EX:かつて『キッド』であったもの

 ゼンが入園した途端、廃墟であるはずの遊園地に灯が灯る。

 ポップで心躍る音楽が園内の至る所に存在するスピーカーから流れ、極彩色の遊具が不協和音を奏でながらゆっくりと動き出す。本来、お金を入れて動かすような動物の乗り物がそこかしこで、無造作に歩む中、ゼンは歩む。

 錆びついた遊具から聞こえる悲鳴のような音、キラキラしているのにいくつかの乗り物が欠けたメリーゴーランド。当たり前だが無人のコーヒーカップはただただ回り続ける。誰もいない遊園地、人の娯楽として生み出された幻想郷、そこに人が欠けただけで、これほどに虚ろなのか、とゼンは思った。

 もう、この場所は死んでいる。

 ゾンビと同じ。死んでいるのに無理やり動かされている。明るい音楽が無性に心をくすぐる。早く殺してくれ、消してくれと叫ぶように。

 これが今の、彼の声なのだろう。

「やあ、ゼン」

「ああ……これが今のお前か、『キッド』」

 いつもはこの名を呼べば、顔をしかめていたはずの男は否定も肯定もせず、微笑んでいた。停止したジェットコースターに腰掛けゼンを見下ろす彼は、死んでいる遊園地に眼を向ける。とても虚しそうな色合いを浮かべながら。

「昔、ママとパパに連れてきてもらったんだ、ここに」

 黒衣が彼を包んでいた。

「学術誌に論文が掲載されたお祝いにね。二人とも忙しい人だったし、家族で旅行なんて初めてだったよ。凄く楽しかった。思い出の中の遊園地はね、もっと大きくて、キラキラしていて、みんな笑顔だった。僕もそう」

 全てを遮るように、

「また行きたかったんだ。何度かお願いした。でも、忙しい、お前がやるべきことをやりなさい、凄い研究だ、人類史を覆せる、時間を大切にしなさい、お前は天才だ、特別だ、私たちの誇りで……誰も、僕の話を聞いてくれない。研究は好きだよ。好きだからこそ続けられたし、突き抜けられた。でもさ、たまには良いじゃないか。たまには夢の世界に浸っても、良いじゃないか」

 全てを拒絶するように――

「だから、ワンダーランドだったのか」

「そう。僕にはね、これしかなかったんだ。楽しかった思い出って、研究以外これしかなかったから。喜んでもらえるかなって、そう思った」

「実際に喜んでいた。俺が知る、お前の子どもたちは」

 黒衣の男は嗤う。

「本当にそうかな? 面倒を見てくれる僕に嫌われたくないから、好きでもない場所で、好みじゃない格好をして、裏では愚痴に花を咲かせていたかもしれない」

「そんなことはない!」

「まあ、それは別にどっちでもいいんだ。大事なのは結果だろ? 彼らは最後、僕を恨んで散っていったよ。酷いよね、僕が助けてやらなきゃ、野垂れ死んでいた子たちだぜ? いくらさ、僕が弱かったからって、あんな眼を向けることないじゃないか。僕だって頑張ったんだ! 僕だって君みたいに――」

 口の端から零れ出かけたそれを、男は飲み込む。

「あの時点の俺はお前よりもずっと弱かった。お前が頑張っていたことはみんな知っている。誰がお前を非難するものか。だから俺はここに来たんだ」

「僕を救うため?」

「……そうしたいと、思っている」

「ふふ、本当に君は……変わらないね。眼が良いんだ。濁りが無くて、遊園地みたいにキラキラしている。嗚呼、君の目に映る子どもたち、あの笑顔が羨ましかったんだ。あんな風になりたかった。君に憧れた。真似をすれば、僕もそう成れるかなって、思った。強さじゃない。僕は君『たち』に成りたかった!」

 男の眼は腐った魚のように濁り果てていた。

「でも、成れなかった。それどころか、死んで、迷走して、気づいた。僕の本当の望みはね、正義の味方になることじゃなかったんだ。あの輪の中に入ること、守ることじゃない。守られることだったのさ! 笑えるだろう? 笑えよ、ゼン!」

 助けてくれ、死にたくない、あの時切に思った。最強の能力、無敵の力、裏を返せばそれは自己防衛の性根を表していたのかもしれない。卑怯で、姑息で、そんな自分を取り繕うように最強の能力を演じていただけ。

 誰かを守るための力じゃない。自分を守るためのものだった。

 もう、その証明も果たしている。

「知っているかい? フィフスフィアはね、人の本性を映す鏡だ。根源は人の身体でも、魔力炉でもない。心、魂のようなものかな。少なくとも、今僕らが観測しているものの中には存在しないよ。それは、他ならぬ僕自身が証明した」

 男はすっと立ち上がった。

「僕もね、フィフスフィアに至ったんだ。とある場所で、本音を叫んだ時に、自分の醜い一面を飲み込んだ時に、発動した。以前とは違う、自分だけを守る力だ。『自己改造』、それが僕の新たなる力……弱くなったと思うだろ? 僕もそう思う。でも、今は綺麗な力よりもこちらが愛おしい。それに――」

 男の顔が、パキパキと音を立て、変わる。ゼンの知らぬ貌、アンサール、ゼンは知らぬがクンバーカルナ、ウコバク、クラウン――

 そして、

「ッ⁉」

「僕は今、何にでも成れる! 最悪にでも!」

 加納恭爾。

『相棒、整形じゃねえぜ、あれは。体組成自体がコロコロ変わってやがる。首から下はロバートのままなのに、だ。異常で、異形だ!』

 かつて戦った最悪の敵、加納恭爾。その貌をした男が嗤う。

「この能力はね。使い過ぎると戻り方がわからなくなってしまうんだ。実際にもう、僕は僕がよくわからない。まあ、どうでもいいけどさ。戻る必要もない。僕が消えてくれたら、少しは楽になるかもしれないしね」

「……『キッド』、もうやめろ」

「なあ、ゼン。魔族はフィフスフィアと違って体起因なんだ。肉体であり、魔力炉であり、それらが変質することで、魔族の姿となる。意味がわかるかい? 俺を救うなんてお優しいことを言っているけれど……とうの昔に俺は大罪人なんだぜ?」

 ゼンは気づかない。だが――

『やべえぞ、相棒。ニケを思い出せ、あの島を、思い出せ。器さえあれば良いんだ、意識のない操り人形として使う分には、器を満たす必要はねえ』

「……あ」

「さすがギゾー、良い相棒だ。そう、アールトが表に出てくる第三段階、魔王たる彼を支えるのは死した怪物たちさ。先に言っておくと、僕が今顔を変えた連中は全て、何らかの方法で遺伝子情報を入手し、複製可能となっている」

「なっ……」

「言ったろ、自己改造だって。彼らの遺伝子情報を、取り込むことで初めて、僕は僕を造り替えることが出来る。当然、それらは手中にあるってことだ。しかも、それだけじゃない。遺伝子情報さえあれば、直近の時代である必要すらないんだよ。時代を隔てれば王の資質を持つ者などごまんといる。わかるかい? そのシステムを生み出したのが僕だ。その調整をして、量産体制を整えたのが、僕だ! 加納恭爾なんて目じゃねえよ! 僕こそが、最悪を創り出した男だ!」

 黒衣を突き破り、異形の怪物が姿を現す。ありとあらゆる悪を取り込み、自分を守る盾と、鎧とした男の末路。

 ロバート・キッド・ノイベルグは真紅に輝く。瞳のみならず、眼の全てが真っ赤に染まった。今までの彼はシン・イヴリースに似せていたが、もはやすべてをさらけ出した彼の姿は、それら全てを超越した名も無き怪物となっていた。

『ちょっと、似てるな』

「ああ。もしかすると、レウニールも『キッド』と同じ、だったのかもな」

『あれでも救うのか?』

「実は、少しだけ迷っていた。救うという選択が俺のエゴなんじゃないかと、そう思っていたから。血の記憶に追われる辛さは、わかるからな」

『へっへ、そうだな、そりゃあそうさ』

「今、迷いは消えた。全身全霊を以て、救うぞ、ギゾー!」

『あいよ! それでこそ、相棒だぜ!』

 葛城善は真の眼を見開く。偽造神眼とゼンのフィフスフィアが呼応し、『希望』と化す。迷いなく、全てを賭して救う覚悟が出来たから。

「『七つ牙よ、いざ守らん!』」

 剣が、槍が、銃が、斧が、鎖が、鎧が、盾が、一つの光と化して魔神と化したゼンを包む。これがゼンの最強形態、

「『セブンス・エクセリオン』」

 新たなる七つ牙を内包する英雄が立ち塞がる。彼自身、この世界に戻って来てから試行錯誤していたのだろう。今の自分に出来ることは何か、限られた力で生み出せるモノはどれか。彼はクリエイターである。幾度も創っては潰し、造っては消し、繰り返していた。あくまでこの七つ牙は現在地点でしかない。

 第四の男であった時よりも弱くとも、その技術はあの時よりも上。日々研鑽、歩み続けた男の力で、今、友を闇から救い出す。

 彼が望む望まぬはどうでもいい。あの姿から、あの眼から、助けて欲しいという声が聞こえた気がした。だから、救う。それだけのこと。

『オレ ハ サイキョウ ダ』

『『知らん!』』

 どす黒き異形を前に、銀色の魔神が虹の七つ牙を以て戦いを挑む。魔を討つためではない。誰かを守るためにこそ、その牙は誰よりも輝くのだ。

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