第2話 aristocrat recursion

  「猪鹿蝶」

  「赤短、青短、たん」

  「月見で一杯、たね」

  「月札」

  周囲が見守る中で、葛飾が押される様子があらわになっていった。間違いなく少女はルールを熟知し、なおかつゲームを楽しんでいる。

  「……負けた」

  葛飾の敗北宣言が出るまでは、花札のスペースだけが静寂だった。ほどなくして、周囲がざわざわと動き始めた。

  「嘘、だろ」

  「あの葛飾が……負け?」

  「やったぜ嬢ちゃん、お前が勝って大穴だ!」

  周囲に頓着せず、森園すずとはにこやかに笑う。

  「ありがとうございました、葛飾さん」

 どちらかが笑えばどちらかは泣く。

  「で、あたしに何しろってお嬢さん。人でも殺しに行けってか?」

  小金を稼ぎたいがために、闇深い仕事に手を染める下層階級の人間は多い。特に賭博場に集まってくる人間は、身元も怪しく人間関係も希薄なため、汚れ仕事にはうってつけだ。

  葛飾は捨て鉢になったものの、当の少女はきょとんとしている。

  「いえ、違います。葛飾さんの時間を私にください」

  言うが早いか、森園は葛飾の手を引き、賭博場から去った。


  「おい、お前なんのつもりだ!」

  線路下のアンダーグラウンド然とした通りを抜け、百貨店の方面へと引っ張られる。少女は足取りも軽やかに、百貨店前を通り過ぎた。

  「私は葛飾さんとお茶をしたいです」

  「はあ?」

  初対面のやつと、花札を一度行った仲とはいえ茶を飲みに行きたいなんてどうかしている。しかも相手は得体の知れない下級階級の人間だ。もちろん葛飾なんて偽名である。自分がもう少し裏社会や闇の社会に足を突っ込んでいれば、このお嬢さんを利用して金を巻き上げるくらいのことは平気で行うだろう。

  「お前は自分の身分の自覚と危機管理能力がなさすぎだ。お嬢さんはおとなしくそれに見合ったところに行ってろ」

  景色はすでに中産階級向けの商店街に移っている。

  私の問いにはややあって返答があった。

  「でも、葛飾さんが悪い人ではないですよね。賭博場では私のことをかばってくれました」

  「……」

  「あなたは一目置かれているみたいで、先手を打って花札をすることで、私を他の人に干渉させなかった」

 そういえば思い出した。上流階級は幼少期から名門私立学校に放り込まれるという慣習が昔からあったのだ。今ではそれに加えて、身分にふさわしい趣味と勉学、ならびに階級に合った振舞いの英才教育を施されるらしい。人にもよるが、彼女は教育の成果が形になったタイプだろう。彼女が蝶よ花よと育てられた、世間知らずのお嬢様という認識は改めなければいけない。この少女は下層の賭博場に単身入ってきたのだ。純粋培養の無垢ではない。

  「今だって、私に注意を促してくれる。葛飾さんはいい人です」

  振り払うことはできた。しかし、私は手をひかれるままになっていた。

  「お茶することはわかった。けれど、外でピクニックでもする気か?こんなに階級が違うのに」

 いつかの西洋社会みたいに、身分によってあらゆるものは徹底的に分けられた。外食先も例外ではなく、喫茶店一つとっても、労働者が集まる場所とお嬢様が集まる場所は違う。金さえ持っていればいいという世の中でもなくなったのだ。身分が違えば、入ることさえ許されない場所はいくらでもある。死にもの狂いで努力したとしても、拒絶される壁で階層移動は阻まれる。

  「いえ、ちゃんと中で飲みますよ?」

  笑顔の少女に連れられて、葛飾は商店街の裏通りに構えている喫茶店へと足を踏み入れた。

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