただ目を瞑っていた。自分がビルの屋上から落ちていくのを風圧で感じていたが、いつの間にか落下による風圧を感じることはなくなり、背中がふんわりとした感覚になった。少女は変化に気づくことはなかった。ただ目を瞑って地面に叩きつけられるのを待っていた…が、いつまで経っても落ちることはなかった。異変に気づいた少女は目を開けると…そこには真っ白な世界が漂っていた。さっきまで真夜中のビルの屋上にいたはずなのに、目の前の光景は真夜中で何もなかった。何の感触もなく、ただ浮いている状態でいた。あまりの変化に少女は困惑していた。何が起こったのか理解することができず、ただ呆然としていたが…次の瞬間、目の前に眩しい光が漂った。それは先ほどの強烈な光ではなく、朝日が登ったような、オレンジ色の光だった。それと同時に、少女の体は一瞬で落下していった。ビルから落下したと同じ風圧を感じて…そして周囲の光景に驚いた…
人気のない山奥に広がる綺麗な広場と湖。時刻は5時半頃に差し掛かる。空は少しずつ青く明るくなり日の入りに入った。橙色の太陽がまだ夜が残る濃い青空の一点を染めるように昇っていく。同時に湖の表面も透き通った薄い橙色を映し、広場の原っぱも照らしていく。
そこに1人の少年が茂みを掻き分けて広場に入っていく。中学生ぐらいの少年は先ほどの強すぎる光について全く検討がついておらず、未だに動揺している様子だ。
夜明け前にも関わらず、周囲一体を照らす光は異常であり、怪奇現象とも言える。山奥で一瞬の出来事だったこともあり周囲の様子を伺うことも出来ないため頭の整理が追い付いていなかった。
動揺を引きずりながらも状況を少しでも打破するために前に進むことを選び、茂みを掻き分けて辿り着いた先が、広場が生い茂る綺麗な湖だった。
湖に行き着いた少年の表情は少し安堵の様子だった。元々の目的地が今いる地であることが少年の様子からして分かった。湖周辺には人はおろか、生物が見当たらない。完全に少年1人だけだ。直前の異常現象のことも忘れ、安心しきった彼はとりあえず水辺まで行った。何も考えずに、ただ何となく前に進んだ。足が水に浸かっても進み続けた。一歩ずつ歩むにつれて水に浸る足が深くなっていくが、気にすることなく進む。
やがて水の深さは膝に達し太腿に達し臀部に、遂には腰の位置まで達した。臆することなく歩み続けていく・・・腹部の位置に水が達してきた時・・・
「・・・っえ!?」
「っ!?」
少年が湖の中を進む音しか聞こえない静閑な山奥に突如として女性の驚く声が聞こえ、少年も驚き前進を止めた。誰もいないはずの山奥に聞こえるはずのない声。少年は声が聞こえた方に向けてその人の行方を探した。真後ろに振り替えて少し上を見上げると声の主であろうその人が地上を目掛けて落下していた。少年は一層、驚愕した。夜明けとはいえ飛行機が飛ぶ時間帯ではない。しかも鳥すら飛んでない、雲すらない晴天でまっさらな空に何故人が落下しているのか、検討もつかない。動揺する少年を余所に女性はただ落下していく。彼が瞬時に考え付いたことは女性のこの先のことだった。このままいけば木々に入って枝木に突き刺さる上、地面に叩きつけられる。命の保証はまずない。それを考えた彼はすぐに体勢を変えた。湖から出るために元に戻ろうとするが腹部に達するほど沖合までに進んだこともあってか前に進むのに苦労するが、それでも常人よりは早く、普通に歩くぐらいの速さで戻っていた。
少女はさっきまでの暗闇で都会擬きの町並みから落下する光景、そして真っ白な光景から、突如として山に覆われた朝日が照らされた晴天の空に狼狽えていた。自分は高層ビルから落ちたはずなのに・・・そんなことを思いながらも瞬く間に木々に向かって落下していく光景が嫌でも映る。今の状況に気づくと少女は動揺しつつも身を守る方法を瞬時に考えた。すると思い付いたような表情をした彼女は、咄嗟に着ていた上着を脱ぐ素振りをした。片腕から出すのではなく両腕を一気に引っ込んで、袖から腕を出さないように脱いだ。片腕が袖から完全に脱がないようにしながら手が上着の結合部に触れると、その部分を掴んで腕を両サイドに広げた。彼女は自分の上着をパラシュート代わりにした。必死の抵抗によって落下スピードは低下していったが、手や腕に掛かる負担と衝撃は大きく、痛みを伴い苦しい表情を浮かんだ。
沖合いにいた少年は岸辺に辿り着くと、走れるようになりスピードを上げた。女性を見上げる彼の表情は焦っていた。自分の上着をパラシュート代わりして身を守る彼女の表情に彼も気づいていた。苦しい表情を浮かべる彼女には時間がない。落下スピードが落ちたとはいえ、正規のパラシュートと比べると明らかに違う。勢いもって地上に落下する彼女を一刻も早く助けなくては・・・その思いが脳裏に浮かべながら、岸辺から地面に上がると彼は木々に向かって猛スピードで走った。木々の数メートル前で彼は飛び上がった。すると、飛び上がった先の木々を蹴り飛ばしながら上へ上へと掛け上がっていき、木々の最上部の枝を女性の方へ蹴り上げ、高く高く飛び上がった・・・
少女は落下による風圧で腕や手に痛みが限界に達していた。苦悶の表情がさらに深刻さを増して、今にも手を離しそうだった。離すまいと上着を掴んでいるがもう無理だった。そして左手が滑るように上着から離れようとしたとき・・・
飛び上がってきた少年が少女を目掛けて向かってきた。上着から手を離してしまった彼女を体ごと掴んで、すぐに抱き抱えた。風圧によって苦しんでいた彼女はいきなり現れた少年に抱き抱えられ、何が起こったのか理解できなかった。彼女を守るように抱き抱えた彼はすぐに向きを変えた。このまま木々に向かって着地しても彼女も自分自身も怪我する恐れがあることを瞬時に判断した。自分1人なら枝を避けながら着地できるが、彼女を抱き抱えているなかでは危険だ。彼は湖に着水することにした。そして近くにある木の最上部を強く蹴って湖に向かった。何が起こったのか未だに理解できていない彼女の顔を守りつつ、彼の足から湖に目掛けて落ちていった。彼から水面にぶつかる瞬間、大きな音を立てながら彼女と一緒に着水していった。
湖の真ん中で大きな水しぶきと音立てて飛び込んだ2人は深く潜り込んでしまい、水面には泡と空気が浮かんでいた。高い位置から勢いよく飛び込んだことで水中深く潜り込んでしまい、なかなか上がってこない…
朝日の色が橙色から薄い黄色になりかけていくなか、2人は水中から上がってこない…
水面に浮かぶ泡と空気が少なくなっていくが、2人は上がってこない…
「ぶふぁっ!」「ぷぁっあ!」
瞬時に空気の泡が水面に上がった瞬間、2人が上がってきた。少年は湖の真ん中から岸に向かったが、少女を抱えて水を掻き分けて進んでいるため、前に進みずらかった。それでも水を掻き分けるように前へ前へと進み、ようやく岸にたどり着き、少女を抱えながら岸に上がった。
岸に上がり水辺から少し離れたところで少年は疲れを見せながら抱きかかえていた少女を地面に降ろした。少女は自分の身に起こっている状況を理解することはできなかった。目の前にいる自分と同世代と思われる少年がどういう人物なのか、人間なのか、今いるところが安全な世界なのか、それとも自分が生きているのか、全くわからず困惑した表情だった。
一方少年は自分と同世代と思われる少女を助けたことで疲労が見えており、膝を抱えながら顔を下に向けて呼吸を荒していたが、すぐに膝から地面に崩れ落ちて四つん這いの態勢になった。しばらくすると呼吸を荒くしながらも落ち着くことができ顔を上げられる余裕ができた。
日差しがオレンジ色から徐々に白くなり眩しい光が辺り一面を照らしたと同時に少年は俯いていた顔を少女に向けて上げた。少女も状況を理解できないままではいたが日差しの光に気を取られて視線を少年の方に向いた…
お互いの視線を変えたタイミングを一致し、少年と少女は初めてお互いの顔を見ることができた。少年は顔が隠れて目や鼻、口が見えないほどの長い髪だが湖に潜ったことで髪型が乱れて前髪を分けていた。少女は目が前髪で隠れていてマスクをしており表情がわからなかったが、少年と同様に湖に潜ったことで前髪を分けてマスクも潜った時に外れていた。さらに辺り一面が明るくなったことでお互いの表情がより一層わかるようになったことで目の前に人間がどういう人物なのかようやく分かるようになった。
少年は紅色に染まったロングヘアに美人で可憐、綺麗な顔立ちだが、年相応に可愛らしい美少女に見とれていた。少女は朱殷色に染まった長髪に目が大きく、大人びた顔立ちだが年相応に少年らしい壮快な顔立ちに見とれていた。
お互いがお互いに見とれていたため、特に問いかけることもなく、ただ無言の時が続いた…
「クシュっ」
無言の空気が続くなか、少女が突如くしゃみをしたことで少年は目の前に少女の状態に気づいたかのように目を向けた。夜明けの空に突如として現れた少女。自分と同世代と思われるが、目の前にいる少女はどこから来たのか、なぜ空から現れたのか、そもそも人間なのか、全くわからなかった。しかしこのまま何もせずにただ黙っているわけにもいかない。
「大丈夫か…?」
少年は少女に向かって初めて尋ねた。
「大丈夫…だと思うけど…」
少年の問いかけに少女は言葉を絞るように答えた。
少女はまだ現状を把握できずにいた。
「あの…ここはどこ?」
少女は自分が今いるところがどこなのかを少年に訪ねた。
「…宝塚の切畑というところだけど…」
少年は訝しく思いながらも、自分がいる地名を答えた。
「…何それ…どこ?」
聞いたことのない地名に少女は困惑した。そんな少女に少年は訪ねた。
「どこと言われても…そっちはどこから来たんだ?」
「28州698番市87地区の1248通りにいたの」
「何だその地名…?」
聞いたことのない地名に少年は困惑した。
「なぜ空から落ちてきたんだ?」
「…ビルの屋上から落ちたの。死ぬと思って目を瞑ってたけど…気づいたら空にいて地面に向かって落ちてたの」
「ビルの屋上って…周りは山だぞ」
「でも、確かにビルから落ちたのよ…」
かみ合わない会話に苛立ちを見せかけていたが、少女が嘘を言っているようには見えない。
大きな鳥や飛行機が飛んでない、スカイダイビングをしているわけでもない。少女は本当のことを言っていると見た。
「もう一度聞くけど、ここから落ちたわけじゃないんだな?」
「うん。ビルの屋上から落ちたの」
「…自ら落ちたんじゃないよな?」
「うん」
少年は少女が嘘をついてないと、主観的だが確信した。しかし少女は”ビルの屋上から落ちた”と言っていることから、この近辺の上空から落ちたわけではない。だとすればどこから落ちてきたのか…
「一応聞きけど、あんたは地球の人間なのか?」
「地球?…何それ?」
「えっ!?」
地球を知らない少女に少年は驚きを隠せなかった。
「地球を知らないのか?」
「聞いたことがない」
「…じゃあ太陽とか、火星とか、宇宙は?」
「太陽と宇宙は知っているけど、火星は知らない」
「…」
地球だけでなく火星は知らないが太陽と宇宙は知っている。どういうことなのか分からなくなった。
彼女は見た目は人間と同じで明らかな日本人という感じ。宇宙人という感じではない。
「ねえ、ここ地球って言うの?」
少年が考えている中、少女が尋ねてきた。
「惑星の名前が地球というだけだ」
「そんなんだ…」
「あんた住む惑星はなんていう名前なんだ?」
「1号っていうの」
「…1号?」
聞いたことのない名称に少年は戸惑いを感じた。
「聞いたことがないぞ」
「1号っていうのは、あくまでも仮の名前らしくて本当の名称があるんだけど、誰もわからないの」
「何だそれ…」
少女の腑に落ちない答えに少年は困惑したが、追及しても納得できそうな回答を得られそうにないと感じて、それ以上の追及はしなかった。
「…ここにいても埒が明かないし、ずぶ濡れで風引くからここを離れよう」
「うん。わかった…」
ずぶ濡れの状態で質問しても意味はないと少年は場所を変えようと提案した。少女のここよりはいいと判断して場所を移る決断をした。
「なあ、あんたは家族とかいるのか?いるなら連絡したほうが「いない」 っえ!?」
「いないの」
「そっか…俺もいない」
「えっ…?」
「だから助けを求めるなら他のやつがいい。とりあえず街まで送って行ってやる。そのあとは警察に保護してもらうけど、それでいいか?」
少年は少女に頼る人間がいないことを知り、別のところに頼るよう提案したが…
「警察…自警団のことかな?」
「あんたが住んでいたところは警察はないのか?」
「街や治安を守る組織のことだよね。私のところは自警団っていうの。…その警察って、信用できるの?」
「信用も何も、頼るところがないんじゃあ…」
「信用できるの?」
少女は警察という単語に引っかかった。あちらの世界の”自警団”に不信感を抱いていたのか、警察に対しても疑心暗鬼だった。だから警察が信用できるのか少年に強く問いかけた。
「…俺の印象だと…信用できない」
「どうして?」
「警察はまずあんたを家出少女として扱うはずだ。正直に言ったところで杓子定規に判断されて無下にされる。それに身寄りのない、どこからか来たかわからないあんたを施設に丸投げするに違いない。多分住民票もないはずだから、扱いに困るはず。警察も面倒なことはさっさと終わらせたいと思っているはずだ」
「そう…」
少年が答えた警察の対応に少女は俯きながら頷いた。
「だったら、貴方についていく」
「なぜだ?俺には家族が…「警察が信用できないなら、行きたくない」」
「…俺についてきても何もないし、できることはないぞ」
「いいの。少なくとも、私が会ったなかで…何となく信用できそうだからついていくの。どうせ私には誰もいないから…」
「…」
少女の返しに少年は言葉に詰まった。会ってから大して話してない少女の身に何があったのか知らないが、少女が辛い思いをしていることは感じ取った。しかし少年も身寄りがないため、力になることはできない。正直どうすればいいのか困っていた。
「…さっきも言ったけど、俺には身寄りがない。身寄りのないものが一緒にいたところで、あんたのためにならないぞ。助けを求めるなら他を求めろ」
返す言葉に困った少年は、結局同じことを返すしかなかった。
「いいの。知らない世界で1人で苦しむぐらいなら、信用できる人の側にいたい。断られても付いていくわ」
「…信用できるって何だよ。何が狙いなんだ?そこまで付いていきたい理由でもあるのかよ」
強引な少女に少年は少し苛立ちを見せた。身寄りない自分に付いていきたい理由があるのかと少女に問いかけた。
「…今は言えないわ。くだらない理由だから」
「くだらないって…」
理由にもならない返答に少年はさらに困惑したが、ここでさらに追及しても無駄だと思った。お互いずぶ濡れで体も冷えている。早く体を温めないの体を壊してしまう。これ以上この場に居ても埒が明かないと判断した少年は、諦めの表情を見せた。
「…ここで説得しても無駄だな。このままじゃあ風邪ひくから、とりあえず俺の家についていけ。話はそこからだ」
「うん」
少年は少女を自分の家に案内することにした。しかし少女の今後についてはこの場で結論を出せないため、家で話し合うことを提案した。少女もずぶ濡れの姿で居続けるよりは良いと思い、少年の提案を受け入れた。
「じゃあ付いてこい」
「うん」
少年が少女を連れて自宅に帰ろうとした…
「あと1つだけ聞きたい、あんたは一体何者なんだ?言える範囲でいい」
少年は突然、少女に質問をした。確かに、明け方の何もない空から落ちてくるなんてありえない。気になって仕方ないことだ。
「…わからない。自分が何者かもわからない。ただ敵だらけだというのは分かるわ」
「そうか…」
少女の答えに少年は頷くしかできなかった。
「あと、いつまでも“あんた”と呼ぶのも嫌だから、名前を教えてくれ」
「…」
「もしかして、名前ないのか?」
「…ないこともない、けど…」
「キラキラネームなのか?」
「キラキラネーム?」
「端的に言えば、常識外な名前のことだが…言いたくなければ別にいい」
「…偽名で良ければ言うけど、良い?」
「まあ無いよりはマシか。俺も似たようなものだし」
「えっ?」
「俺も自分の名前が本物なのか疑ってるから、お互い様ってことだ」
「そう」
自分の名前を伝えていいのかお互いに確認しつつ、ようやく自己紹介に入った。
「俺は…緒形昭人」
「私は…小栗聖子」
この2人の出会いが、世界を、そしてお互いの人生を変えることになるとは、まだ知らなかった…
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