第4話 sociology&aesthetics

  「――あんたはなにを好き好んで茨の道を行きたがるかね。指導方法やら教材に口出しされたり、いろんなとこから突き上げ食らった受難の教科なのに」

  葛飾は教育改革の真っ只中を生きてきた。死屍累々となった現場も目の当たりにし、病んだ研究者や憤りから退職した教育関係者を何人も知っている。

  「……だって、伝えないとなかったことにされるから」

 かちゃりと置かれた新しい紅茶。運んできた店員に、少女は礼を言わなかった。

  「私は、昔の本を自由に読めました。だから、変だなって思います。時代によって書いていることが違うし、あるとき格差を肯定する本が増えたりしています。今の社会になって30年も経ってません。なのに。まわりのお友だちの間では、それが当たり前で、今が正義なんです……!おかしいです。なんで今を肯定するのって。あなたたちは他の人のことを見下すのって。生まれてきたところがついていただけで、違いはないのに……」

  葛飾は自分のところに運ばれてきた紅茶を、少女の前に置いた。

  「それで、社会学、か」

  「………はい」

  「飲みなよ。あったかいものいれたら落ち着く」

  「ありがとう、ございます」

  目元をハンカチで拭うと、少女は素直にカップに口をつけた。

  「……葛飾さん、お願いがあります」

  「なに」

  「受験指導をしていただけませんか?私は、人文系に進みます」

  募集定員がほとんどない今、人文系の学部は難関となっている。卒業後の就職状況が絶望的な今、教育機関は貴族階級向けのサロン的な場所か、研究者や教員養成を行う国際教育機関立学院の二択となり、合格者数も絞っている。あしきりは当たり前。多浪も多い。それでも受験者数が減らないのは、社会学はその特性から階級に関係なく受験が可能だからだ。親族が犯罪者となって詰みかけた若者や、下層階級からの脱出を目論む子供が多く受験する。世界の先進国がこの国を非難し、合同で出資、設立した学校に行き世界を見たいと願う若者も多い。しかし理系や職能に特化する歪んだ教育改革のため、義務教育のみでは口頭試問がまず突破できないのが現状だ。

  「私の家庭教師として、指導をしていただきたいのです。社会学を修了したとお見受けします」

  「……確かに副専攻で修了したよ。でもあたしは最新の社会学畑から離れてる。今の学者に指導を仰ぐべきだ」

  「主専攻が美術で、副専攻が社会学。4年で学位を取得し卒業されていたら、優秀者の証です。申し分ありません」

 いちいち教育制度に詳しいことに軽く腹が立つ。推測された通り、葛飾は学位を4年で2つ取得した。週に25コマ履修し、それが将来どうなったかといえば、主に賭博で食っているという現実にぶち当たるが。

  「以前大学を訪問したら、試験問題を作る人間が指導はできないとお断りされまして」

  「なるほど把握」

 ただでさえ少ない学者なのだ。ともすれば試験問題の漏洩になりかねない。

  「それに、複数の研究者のかたから、葛飾さんと思わしき人を推薦されました」

  「………は?」

  「お名前は、栄子さん。賭博にめっぽう強く、賭け麻雀と花札ではコンピューターを含め負けなし。在野で論文も執筆し、賭博と論作文、そして任期制の博物館職員で生計をたてているはず、という情報をいただいています」

  「………誰がそんなこと言った」

  「ええと、確か………」

  出るわ出るわ、学生時代に関わりのあった奴らの名前。かつての研究仲間ども、個人情報保護法違反で訴えてやろうか。

  「ぜひ、お願い申し上げます」

  「嫌だと言ったら?」

  「葛飾さんが望む本を無料で差し上げるほか、お給料は言い値で結構です」

  持つものが持っている資産を振りかざしている。それも適切に。

  損得勘定をすれば誰でも美味しい案件だとわかる。

  「……あんたには負ける」

  「ありがとうございます!」

  「条件も魅力的だけど、それだけじゃない。金持ちは大体嫌いだけど、あんたは例外だわ」

  「嬉しい、です」

  思いがけず漏れた本心に、相手はかけねなしに喜んだ。

  「それで、あんたの名前は?あたしの本名は栄子であってるけど」

  「そうでした、まだ名乗っていませんでした」

 居ずまいをただし、少女は笑顔を浮かべる。

  「森園すずと、改めて柊美鈴と申します」

  告げられた名前は、鉛玉のような威力があった。

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